Sun Set Days
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この間、ちょっと調べ物があったので大宅壮一文庫に行ってきた。 世田谷区の八幡山にある、雑誌専用の図書館のような場所。 「大宅壮一文庫利用ガイド」には、「評論家大宅壮一が収集した雑誌資料を継承、明治時代以降100年余の雑誌を所蔵しています。データベースで主な所蔵雑誌の掲載記事が検索できます。」 と書かれてある。
具体的な数字で言うと、
「明治時代から現在まで、1万種類57万冊を所蔵しています。現在刊行されている雑誌では週刊誌、女性誌、総合月刊誌など1000種類を所蔵。6000誌の創刊号もあります。大宅壮一は「その時代の最先端の人物が携わり、その時代の知識、考え方が凝縮されている」と考え、創刊号を積極的に集めました。」
と書かれてある。いちいち書くまでもないことだけれど、途方もない数だ。 大宅壮一文庫では、その膨大な数の雑誌を、料金さえ払えば誰でも閲覧することができるのだ。
今回はじめて行ってきたのだけれど、想像していたよりずっと閑静な場所にある小さな建物で、平日に訪れたこともあったせいか周囲はゆったりとした雰囲気に溢れていた。 それでも、館内に入ると結構な人で賑わっていた。1階が来館受付とデータベース検索の場になっていて、2階で閲覧希望雑誌を読むことができるようになっている。個人であれば最初に入館料を500円支払うと、10冊まで雑誌を閲覧することができる(それ以上閲覧したい場合は、再度入館料を支払うことになる)。 まずは1階で閲覧する雑誌をパソコンや冊子のデータベースを用いて調べ、閲覧希望用紙のようなものに記入していく。 パソコンでの検索は、人名、事柄名、雑誌名などからすることができて、記事の見出しが検索の対象となっている。たとえば、人名で検索すると、見出しにその人名が入っている記事が検索結果として出てくることになる。ただ、それだと記事数が膨大なものになってしまうケースも少なくないから、それをたとえば時期等で限定したりして、件数を絞り込んでいくのだ。 そして、閲覧したい雑誌の号数を決めると、記入の終了した用紙をもって2階の受付に渡す。すると、しばらくすると名前を呼ばれて雑誌を渡される。結構簡単で、かなり丁重に扱われているのだろうなと想像していたのでちょっと驚く。確かに、何かを調べるために使うのだし、1年前くらいのビジネス誌なんかの場合は、明治時代の稀少本と同じような扱いをするわけじゃないということなんだろう。 あとは椅子に座って雑誌を閲覧する。複写希望のページがあれば短冊を挟み、複写申込書に記入する。もちろん料金がかかる。
そんなこんなで3時間くらいそこにいたのだけれど、2階で雑誌を閲覧している人たちを見るのは楽しかった。若い人から年配の人までたくさんの人がいて、じろじろ見るわけではないのだけれど、ビジネス誌、総合誌、ファッション誌などなど、それぞれの人がめくっている雑誌の種類は本当に多岐に渡っている。会員の人は100冊まで閲覧できたりするようなので、40冊くらい積み上げて一心にページをめくっている人はおそらくそうなんだろうなと思ったり。 あとはおそらく卒業論文なんかのために調べ物をしているらしい人もいて、真剣にメモをとっているのも印象的だった。 フリーライター風の人もいたりして。
一度、ふと思いついて卒業論文のテーマにしていた人名で検索をかけたときに、当時様々なところで調べて結局見つからなかった雑誌記事がちゃんと所蔵されていて、結構くやしかったりもしたのだけれど。
ちなみに、「利用ガイド」に掲載されている<人名索引ランキング・ベスト10>(2001年3月調査)では、
1位・松田聖子(4,364件) 2位・長嶋茂雄(3,231件) 3位・田中角栄(3,139件)
となっていて、なかなかにおもしろかったりもして。そうかー、松田聖子なんだ、とかしみじみと思ったり。
でも、この近くに住んでいる人はいいよなあとは思った。休日に、ふらりとやってきて、500円を払うと、雑誌を10冊まで閲覧することができるのだから。購入するよりはずっとコストがかからないし、もちろん図書館なら無料ではあるけれど、バックナンバーなんかの充実度に関しては群を抜いているわけだし。 前から興味のあった場所だったので、行く機会があってよかったと思った。
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大宅壮一文庫に行くために、三軒茶屋から東急世田谷線に乗ったのだけれど、はじめて乗った世田谷線はなんだかかなりよい雰囲気をかもし出していた。二両編成で、一律130円の定額運賃。バスのように、乗る前に運賃を支払うのだ。また、線路が走っているのも、住宅地の近辺で、線路から家並みがやけに近かったりして、昔ながらの東京の面影をまだ残しているところなんだろうなと思ったり。 同僚と一緒にいたのだけれど、一番先頭車両の運転手の後ろ辺りに立って、電車が進んでいくのを眺めていた。 「電車でGO」が売れているらしいのが、なんとなくわかるような気がした。 たまにそういう気分を味わうのはおそらくは新鮮なことなんだろうし。
帰りは三軒茶屋で食事をしたのだけれど(きつねうどん+白玉あんみつ)、路地がたくさんある町で、路上駐車の自転車なんかは、自転車3台のうえに1台を横にしたりして置かれたりしたまま一緒に錆び付いていて、いったいいつからここにこんなふうに置かれているのだろうとか考え込んでしまった。まるで現代芸術のオブジェのような感じで。 それまでちゃんと降りたことのない町を歩くのは新鮮だといつも思う。 そんなときには、これから一体幾つの町を見ることができるのでしょうと、なんとなく考えてみたりする。
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何年か前にやっぱり神奈川県に住んでいたときに、夜に先輩の車で大磯まで連れて行ってもらったことがあった。 男4人で、なぜか。 季節は確か11月か12月で、とても寒い時期。 夜といっても、どちらかと言うと真夜中で、午前2時くらい。 どうしてそんな時間に大磯の季節はずれの海水浴場に行ったのかはよく覚えていないのだけれど、それでも車を停めて、砂浜に出た。 夜の初冬の砂浜はやけに風が強くて、波は随分とさめざめとして揺れていた。 「さみーよ」 「さみー、さみー」 「うおぉぉ、なんだよこれ」 「さむいねー」 とみんなで口々に言っていた。じゃあ、何でいるんだろうとか思いながら。 本当に、そのときどうしてその場所を訪れることになったのか、しかも砂浜で何分間かを過ごしたのかを思い出すことが全然できないのだけれど、ただやけに白く見えた砂浜だけは覚えている。砂浜はやけに大きく、風が強いにも関わらず周囲の空気のようなものはやけに静かに見えた。後になって思い返すと、世界の果てみたいだというイメージがあった。 世界の果て。 もちろん地球は丸いから、厳密に言うのならそんな場所はないのかもしれない。 ただ、個人的には「世界の果て」という響きやそこから連想されるイメージがとてもすきで、それぞれの人にとっての、そういう場所があるんだろうなと思うことにしている。たくさんの人の、それぞれの意味での世界の果て。 基本的には、荒涼としている寒々しい場所なのかもしれないし、あるいはパラダイスのようなところであるのかもしれない。 けれども、ここは果てだとしか思えない、というような風景や情景は絶対にたくさんあるんだろうなとは思う。
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僕は上司によく頑固だと言われる。すぐにはいはい言わないよねとか。 自分ではそんなつもりが全然ないのにそう言われるので、たぶん頑固なんだろうなと最近は思うようなことにしている。 頑固者として生きていこう。 マスト・アイテムはせんべいと熱いお茶ということで。
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口癖ってある。 この間Bbsのほうにちょっと書いたのだけれど、僕は風邪薬の主成分のひとつ、「イブプロフェン」の響きが好きで、よく「いぶぷろふぇん、いぶぷろふぇん」と心の中で呟いていた。たとえば『ホリー・ガーデン』の果歩は「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」とか「左側を通って下さい。左側を通らない人にはチョウクでしるしをつけます」などの魅力的な口癖を持っているし、アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』にも、魅力的な登場人物たちの、印象的な口癖が幾つか出てくる。 きっと、誰しも口癖を持っているのだろうなとか思う。もちろん僕も他にも口癖があるし。 そして、口癖には声に出してしまうものと、心の中で呟くものの二つがあると思うのだ。 僕はどちらかと言うと心の中でついつい呟いてしまう口癖が多いタイプ(ちょっと危ない)。 前者は、相槌なんかに多いような気がする。つい「そうだねー」と言ってしまう友人とかいたし。 そういう個人的なものって、その人の表情が見える瞬間でもあるわけだから、たまに垣間見たりするとよい感じだと思えたりする。 いぶぷろふぇんだと、怪訝がられることが多いから、実生活では垣間見せないように気をつけようとは思っているけど。
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お知らせ
「右側を通って下さい。右側を通らない人にはチョークスリーパーホールドをかけます」
(ちゃかしすぎは悪い癖だとわかってはいるのだけれど)
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