よく「死んでもいいや」と思う。
これは「死にたい」という自殺願望ではなくて、 あくまでも、受動的にそう思う。
生に対する意識が希薄なのかなんなのか、 不謹慎だと怒られようと思ってしまうものは仕方がない。
頭痛がひどい。 タバコがおいしくない。 晩御飯のメニューが思いつかない。 ダンナが不機嫌だ。 一転して誰かがやさしい。
理由は様々だが、 いとも簡単に「死んでもいいや」と思う。
実際本当に死にそうになったら、 それこそ死に物狂いで助けを請うのだろうけど。
一度だけ能動的な衝動に駆られたことがあった。
現ダンナと「付き合う付き合わない」で、 こじれにこじれた時だった。
私にとって彼に注いだ全精力は、 容易にひき返すことができない程だったので、 今一人で放り出されたらもう生きていけないと思った。
でもいつでも冷静な私の内なる人物が言った。
―どこまで本気?―
「すごく本気だよ。もう死んでやる」
―じゃぁさ、ちょっとその心意気を見せてごらんよ―
その声の指示どおり風呂場に水を溜める。
―1時間、ここに身を沈めていられたら、もう好きにしな―
当時は冬の真っ只中だったが、 それぐらいなんでもないと思った。
結果的には30分しかもたず、 45分後に駆けつけた彼に救出され、 その後、2時間もの間、歯を鳴らし続けた。
私の消滅願望なんて所詮そんなものだ。
親にひどい虐待をうけましたとか、 生き方を左右するほどのトラウマがありますとか、 大きな理由を持たない私に消滅願望なんて、 高尚すぎる。
ただの面倒くさがりの甘えだ。
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