Sun Set Days
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2001年09月26日(水) Before Sun Set

 橋が好きだ。
 もちろん、いつもそういう風に思うわけではないけれど、たまに橋を渡っているときには、それが大きなものであれ小さなものであれ、何となくいいなと思う。
 子供の頃、仲のよい友人の家まで遊びに行くときには、必ず大きな橋を渡った。
 その橋からはそれなりに大きな川が見えて、途中から眺めると土手で犬の散歩をしている人の姿を見ることができた。河川敷の芝生は季節をいつも少しだけ先取ってその色を変えていた。水の流れは穏やかなものではあったのだけれど、大雨の翌日には水量を増やしていて、天気と景色とが繋がっているということを自分の目で理解することができた。
 秋が近づくと、その橋の下で焚火をしている人がいたことも覚えている。

 もう少し大きくなって、高校生になると通学路の途中に大きな橋が架かっていた。僕は自転車通学をしていたので当然その橋をいつも渡っていた。
 その橋の途中からは、左右の両側に遠く別の橋が架かっているのが見えていた。それぞれ同じくらいの大きさの橋。
 普段は家の方向が同じ友人と一緒に帰っていたのだけれど、一人のときにはその普段は通らない橋の方から帰ってみたことが何度かある。遠回りになってしまうのだけれど、いつもと違う道を通って帰ることはなかなかに楽しかった。もちろんそれはごくたまにする気まぐれなのだけれど、最初の頃は、よくそれで迷ってしまっていた。夕方によく知らない町の中にいることはなかなかに心細くて、けれども健やかな気持ちになるということを思い出せたりもした。

 出張生活を続けていたときには、様々な街での散歩の途中にたくさんの川を越えた。
 今日から新しくしたトップの写真もそのときのひとつで、場所は熊本県の八代市という小さな町になる。
 そのときは休日の午後4時くらいに散歩に出て、その川べりをゆっくりと散歩していた。
 歩いていると、ちょうど下校時の高校生の自転車が僕を追い越していった。
 犬の散歩をしている人がいた。
 散歩をしているおじいさんやおばあさんがいた。
 川べりまで降りて何かを採っているおじいさんもいた。
 散歩道は長く続いていて、僕はゆっくりとのんびりと歩いていた。
 夏だったからそんなに涼しくもなかったのだけれど、それでも落ち着いた心持になることはできた。

 写真には写ってはいないのだけれど、この日の散歩の途中にはちょうど虹が出ていて、思わず小さな肩掛けカバンの中に入れていたデジカメで何枚も写真を撮った。それほど濃い虹ではなかったから、薄い写真になってしまったのだけれど、それでも嬉しかったのは事実。
 虹が消えてしまうと、また散歩を再開した。
 その川は上流のほうに行くと大きな橋があって、そのすぐ近くで二つの流れが合流するようになっていた。川が急な傾斜になっていて、その部分の水が随分と急流になっている。基本的には(写真に映し出されているように)穏やかな流れなのに、その傾斜のところでは驚いてしまうくらいの速度で水が流れていて、そこに座ってついつい見入ってしまった。海もそうなんだけれど、水のあるところはなかなかに見飽きない。
 そして夕方になると、夕日が水面を小麦色に照らし出す。空気を包み込んでしまうその夥しい光の量に、ともすれば圧倒されてしまうのも心地よくて。
 境目の時間はいつも長くは続かないのだけれど、時間が許すのであれば、時間が許す限りそれを見ているようにしていた。

 橋や川好きはやっぱり子供の頃に染み付いてしまったのだと思われる。
 たとえば、祖母の家は小さな川沿いに建っている。
 子供の頃には夏休みや冬休みのほとんどを祖母の家で過ごしていたので、その川は随分と近い存在だった。
 コンクリートの低い塀があって、そこに座ったままよくずっと川を眺めていた。
 コンクリートの上を蟻がたくさん歩き回っていたので、半ズボンに上ってくる蟻を払い落としながら眺めるのだ。
 たくさんの小石を用意して、それを川に向かって投げたりして。
 たんぽぽの花だけをちぎったものを、やっぱり同じように投げたりして。
 妹も退屈だったのか、よく隣で同じことをしていた。
 豪雨の後には、川の水は茶色の泥水のようになってしまって、増水したなかを木の枝や謎の箱なんかがよく流れていた。
 そんなときには川に近づいてはダメだと言われるのだけれど、そんなふうに言われたら近づきたくなるのが人情で、やっぱりよく眺めていた。時間はたっぷりとあったし、一日も随分と長かった。
 あんまりにも退屈なときには、傘を差したまま川を眺めていたことだってある。
 長い夏休みや、冬休み。
 やっていない宿題だけがたまり続けていたのだけれど、そんな些細なことなんかいつだって忘れてしまえたのだ。


 橋のことも川のことも、思い出そうとしてみるまでずっと忘れているので、やっぱり日記を書いてよかったかもしれないといまふと思った。こういうふうに書いて残しておけば、少なくとも読み返したときにまた思い出すことができるだろうし。



―――――――――

 27歳になりました。
 ここ数年の大きな目標は相も変わらず「早く大人になりたい」です。
 お前は妖怪人間ベムかと言われそうですが、年齢だけまるでちゃんとした大人みたいになってしまっているので、年相応の大人になりたいなとは思うのです。
 男は30代からという言葉を信じつつ。
 年相応って何だろうと思いつつ。
 とりあえずは、現実的であることを前提に、感情や感傷にもちゃんと向かい合うことができる心もちのバランスもちゃんととることのできる、そんなちゃんとした大人になりたいのです、ホントに。道のりは遠いけど。

 とにかくにも、
 26歳の一年間は楽しいものでした。
 27歳の一年間も楽しくなることを祈りつつ。
 頑張るわけなのです。


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