Sun Set Days
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2001年10月08日(月) Bookshelf

 世間は休日だったけれど、今日は仕事。
 22時45分くらいに部屋に帰ってくる。
 またいつものようにコンポのリモコンのボタンを押す。
 帰り際は小雨が降っていて、部屋に入ったときに湿気が多いような気がしたのでエアコンのスイッチも入れる。
 5分くらいですぐに寒くなって、停止のボタンを押す。
 それからコンビニで買ってきたお茶(今日は珍しく「秋旬茶」というやつ)を飲む。
 最近はお茶かコーヒーばっかり飲んでいる。
 とくにお茶。
 さっぱりしているところが気に入っているのだ。

 そして部屋の中で大きく伸びをしたときに、本棚の背表紙をなんとなくじーっと見てしまった。
 今日は、そのときにおもいだしたことを。

 昔何かの本で、本を隠してしまう人とちゃんと見せたい人にわけるとすると、自分は後者だと書かれているものがあった。
 本棚に並んでいると何かの折に目に入るものだし、そうしたときになんとなくその本の記憶や印象が蘇って、その何となくの記憶が何か調べものをしたりするときに役立つ、というような内容だった。たしか仕事術とか、そういう関係の本だったような気がする。
 それを読んだときには、なるほどなあと思ったものだった。その本の性質上「調べものなどに役立つ」と言った書き方をされていたけれど、小説でももちろん感想や印象的なシーンを思い出したりすることができるわけだから、そうしておくことはよいかもしれない。人の記憶力なんてごくごく一握りの人以外は大して変わらないものだし、だったら定期的に背表紙でも裏表紙でも目に入るようにして、記憶をブラッシュアップできるようにしておくことはいいことなんじゃないかと思う。
 それで、興味が再燃したら、また手にとってぱらぱらと読み返してもよいのだし。

 一方、僕の昔の知り合いは前者だった。
 自分が持っている本を人に見られたくないと言って、クローゼットのなかに本棚(カラーボックス)をしまいこんでいた。それももちろん考えとしてはわかる。読書傾向は表面的なイメージをつけるには簡単なものだし、先入観めいたものだって形成されてしまう。本とか映画とか音楽の趣味って、もっとたんじゅんなことのはずなのにそういうこわさのようなものがあることは事実だし。
 だから、僕はその人と近くにいた二年半くらいの間で、何度も部屋を訪れたことはあったのに、それでもどんな本を持っているのかはほとんどわからないままだった。もちろん、たまに数冊はわかるような出来事はあった(本を貸してもらったり)。けれど、基本的にはわからないまま、いまにいたっている。
 確かに、はじめて会った人であればあるほど、様々なサインやディテールから、こういう人なんだというカテゴライズのようなものをついついしてしまいがちだ。本当はもっともっと自然体でむかいあわなくちゃとは思うのに、全然そんなふうにはできなくて。自分も、相手も、頭の中である種の枠の中に閉じ込めてしまうのだ。そんなふうに先入観とか知識で既定できるもののほうが、考えることや想像力をはたらかせることよりはずっと簡単なわけだし。そういう前提をはやくつくったほうが、人間関係は比較的スムーズに進むようになるわけだし。この人はこういう人というイメージのようなものを決めてしまうこと。
 でもそれはある面ではとても恐いことなのだ。
 簡単に、決め付けてしまって、それが長い影のように伸びてしまうわけだから。

 だから、その知り合いの考えは、ある種の自衛手段のようなものだったのかもしれないといまは思う。
 その人を本当に深く知るためには、ある程度以上の親密さや信頼感、あるいは長い時間というものが必要だから、そういう時間を過ごすことが出来ない人や過ごすつもりのない人には本棚(やそれに類するもの)を見せないというのは、確かによりよい選択というものであると思えるからだ。できるだけ自分の引き出しを見せないこと。それはときに自分を守ってくれる鎧になる。

 もちろん、逆に自分にとって大切じゃない人であれば簡単にわかったつもりになってもらうほうがいい、という考え方もあるだろうけど。その方が楽だしと。

 いずれにしても、本当に深くちゃんと良いところも悪いところもお互いにわかっているような関係の相手というのは、男にしても女にしても少数でいいとは思うから(少数じゃないとそんな関係は持つことなんかできないだろうし)、そういう人には長い付き合いの中で、ひとつずつ引出しを開けていけるような関係であるといいなとは思う。そしていろんな引出しに様々なものが入っていることをちゃんとそのままに見てもらえたらいいよなと思う。もちろん、それはすべての引出しの中に入っているものを理解してほしいというわけではなくて、そういういろいろなものが入っているのを知っていてもらうということだ。ある引出しの中に入っているものはもしかしたらあんまりいい感じがしないことかもしれなくても、たくさんの引出しを知っていると、それがすべてではないということがちゃんとわかってくるわけだし。
 そういう信頼感や安心感を持てるようになるには、なかなかに時間がかかるから、そういう意味で言えば人生はやっぱり短いのかもしれない。
 むずかしいなあ。
 むずかしく考えすぎているだけかもしれないけど。


 …………


 …………


 あれ?


 僕はその知り合いの本棚を最後まで知らないままだったよ……
 痛……


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 それでも頑張っていかないとさ。


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