Sun Set Days
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2001年10月21日(日) |
『プロフェッショナルの条件』 |
昨日は有楽町にいたため、同僚と一緒にビックカメラを覗いてみた。 旧そごう跡地に今年オープンした大型店。 パソコン売場に行くと、そこには「AIBOパーク」というコーナーがあった。 あの新タイプのAIBOのラッテ(白い方)とマカロン(黒い方)、それから旧タイプのやつの合計3匹(?)が動いていた。 そのときの僕と同僚の会話。
僕「あ、AIBOだ」 同僚「なんか、やけにかわいくなってんな」 僕「10万以上するんだ」 同僚「高いな」 僕「買うとしたらボーナスだよな」 同僚「おい、そりゃまずいって。○(←名前)独り者なんだから絶対AIBO買ったらやばいって」 僕「やばいかな……やっぱり」 同僚「やばいって。休みの日にAIBOと遊んでいる独身男性27歳って恐いぞ、すごく」 僕「……だよな」 同僚「人としてやばいぞ」
と、人としてやばいとまで言われてしまう。 さらに続けて、
同僚「そう言えば、○(←名前)の部屋って、バツイチの部屋みたいだよな」 僕「は?」 同僚「電化製品とか大体揃ってるし、なんか独身男の部屋って感じじゃないだろ」 僕「そう?」 同僚「ますますやばいぞ。休日にAIBOと遊んでいる27歳のバツイチ。名前付けて話し掛けたりしてな」 僕「バツゼロだって」
ということで、AIBO購入は諦める(もともと買う気はないけど)。 でも、何で離婚が×になってしまうのだろう。それはちょっと疑問だ。○とか×とかそういう話じゃないだろうと思うし。
大型店を見るのは楽しい。 ホームシアターのコーナーに同僚と一緒に座って、その重低音やらDTSやら、サラウンドやらを体験してみた。 すごい。 『ミッション・インポッシブル』が放映されていたのだけれど、大画面の迫力にノックアウト。 ものすごく高いけど、家にあると確かに満足度が高いのだろうなと思う。 アパートやマンションなら、騒音の苦情がくるくらいの迫力。 後ろからも音が。 ホラー映画なんか見たら絶対に心臓に悪そう。貞子の井戸のシーンとか、死んでしまうかも。
同僚と別れ、渋谷へ。 土曜日の夜だけあって、人人また人。 飲んだお店も混んでいたし、帰り際もハチ公前出口の辺りでは、たくさんのストリートミュージシャンたちが声を張り上げていた。 昨日も中ジョッキ1杯+ウーロン茶しか飲んでいないのに、ちょっと頭がぼんやりするような感じで。 弱いなあと。 でも、本当はもうちょっと飲めると思うのだ。 ただ、過去に飲みすぎると吐いてしまうだとか、頭がイタくて、転げまわりたくなるようなのを経験しているので、セーブしているのだ。 お酒の席で人に迷惑をかけたくはないので。 酒癖の悪い人をたくさんみてきているので、ああいうふうにならないようにしようと思ってしまっているようなところがあるのかもしれない。
でも、美味しそうにお酒を飲んでいる人を見ているのは好きだったりする。 周りの人がゆっくりと陽気になっていくのを見るのは楽しい。 そういうときって、会話も弾むことが多いし。 いきなりハイ・テンション! 倒れるまで叫びます! というようなのはちょっと勘弁だ。だから逆に、普通に楽しく、いろいろ話しながら飲みましょう、というような感じのほうがいい。
今週は僕にとってはものすごく珍しく週に4日飲む機会があったのだけれど、思ったのは、自分が「やっぱりお酒は苦手なのだけれど、飲みの雰囲気自体は好き」だというごくごく当たり前の感想。
ちょうど、昨日の「日経MJ」に若い人たちの飲酒行動についてのアンケート結果が出ていたので、若干引用。 今月12日、13日に東京・渋谷で、20代、30代の男女百人に聞いたとのこと(平均年齢29.9歳)。
外での飲酒機会が増えたが20人、減ったが40人、変わらないが40人。
飲みに行く頻度は「週2、3回」(28人)、「月2、3回」(27人)、「週一回」(24人)、「月一回」(19人)、「ほぼ毎日」(2名)の順。
何人で飲むことが多いかという質問には、
「2、3人」(52人)、「4、5人」(40人)、「5人以上のグループ」(7人)、「ひとり」(1人)。
全体的な傾向としては飲みに行く回数は減り、より「少人数で、互いに親しい人との飲み会」へとシフトしてきている。 驚いたのは、毎週2、3回飲みに行く人が全体の3割近くもいるという事実。 身体とお金が持つのか?
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『プロフェッショナルの条件』読了。P・F・ドラッカー。上田惇生編訳。ダイヤモンド社。 副題は「いかに成果をあげ、成長するか」
本書にははじめて読むドラッカー【自己実現編】と書かれている。膨大な数に及ぶドラッカーの著作の中から、より人間に焦点を合わせたものを抜粋した、ドラッカーによる生き方・働き方読本と呼ぶことのできるような本になっているのだ。 マネジメントの権威でもあるドラッカーの本はいままで4冊しか読んだことはなくて、その都度難しいのだけれど(読むのにいつも時間がかかってしまう)面白くはあって、それで今回そのドラッカーのスタンスのようなものをまとめている本だったから手にとってみた。 最後の編訳者あとがきから引用すると、
本書は、一人ひとりの人間に焦点を合わせている。とはいえ、稼ぎ方の本ではないし、単なるキャリア・アップのためのものでもない。それは「何をしたらよいか」を越え、「自分を使って何をどのように貢献したらよいか」に答えを出そうとするものである。実に本書は、「何をもって記憶されたいか」を自問せざるをえなくする。(256ページ)
僕は本を読んでいるときに、それが小説であれば気に入った文章を、ビジネス書であればなるほどと思わされたページの上隅を小さく折るようにしているのだけれど、今週少しずつ読み進めてきたこの本は、結果としてかなりのページが折られていて驚いてしまうくらいだった。もともと、本書の性格が、膨大な著作からの引用から成り立っているいわばベスト版のようなものなのだから、それにも納得させられてしまうのだけれど。いちいちすごいのだ。
基本的には、全篇に渡って様々な角度から現在の(そしてこれからの)知識労働者の重要性について語られている。今後は知識労働者の生産性が競争力を左右するというのが前提になっている。そして、知識労働者はなすべきことに注力していくことによって、成果をあげていかなければならないと説明されている(知識労働者中心の情報型組織が、オーケストラにたとえられているのは興味深い。それぞれが、それぞれの楽器の(知識の)スペシャリストであるということ。その個々のスペシャリストたちが一つの目標に向かって、指揮者の指揮のもと演奏を続けていくというたとえ)。 さらにそのなすべき成果というものについて詳細を述べていったり、そのために必要なあるべきコミュニケーションについて語られていたりするのだ。 自己実現のためにこうしなさい的な本は世の中にたくさん出版されているし、重要なのはそういう本をただ読むことではなくて、実際に行動することだ。けれども、このドラッカーの本を読むと、書かれている内容の方向性は、そういった多数の本と大きくは変わることはないのに、より説得力があるように思えてしまう。それは自己実現的なものを独立したものととらえているのではなくて、社会や組織や個人の関係性のなかで位置付けていたり、マネジメントについて言及されている部分から派生してきている、分かち難い部分として説明しているからなんじゃないのかとは思う。
また、理論的な部分よりも、経験的なエピソード的な部分の方がより印象に残るものだけれど、この本でも途中の章にある「私の人生を変えた七つの経験」という部分は非常に魅力的だった。ドラッカーがいかにして現在にいたったのかの、きっかけとなり教訓となった幾つかの個人的なエピソードを語っているところ。 それらの経験から導き出された内容は多岐にわたる。たとえば、それはビジョンを持つことであり、神々が見ているという仕事の仕方をするということ(誰が見ていなくても、仕事に誇りを持ち、完全さを求める真摯な姿勢を持つこと)である。また、日常の中に継続学習を組み込んでいることもそうだし、新しい仕事が要求するものについて徹底的に考え抜くことも重要であると触れている(出世人事の際にそれを考えることをせずに、これまでの成功体験のある仕事のやり方を継続する者が多いと嘆いている。それでは新しい仕事では決して成功しない)。 それらはすべて個人的な経験であるけれど、教訓自体はかなり普遍性をもっていることでもあるのだ。
また、幾つかのなるほどと思った部分のうち幾つかを引用すると、 成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネジメントである。しかも今日、知識は、「いかなる新しい知識が必要か」「その知識は可能か」「その知識を効果的にするためには何が必要か」を明らかにするうえでさえ、意識的かつ体系的に適用されるようになっている。知識はイノベーションにも不可欠である。(24ページ)
貢献に焦点を合わせることこそ、成果をあげる鍵である。仕事の内容、水準、影響力において、あるいは、上司、同僚、部下との関係において、さらには会議や報告など日常の業務において、成果をあげる鍵である。 ところがほとんどの人が、下のほうに焦点を合わせたがる。成果ではなく、権限に焦点を合わせる。(83ページ)
私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして最後に、その結果得られた時間を大きくまとめる。すなわち、時間を記録し、管理し、まとめるという三つの段階が、成果をあげるための時間管理の基本となる。(119ページ)
情報型組織は多様性を許容する。たとえば、同じ組織構造の中に、既存のものの最適化を担当するマネジメント部門と、既存のものを陳腐化し、今日とは違った明日をつくり出すことを担当する企業化部門とを共存させる。(……)情報型組織は、組織内の個人と部門が、自らの目標、優先順位、他との関係、意思の疎通に責任をもつときにのみ有効に機能する。したがって情報型組織においては、みなが「いかなる貢献と業績が期待されているか」「何が責任か」「自分が行おうとしていることを、組織内の誰が知り、理解すれば、協力し合えるか」「組織内の誰に、いかなる情報、知識、技術を求めるべきか」「誰が、自分の情報、知識、技術を求めているか」「誰を支援すべきか」「誰に支援を求めるべきか」を問わなければならない。(170−180ページ)
仕事が刺激を与えてくれるのは、自らの成長を期しつつ、自ら仕事の興奮と挑戦と変化を生み出しているときである。そのような能力は、自らと自らの仕事の双方を、新たな次元で見ることによって増大する。指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は初めて音楽を聴いたという。その後彼は、上手に吹くことを越えて音楽を創造するようになった。これが成長である。仕事の仕方を変えたのではない。意味を加えたのだった。(233ページ)
いずれにしても、「何をなすべきか」を常に考えること、成果に集中すること、弱みではなく強みに基づいて力を発揮していくこと、などが述べられている。難しい箇所も多々あるのも事実なのだけれど、それでも興味深いし、後で忘れないためにも幾つかの部分をこうやってDaysに書き留めておく。忘れてしまうことも多いから、読み返したときにまた思い起こすことができるだろうし。
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場所によって、交差点に横断歩道がなくて、地下道になっているところがある。 階段を下りていくと、交差点の真下がちょっとした広場のようになっていて、それぞれの方面へ出る階段が伸びているような場所。 いままでにそういう場所をたくさん通り抜けてきたけれど、大抵の場所にはその地域の観光地のパネルであるとか、地元のお店の看板であるとか、あるいはその市にある学校の生徒たちが作ったレリーフなんかが展示されていた。 もちろん、地下だからスプレーでのいたずら書きのようなものもあって。 たまに、そういう地下の中心にベンチが置かれていて、休憩ができるようになっているところもあった。 大きな交差点の下だと、近くにある百貨店の地下入り口と繋がっているところもある。 花屋や、カフェなんかがあったところもある。 いずれにしても、そういう地下って少しだけ不思議だ。頭上では、たくさんの車が行き来しているのに、階段を下りただけで、やけに静かになることが多いからだ。トンネルによくあるようなオレンジ色の明かりや、青い蛍光灯のような色の照明のせいもあると思う。 そして、どの地下もどうしてか過去にさかのぼってしまってしまっているような感覚に襲われるところも共通している。 時間の軸がねじれてしまうように思えてしまうのだ。 もちろん、実際にはそんなことはないのだけれど。
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お知らせ
今日は仙台にいる同僚と長電話。 来週末に東京の方に来るということで、また飲むことになりそう。
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