Sun Set Days
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2001年09月19日(水) 夜を歩く

 数年前に札幌に帰省していたときに、すすきのでの飲み→カラオケ→友人の部屋という定番コースをたどった後、午前2時くらいに帰ることにした夜があった。そのまま泊まっていくことも可能だったのだけれど、同じ区に親戚の家があることがわかっていたから、そこに泊まるよとおいとますることにしたのだ(親戚には突然泊まりにいくかもしれないとは伝えていた)。

 そこは中央区で、ほとんど土地鑑のない場所だった。
 親戚の家もとりあえず同じ区内にあるということくらいしかわからない。
 とりあえず大きな通りまで出た。午前2時を過ぎているのに、意外と車通りが多い。とりわけ、トラックの姿がよく目に付く。
 青看板を探してとりあえず歩いて、なんとなく自分のいる場所を把握しようとしてみる。なんとなくはわかる。けれど、それが親戚の家と近いのかどうかまではよくわからない。
 それは8月で、気持ちのよい夜だった。ちょっとだけ飲んだお酒が抜けかかっていて微妙に気が大きくなっている。帰るよとか言い出したのもたぶんお酒のせいで浮かれていたからだ。
 そういうときにはどこまでも歩いていけそうな気がしてしまう。もちろんそんなのはただの錯覚なのだけれど、そういう幸福な錯覚のようなものには素直に従うべしとアーヴィングも言っているのでどんどん歩いていく(※注:言っていない)。
 途中、ローソンがあってそこでからあげくん(5個入り)を買う。爪楊枝を手にして食べながらさらに歩く。
 なんとなく、この辺かもしれないというところで大きい道路から路地に入ってみる(←迷う人の典型)。道路が片側二車線から一車線に変わる。けれど札幌の道路は片側一車線でもちゃんと両側に舗道がついていて、車道を結構なスピードで飛ばす車が通り過ぎて行ってもとりあえずは安心だ。
 それからも思いつきのような気楽さで十字路を適当に越えていく。




 …………




 …………




 さて、


 と思う。


 迷ってるな、こりゃ。


 もちろん、少し前から、言ってしまえば友人の家を出たときからそういう気はしていたのだ。中央区と言ってももちろん広い。僕は自分の方向感覚に根拠のない自信を持っているのだけれど、それでも今回のはちょっと暴挙だ。僕の実家はここから二つ先の区だったから歩くとなかなか大変な距離だったりもする。時間は午前2時をとっくに回っている。


 さて、どうしたものか。


 自分のことをのんきだと思うのはこういうときだ。僕が選ぶのはとりあえず歩こう、という選択肢なのだ。歩いていればそのうち知っている場所に出るだろうし、もしなんだったら終日営業のファミリーレストランで時間を潰せばいい。いざとなったらタクシーを使ってもいい。財布の中には5千円札が入っているから、ある程度の距離なら何とかなる。
 そして、僕は再びぐるぐると歩きつづけた。途中、やけにまっすぐな長い路地に出たり、団地の横を通ったり、当然寝静まっているはずの閑静な住宅街を通り抜けたりした。
 それからしばらく経ってから、ようやく国道に出た。5号線。よくわかる道路だ。円山の近く。
 そして、その道路に出たということは、いつの間にか僕は思っていた以上に親戚の家から遠ざかり続けているということでもあった。
 やれやれ。
 そう思った。それなりの距離を歩いているからもちろん結構疲れているのだけれど、それでも見覚えのある場所に出ることができて一安心する。国道沿いには自動車のショールームがあって、その中の車が薄緑の照明に照らされているのが見える。なんだか、水族館の中みたいだと思う。街の水族館。
 自動販売機で缶コーヒーを買って、安心したことも手伝ってそのショールームのガラスのへりに腰掛けて飲む。
 国道だから、目の前をたくさんの車が通り過ぎていく。その間信号が何度か変わる。
 話は変わって、日中の道路わきで人を待っているときには、僕はよくシートベルトをしている人の数をかぞえている。10台ごとにシートベルトをしているドライバーの数をかぞえることを繰り返すのだ。それは他愛のない遊びだったのだけれど、その観察の結果では大体7割くらいの人はシートベルトをちゃんとしめている。もちろん、地域によっても差はあるだろうけど。

 缶コーヒーを飲み終わって、自動販売機の横にあるゴミ箱に捨てる。
 再び歩き出す。
 今度は道がわかっているのでまだ気が楽だ。少なくとも全体の中でいま自分がどのあたりにいるのかということがわかるし。
 時間はとっくに3時を過ぎていて、なんだか最初の計画とは随分ずれていってしまった。
 でもまあいいかと思う。
 僕はいろんなことをまあいいかと思えてしまう。根が単純なのだ。

 それからまたしばらく歩いてから、結局宮の森あたりでタクシーに乗った。そこからタクシーで3000円くらいかかったから、まだそれなりには距離が残っていたということになる。

 そのときのことを思い出すと、当たり前のことなのかもしれないけれど、年を経るに従ってそういう脈絡のない夜がなくなってきたことをしみじみと実感させられてしまう。もちろん、最近だって徹夜をすることはあるし、同僚たちと明け方近くまで遊ぶことも(たまには)あるけれど、それでもかつてはもっともっとずれこんだ時間軸で生活していたのだ。もちろん、そんなに派手に暮らしていたわけではないけれど、むしろ淡々とした暮らしではあったのだけれど、時間は不思議と夜側にシフトしていた。
 これからもっと年をとって、まっとうな生活を歩むようになったら、そういう長い夜に触れることが少なくなるのだろうかと思う。夜は家族と一緒に過ごすようになるのだろうかとか。
 それはそれでたぶんとても幸せなことなんだろうし、望むべきことだとも思うのだけれど、その一方でちょっとだけ寂しかったりする気持ちももちろんある。
 ちょっとだけ。


 その後、その夜のことを件の友人に話すと、もちろん笑われたのだった。


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 お知らせ

 僕のまわりではいまFran「クリーミーアーモンド」が大ブレイク中です。
 個人的には、ムースポッキーですけど。


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