Sun Set Days
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2001年08月29日(水) |
『白い犬とワルツを』 |
子供の頃、よく都内の満員電車の映像なんかを見るにつけ、東京は大変だと思っていた。あんなすし詰め状態の電車に乗るのなんて、かわいそうだと。 もちろん、いまでは自分も満員電車に乗ることがたまにはあるわけだけれど、疲れているときには一度終点まで戻ってから帰るとか、できるだけそういう工夫をするようにしている。一人暮らしなので急いで帰らなければならない理由はないし、ぎゅうぎゅうで揺られて帰るよりは、席を確保して読書なり睡眠なりをしていきたい、というのが正直なところなのだ。 安土敏という評論家の計算によると、サラリーマンが40年間働くと、週休2日で1年間に50週働き、1日片道1時間電車に揺られて通勤するとすれば、一生のうちの8年と5ヶ月を電車の中で過ごすことになるのだという。 8年と5ヶ月! それって結構な時間だ。片道1時間なんて、都内に通勤する人にとってみればおそらくそう珍しくもない数字なのだろうし。 それだけに、電車の中で過ごす時間がとても重要になってくる。 ただ、ぎゅうぎゅう押されているだけの8年間と考えると、まるで何かの拷問のようだ。
そこで、その時間を有効に活用するために、人は車内で様々なことをしている。 たいていの人は、音楽を聴いていることが多い(僕もよく聴いている)。 スペースを取らないし、ボリュームをそう大きくさえしなければ周囲に迷惑だってそれほどかけることはない。 本を読んでいる人も多い。みなさん、結構上手に満員の中でも文庫本や、ハードカバーの本を読んでいたりする。 何かの資格の勉強らしきことをしている人も多い。参考書を読んでいる人たち。 そういうのを見ていると、こういう移動時間を有効に活用しているのだなあと感心してしまう。 眠っている人ももちろん多い。 朝はまだ寝たりない分を、夜は仕事の疲れを少しでも早く癒すために、移動時間と睡眠時間を重ねているのだ。 それだって当然のことだ。ただぎゅうぎゅう押されているよりは、睡眠をとるほうが身体にとってもはるかに効率はいい。
ただ、 眠っている人が起きる瞬間というのは結構面白かったりするのも事実だ。 はっ! と気づいて、慌ててホームに駆け下りる人がいれば、 はっ! と気づいて、慌ててホームに駆け下りて、あっ! と気づいて、再び電車に飛び乗る人もいる。 そういうときには非常にはずかしい。 もちろん、誰も笑ったりはしないのだが、なんとなく周囲にやっちゃったね……という空気が漂ってしまう。 言葉を交わしてもいないのに、誰もがその人の身に振りかかった出来事を類推することができるのだ。 わかりますよー、とか思いつつ。 他にも、シャガールの作品ばりの姿勢で隣の人に寄りかかるサラリーマンとか、 半目を開けて眠っている人とか、 それが白目になっている人とか、 いろんな人がいて面白かったり(ある意味恐かったり)する。
もちろん、白目の人からは離れるけど。
それにしても、8年と5ヶ月だ。 いろいろ考えてしまう数字ではある。
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昨日は久しぶりに渋谷で飲んでいて、3時間半くらい喋っていた(ビール2杯、その後はグレープフルーツジュース)。 Q―Frontの前のスクランブル交差点は相変わらずの人の多さで、ネオンの多さやその他すべての雑多な環境や雑踏に、いつものことながら驚いていた。 そんなときにはよくこんなことを思う。 それは、自分が日常を送っているときにも、この街は毎晩眠らない場所であり続けているのだということ。 その一方では、たとえば日本海岸の小さな町では、ただ静かに海風が海岸道路の街灯に吹き付けているのかもしれないということ。 そんなふうに思うときには、ほんとうに世界は広いと思う。 渋谷の街も、地方の海辺の町も、どちらもが紛れもない現実で、自分とは遠く離れていて、だからこそどうしてか親密なものであるような気がしてしまう。自分が訪れたことのあるすべての場所が、同じように夜になっていたり、朝をむかえていたりするのを想像してみるのだ。 そこではもちろんこれからも会うことのない人がそれぞれの生活を送っているのだ。 そういうのを想像するのはとても楽しいし、安心することができる。 ゆっくり眠ることさえできる(たんじゅんだけれど)。
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『白い犬とワルツを』を読み終わった。テリー・ケイという作家の作品で、新潮文庫。 よかった。読み終わった後で、しばらく黙り込んでしまうくらいに。 裏表紙には、こう説明されている。
「長年連れ添った妻に先立たれ、自らも病に侵された老人サムは、暖かい子供たちの思いやりに感謝しながらも一人で余生を生き抜こうとする。妻の死後、どこからともなく現れた白い犬と寄り添うようにして。犬は、サム以外の人間の前にはなかなか姿を見せず、声も立てない――真実の愛の姿を美しく爽やかに描いて、痛いほどの感動を与える大人の童話。あなたには白い犬が見えますか?」
ここには(結果として)永遠に続いた愛の姿があるし、いまではもう失われつつあるような大地に足のついた生活がある。 サムは特別な人物じゃない。けれども、誰もがそうだし、誰だってこういう奇跡(のようなもの)に出会う可能性があるのだ。 等身大で、自分のスピードで人生を歩くこと。 妻や、家族を愛し、幸せを願うこと。 サムは本当に素敵な人で、サムの書いている日記も本当に素晴らしい。 こういう物語を読むと、見えないけれど確かにいるものの存在が、必要な時はきっとあるのだろうと信じることができてしまう。 そして、何かを信じさせてくれるような物語が、ほんとうの物語なのだと素直に信じることができる。
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