Sun Set Days
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2001年10月06日(土) 言葉の残高+『トゥームレイダー』+『超大作(?)』

 金曜日に、久しぶりに昨年同じ部署で一緒に働いていた人と再会した。
 たまたま僕の部署に用事があって訪れていたのだ。
 実際に会ったのは10ヶ月ぶりくらい。
 懐かしくて、ついつい長々と話し込んでしまう。
 その人は僕の一年先輩の女の人なんだけれど、相変わらず元気で底抜けにプラス指向で、食べることが大好きで、すごいよなあと思わされた。
 ちなみに、その先輩は店の構えと店内の様子を見ただけで美味しいかどうかを判別することのできる特殊技能を有していて、各地への出張の際にはその技能を存分に発揮していた(いまも発揮している)。あの当時一緒に過ごした人たちは、久しぶりでもすぐに気軽に話せるのはよいなと思う。

 また、一緒に訪れていたその先輩の上司から、僕が主張生活を続けていたときにデジカメやスキャナを使ってつくっていた個人的なマニュアルの一部が、(修正を加えた後に)会社のその分野のマニュアルとして各店に配備されたりイントラネットにアップされることになったので、その承認が欲しいとも言われた。
 承認も何も、それがたくさんの人に使ってもらえるのであればぜひにという感じ(ダメだなんて言えないのだろうし)。
 僕がそれを作っていたのは、新しく店舗で働く人たちが困らないようにするためにどうしたらいいだろうかというところから逆算してのものだったのだけれど、久しぶりにマニュアルを作っていたときのことを思い出した。ただ単純に懐かしかった。
 もちろん、マニュアルなんてものは改廃を繰り返しつづけることが大切なものだから、僕が作った原型はこれからどんどん異なる形をとるようになっていくのだろうけど、むしろ早くよりよいものへと変わり続けて欲しいなとは思う。
 ただ、久しぶりに会った子供が成長していたみたいな感覚があって、嬉しかったのは事実。

 仕事的なことで言えば、実は最近プチ出世(?)をした。
 現在の仕事のチーフ的な役割になって、給料が若干UP(あくまでも若干だけれど)。
 僕ともう一人がその役割になって、お互いに「これを口実に仕事振られるねー」と話している。
 正直な話、新しい役割の仕事の大半は、いまでも僕らが行ってきたことだ。
 ただ、いままではアンオフィシャルにやっていたことを今後は職務としてちゃんと既定されてしまったというやつだ。
 そうなると、つまりいままで本来は自分の仕事ではないかもしれないけれども暗黙の了解でやっていたことが正式な職務になると、不思議なものでそれまでまったくかかわっていなかった仕事が暗黙の了解仕事として浮上してくるのだ。なるほど、という感じだ。そうやって、常に暗黙の了解仕事が常に存在しているのだなと。
 もちろん、自分の仕事とか人の仕事とかいう分け方は、あんまり好ましいものじゃないのだろうけど。

 だから僕はいつも意識してお約束の言葉を自分に言い聞かせる。
「しごとをおぼえるいちばんのちかみちはすなおさだ」という呪文のようなもの。それから「+かんがえること」と付け加えるのも忘れないようにする。
 意識しないとそういうことってついつい(本当に! びっくりしてしまうくらいに!)忘れてしまうから繰り返し自戒しないと大変なことになってしまう。
 他にも、いままでの上司に言われた様々な言葉が「じぶん銀行」のなかにはちゃんと預けられている。
 それでショックな出来事のあとに、へこんでしまうようなときに、引き出して思い返してみるのだ。
 たとえば、最初の店長に言われた「どんなしっぱいでもしんだわけじゃないんだからいくらでもやりなおしがきくんだ」という言葉はいままでに何度も引き出したし、「ほどうきょうはしんどうでてきどにゆれるようにつくってある。もしそれがかちかちにつくられていたら、かんたんにこわれてしまう。だから、まじめすぎることはときにとてもきけんなことだから、かたのちからをぬいたほうがいいんだよ」という言葉や「まわりをちゃんとみてあげられるようにならないといけないということはわかるよな。なかなかできないからこそだれかがやらないといけないんだ」という言葉もよく引き出す。
 僕はそういう言葉をちゃんと言えるような仕事はしていないけれど、まだまだ本当にひよっこでしかないのだけれど、そういう言葉をもらったことには本当に感謝していて、そういう上司たちに助けられているのだなとは思う。もちろん、それらの言葉はちょっと気障でくさいセリフなんだけれど、その上司が言うと等身大の言葉として受け取れるのはやっぱり経験だとか実感のこもり方の違いなんだろうなとか思う。また、上司や先輩が何気なく言った言葉を僕の方でとても大切にしているものなんかもたくさんあって、そういう言葉もどんどん「じぶん銀行」に振り込んで預入れしてしまう。
 本当に言葉を振り込んでもらってばっかりだ。ちょっと情けないかも。
 会社の中にいるわけだからときに納得がいかないことがあったり、理不尽な出来事も多々起こったりはするけれど、それでもトータルで見るとやっぱりとても得難い経験をさせてもらっているよなとはいつも思う。もっともっと時間が過ぎたら、後輩に僕が「言葉」を振り込めるようになれるかもしれない。
 いつかは、ねえ?
 出来るのかなと、なかば本気で心配しているのも事実だけれど。

 そして、「じぶん銀行」の残高に関しては、あんまり考えないようにしようと思う今日この頃。
 だって、最高にへこんでしまったときに残高がないとかいうことになるのは困ってしまうしね。
「じぶん銀行」なのだから、自分にとって都合がよくていいのだ。全然大丈夫。そうあるべき。
 常識が通用しなくても。
 まわりに呆れられても。


―――――――――

 僕は昔半年だけ函館に住んでいたことがあって、その時期はとても楽しいものだった。
 何よかったのかと言うと、街がよかった(人もよかったけど)。
 観光地として有名なだけあって、見ごたえのある場所や風景が多かったのだ。
 有名すぎるあの夜景を筆頭に、地元の人がよく言う「裏夜景」だとか、ライトアップされた港だとか、まるで一昔前に紛れ込んでしまったかのような気持ちになる、淡い電灯の光に照らされた幾つもの坂道だとか。
 もっと長い期間住んでいたかったのだけれど、転勤になってしまったので冬を待たずに離れてしまった(函館の冬を体験できなかったのは、残念なことのひとつ)。
 だから、いまでもかなり好きな街だし、また住むことは現実的に無理でも旅行なんかで訪れてみたいなとはよく思っている。
 幾つかの思い出があって、たくさんの記憶が残っていて、たまに昔のことを思い出したりするときに、ぼんやりと楽しかったなあとか思ったりする。
 振り返ることしかしないのは嫌だけれど、振り返ることがないのはもっと嫌だし。

 函館に住んでいた頃に僕は車を買ったばかりで、よく夜に意味もなくドライブに出たりしていた。
 休日の前の晩の23時くらいに車を出して、脈絡もなく(ここがポイントなのだけれど)走り続けるのだ。カーステレオにお気に入りのCDを入れて、大きな道路も、細い路地も、適当に思うまま走っていく。途中で目に付いたコンビニに車を停めたりして。
 函館は、もちろんるるぶに載るような風景ばかりなわけではないけれど、観光地然としたエリアと、ごくごく普通の地方都市めいたエリアとがちゃんとわかれている。だから観光地的なエリアにはわかりやすい情緒のようなものがあったし、それでいてそうじゃないエリアにも地方の情緒がやっぱりあった。つまりまあ、どちらにもある種の情緒はあったわけだ。
 そして情緒は夜になるとより濃密になるし。
 僕は個人的には情緒的であることを推奨しているので(だから台風の夜に暗い部屋で窓ががたがた揺れる音を聞いたりするのも推奨)、そういう光景や状況になることも大好きだ。もちろん、仕事なんかでは現実的であることを重要視しているけれど(これは大抵の人がそうだけれど)、プライベートまでそうである必要は全然ないと思っているし。
 だから夜のドライブとかはすごく楽しかった。一人でも二人でも。
 その頃、よくかけていたCDがCharaの「Junior Sweet」で、中でも「ミルク」という曲をリピートで何度も聴いていた。Charaの曲のなかでも特に好きなこの曲は、歌詞がまたよいのだ。

 曲も最高だけど。

 ある夜のドライブの時には、函館市を離れて隣の隣くらいの小さな町の海沿いまで行き着いてしまったことがあって、そのときの暗い海とやけに高さのある防波堤は圧巻だった。暗い海の上に船の明かりが幾つか小さく浮かんでいて。波はとても静かで。心細そうに見える小さな月が浮かんでいて。夜釣りの人が防波堤に何人か見えて。
 自分の中にそういう風景に焦がれてしまう遺伝子(命名:情緒遺伝子)みたいなものがあって、だからどこか地方に異動したいなとずっと思っている。都市ももちろん嫌いではないし、たくさんの物や事に溢れていて便利だとは思うのだけれど、もっと夜になると世界の果てみたいに感じられるようなところに行きたいなと、ないものねだりかもしれなくても、隣の芝生が青く見えているだけかもしれなくても、やっぱり繰り返しそう思ってしまう。
 だって、ねえ、海の近くに住みたいっていうのはたくさんの人が思っていることだし。
 それだけ魅力的なことでもあるし。


――――――――

 函館には幾つかの美味しいお店があるのだけれど、『ラッキーピエロ』という名前の地元のハンバーガーチェーンもその内のひとつだと思う。厳密に言うと、ハンバーガーと、カレーライスの店。
 たとえば、チャイニーズチキンバーガーというのが売れ筋のハンバーガーなのだけれど、もうハンバーガー好きにはこたえられない美味しさなのだ。
 他にも、カツのバーガーにはちゃんと揚げたトンカツが入っているし、カレーもやや甘口すぎるけれど独特の味で美味しいし、ようは味が個性的なのでよいのだ。遅い時間までやっているし、市内に幾つかの店舗があったから、よく行っていた。もう食べることができないのが残念ではあるのだけれど。

 ちなみに、『ラッキーピエロ』は函館以外に1店だけあって、それは千葉市にある。
 たまたま僕は千葉市にも数年間住んでいて、見つけたときには本当にびっくりした。
 函館にしかないものだと思い込んでいたから。
 その千葉市の店は、函館から引っ越してきたマスターがやっていて、ちゃんと函館の味と同じだった。
 函館以外ではそこしかないので、たまに結構遠くから(千葉県以外からも!)買いにくるのだというようなことを話していた。
 元函館市民が懐かしむ味。
 千葉市の住宅街の一角に、あんまりにもひっそりと建っているので(駐車場もない)、偶然見つけることができてよかったとは本当にしみじみと思ってしまったのだけれど。
 いまは神奈川県に住んでいるのだけれど、たまに無性に食べたくなるときがあるので、困ってしまう。


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『トゥームレイダー』を観てきた。
 アンジェリーナ・ジョリーの、アンジェリーナ・ジョリーによる、観客のための映画。
 すでにPart2の製作が決定しているとのことだったのだけれど、それにも納得だし、どんどん(出来れば短期間で)シリーズ化してほしいと思う。
 ツボにはまったわけではないのだけれど(この手の映画では『マトリックス』が白眉だと個人的には思うし)、それでもアンジェリーナ・ジョリーはかーなーりー魅力的だったし、もっと脇のキャラクターたちにも色がついてきたら定番シリーズになるんじゃないかと思う。
 たとえば、相棒の少々ドジの天才プログラマーであるブライスや、堅物の執事のヒラリーなんかは、シリーズ化されることによってもっと魅力が増していくタイプのキャラクターだし、お馴染みの面々が繰り広げる冒険というシリーズは最近とみに減ってきているような気がするし。
 そういう意味では、まさにうってつけの映画なんじゃないかと思う。
 いたるところでアンジェリーナ・ジョリー以外のララ・クロフトはいないだろうという話を聞くけれど、確かにそんな感じだ。と言うか、もうアンジェリーナ以外のララを見たら違和感を感じてしまうだろう。「サザエさん」の声優が変わるくらいの違和感。
 ストーリーは結構説明不足な感じではあるけれど、謎解きがメインなわけではないのだし、ララ(アンジェリーナ)が画面狭しと飛び回るのをみているだけで十分に楽しめるし。
 僕はゲームの『トゥームレイダー』はやったことがないのだけれど、ちょっと興味がでたりはした。

 また、本編前の予告でも、何作か面白そうなものがあった。
 今度ぴあでも買ってきて、いろいろと検討しよう。


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 ふとくだらないことが思い浮かんだのだけれど、超大作映画「サザエさん」とかあったら絶対観に行くよなとか。
 磯野家が『マトリックス』だとか『トゥームレイダー』並みのアクション活劇をするアニメ。
 磯野家が世界を救うというスタンスで。
 謎の異星人に襲われているのをカツオが機転をきかせてやっつけたり、タラちゃんが敵の本拠地に忍び込んだり、サザエさんが財布を忘れたり。
 波平の知恵とフネの気配りをCGで表現。
 タマが突然日本語を喋ったり。
 なぜかマスオさんの同僚の穴子さんが異星人に連れ去られたり。
 予告編とかだけでも、最高に心惹かれそう。
 たとえば、こういうの。




「あの日本で一番有名な家族が世界を救う!?


 ――『Sazae San 【劇場版】予告編』――(一応アメリカ公開も視野に入れてローマ字で)


(不穏な感じの音楽)


 商店街で買物をしているサザエが地面に映る黒影に顔をあげる。
「あら、何かしら?」
 空には怪しげな飛行物体が。

 同じ頃カツオは宿題を忘れて「廊下に立っとれー」と怒られている。
 廊下に出たカツオが、窓の外に映る飛行物体を見つける。
「なんだろ、あれ」
 慌てて教室に戻る。「先生、大変だよー、空が、空が」
「何バカ言っとるか。いいから立っとれー」
 笑うクラスメイトたち。いつものおふざけだと思われているのだ。再び廊下に出るカツオ。
「これは……こうしちゃいられないぞ」

 タラちゃんがイクラちゃんと公園の砂場で遊んでいる。その公園の影に傷ついた異星人が倒れている。
「た、大変ですぅー」
「バブー!」
 タラちゃんは異星人からなぞのバックを手渡される。
「コ、コレヲ……○□△☆※……」
 謎の言葉とともに生き絶える異星人。
「マ、ママに相談ですぅー」
「バブー」

 夕方、波平とマスオが乗っている電車が急停車する。混乱する乗客たち。
「な、何があったんだろうなマスオ君」
「どうしたんでしょうねえ、お父さん」
 たまたま、同じ車両に乗っていたノリスケもやってくる。
「どうしたんでしょう」
「おう、ノリスケ」
 波平が言うとともに、電車の明かりが消えるー―。
「な、なんだ? どうした!?」
 激しい揺れ――。

 バックの秘密は何か――?
 人類は侵略されてしまうのか――?
 そして、磯野家がついに立ち上がる――!!

(勢いのある音楽に変わる)

「ようし、やってるぞお」
 意気込むカツオ。バックの中に入っている特殊道具を身につける。
「頑張ってー、お兄ちゃん」
「ワカメもやるんだよ。ほら」
 それぞれバックに入っていた特殊道具を身につける磯野家。
 バックの中に入っていた飴玉をタマがなめると、急に喋れるようになる。
「カツオ君。私、タマよ」
「うわぁ、タマが喋った!?」
「空も飛べるのよ」
 浮かんで見せるタマ。走れば時速も120キロだ。目からレーザーだって出る。

「いいかお前たち。地球の命運は、我々が握っているんだ」
 波平が言う。ちゃぶ台を円卓に見立てた家族会議。
「が、ガンバリましょう、お父さん」
 マスオが感極まった声で言う。
「ああ、やろう」
「穴子君を助けるためにも」
「僕は中島を助けたいんだ」
「ボクもリカちゃんを助けたいんですぅー」
「ようし、みんなやるぞ」
 一致団結する磯野家。
「さあ、やるわよー」と意気込むサザエさんのアップが映る。
 

 ――構想20年
 ――制作費160億


 あの日本でいちばん有名な家族が、日本の、そして世界の危機を救う!!

「Sazae San」

 来春、超拡大全国ロードショー!!


 ……って、書いているうちに楽しくなってきた。
 ドラえもんの映画みたいなノリで、つくられないかなあこういうの。
 ないだろうけど。


―――――――――

 お知らせ

 こういうくだらないの大好きです。


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