Sun Set Days
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『パイロットの妻』読了。アニータ・シュリーヴ、高見浩訳。新潮クレストブックス。 毎度のことなのだけれど、クレストブックスのラインナップは、表紙がとても印象的だ。『巡礼者たち』も『停電の夜に』も、『朗読者』だってそう。思わず大切にしたくなってしまうような、物語が気に入ったときにより特別なものになりえてしまうような装丁になっている。それはとても素敵なことだと思う。
表紙の裏にはこう書かれている。
「午前三時過ぎ。それはノックの音から始まった。夫が操縦する旅客機の墜落を知らせに、その男はやってきた。ひとり娘と衝撃に耐え追憶にひたる間もなく、事故をめぐって信じがたい情報が続く。さらに、夫が残したジーンズのポケットから、謎めいた詩篇と走り書きのメモが見つかった。結婚の深層を浮き彫りにする話題の長篇小説。」
パイロットの妻であるキャスリンは、結果として墜落死した夫の人生を探ることになる。激動の現在と、過去の幸福なエピソードが交互に語られ、次々と明らかにされていく事実と、夫婦の歴史が対比させられていく。「愛する人の秘密」というテーマが、優れた人物描写と豊かな表現によって語られていく。 基本的にはストーリーテリングが見事なのだ。だからどんどん読み進めることができてしまう。とりわけ、サスペンス的な要素が物語の速度をはやめていて。けれど、基調となっているのはあくまでもストーリー展開ではなくて、「家族(の秘密と愛情について)」と傷つくこと、そしてその場所からの再生になっている。様々な出来事がとめどなく起こっていくのだけれど、最後にはある種の場所に物語が収斂されていく、骨格のしっかりした長篇なんだと思わされた。 そういう物語は、安心して読み進めることができる。 個人的なツボにははまらなかったのだけれど、面白いのは事実。伏線も、構成も、表現も巧み。このレベルにまできてしまっていると、あとはもう個人の好みという感じ。 この物語の中で僕が惹かれたのは、ジュリアという主人公の祖母についてだ。彼女が発する言葉のいちいちが、まっすぐかつ説得力をもっているもので、それに惹かれた。あと比喩やたとえもよかった。 文章もとても読みやすい訳文になっているので、秋の夜長に読書という人にはオススメできるかも。 大きな破綻なくちゃんとまとまっている物語であるという印象を僕は受けたのだけれど。
印象的だった文章をいくつか引用(これから読む人で読みたくない人はスクロールしてください。スクロール)。
「キャスリンも、日課の重みはよく理解している。ジュリアの家などでは、日華は混沌から身を守るための大切な手段なのだ。そしてもちろん、夫も日課の重要性はわきまえていた――」(104ページ)
「マティの背後のキッチンのドアには、数年前、教会のクリスマス・フェアでジュリアが買ったキルトのクリスマス・ツリーがかけてある。ジュリアは毎年十二月初旬にはこれを天井裏の箱からとりだしてくるのだ。ゴテゴテとした飾り付けは嫌っているくせに、一度決めたことは断固としてジュリアは守り抜く。前年飾ったものは今年も必ず飾るのだ。」(111ページ)
「あのねえ、ペンギンってねえ、雄が群れの中からたった一羽の雌を選ぶの。ペンギンの群れって、百羽以上集まってることも珍しくないのに。どうやってその一羽を区別できるのかしらね、みんな同じように見えるのに。で、雄がこれという雌に目星をつけると、なめらかな石を五個見つけてきて、それを一個ずつ雌の足元に並べるんだよ。で、雌がその雄を気に入ったら、その石を受けとるの。そうすると、その二羽はそれから一生夫婦でいるんだって」 「それはいい話ね」(116-117ページ)
「あれから十一日。その間に三、四年を生きてしまったような気がすることもあれば、ロバート・ハートが戸口に立って、あの、”ミセス・ライアンズですね?”という、自分の人生を一変させてしまった言葉を発してからまだニ、三分しかたっていないような気がすることもある。時間がこんなふうに渦を巻いているように感じられた記憶は、ほとんどない。」(178ページ)
「その顔をじっと見つめながらキャスリンは、彼が初めてこの家に足を踏み入れたとき以来頭に描いていた彼のイメージに、また新たなタッチを付け加えた。だれかと知り合うと、人はたいていそうするのだと思う。その人物のデッサンをまず頭に描き、折に触れ細部を描き込んで、どういう色彩のフォルムができあがっていくか、じっと見守る――。」(220ページ)
「でも、この十日間というもの、あなた、毎日あの子に付きっきりだったじゃないの、キャスリン。いーい、あなたがあの子のそばにいるだけで、あなたたち母子の気持ちはむしろ離れ離れになっちゃうのよ。あなたはあの子が悲しんでいる姿を見ていられない。あの子はあの子で、あなたの傷の深さを考えただけで耐えられない。だいたい、あなたたち、普段はそんなにべったりくっついているわけじゃないでしょうに」 「いまは”普段”とはちがうじゃない」 「でもね、いまはみんなが”普段”の気持ちをすこしとりもどさなくちゃいけないときなんだから」(237ページ)
「再び海面に目を凝らした。この船がこの海域を旋回しはじめて、どれくらいたったのだろう? 時間は確実にたっているのに、時の経過を把握する能力をいまは失っていた。たとえば、未来はいつはじまったのか? 過去はいつ終わったのだろう? 海中の定点を見つけようと目を凝らしたのだが、見つからなかった。 変化は過去のすべての価値を奪ってしまうのだろうか?」(352ページ)
そして、「週刊文春」の10月18日号に掲載されている「ミステリーレビュー」にもこの小説を含めた数冊が少しだけ語られているのだけれど、その中の文章で納得させられるフレーズがあったので、それも引用。書いているのは、池上冬樹という人。
「逆説的な言い方をするなら、人はいつの時代でも、心を揺さぶり、浄化してくれる”悲しみ”を求めてやまないのだ。人は”悲しみ”から諦観と許しを見いだす。作者は、そんな人間の弱さと許しを、ある家族のドラマを通して切々と訴える。」(157ページ)
この文章は、『パイロットの妻』よりはその後に紹介されている『記憶なき嘘』(ロバート・クラーク)という小説について言及している箇所で用いられているものなのだけれど、それでも『パイロットの妻』にも重複する内容でもあると言うことができる。人間は弱くも驚いてしまうくらいに強くもあって、その繰り返しの中で感情が、喜怒哀楽が潤滑油や原動力として使われていく。そういうなかでは、強さと同じように、弱さも必要だったり求めてしまうということはなるほどと思う。 かつて何かの小説で読んだ言葉”本当に、不必要なものなんて何にもないのだ。”というのは事実なんだろうなと、思ったりはする。
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この小説は、結構前に買っていたのだけれど、ちょっと読みはじめたらおもしろくて、長篇だけあってまとまった時間がほしいなと思っているうちにずるずるときてしまった。途中、後から読み始めた『ハードボイルド/ハードラック』のほうを先に読み終えたりもして。さらに細切れの時間では某ビジネス書を読んでいたりもして。 土曜日に時間があったので読んでいたのだけれど、最初は椅子に座って、途中からベッドで横になりながら、やっぱり起き上がったり、また横になったりして読み終えた。 僕は長篇を読む場合、ずっと同じ姿勢でいることはできなくて、結構座ったり横になったりを繰り返してしまう。他の人ってどうなんだろう? いずれにしても、時間があるときに一気に長篇を読むことはやっぱり愉しい。小説の醍醐味はやっぱり長篇小説だよなとは思うし。
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今日の帰りに、コンビニで肉まんとあんまんを買った。 今シーズン初。 レジで会計を待っているときに中華まん什器が目に入って、それが様々な種類で一杯になっているのを見た刹那「食べたい!」と思った。 季節ものって、たいていそうだ。 それが並んでいるのを見て、「そうだ! 食べなきゃ!」とか思うことが多いのだ。 それだってもちろん少し前からお店には並んでいたのだろうけど、気温だとか、時間だとか(今日は18時前だった)、そういう諸々の要素が絡んだときに実物を見てしまうとひかれてしまうということなんだろうなと思っている。 それが中華まんに関しては今年の場合今日だったというわけ。 確かに、外はもう随分と暗くなっていたし、電灯の明かりがちょうどよい感じの光を投げかけていた。 日曜だったせいか、今日はやたらと家族連れの姿を見かける日で、とりわけ30代くらいの夫婦に5〜6歳くらいの子供というトリオが多くて、そういう家族がかもしだす「暖か」なオーラに当てられてしまった部分もあったのかもしれない。なんとなく暖かいものを食べなくちゃ、というように。 今日はちゃんと防寒の服装で外に出ていたのでそんなに寒くはなかったのだけれど、それでも雰囲気としては悪くない。 早速部屋に帰った後で、聞茶を飲みながら(定番)、そのふたつを食べたのだった。 正直に告白するとコンビニおでんも結構気になっているのだけれど、今年の初おでんはいつになるのやら。
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