Sun Set Days
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2001年11月13日(火) コンビニ・キャラバン

 いま住んでいる部屋は一人暮らしをはじめてから5つ目の部屋だ。
 学生だったときには4年間同じ部屋に住んでいて、社会人になってからは4つ。
 ワン・ルーム→1DK→ワン・ルーム→ワン・ルーム→1LDKという順番。
 ひとつ前の部屋には2年半ほど住んでいたことになるのだけれど、そのうち1年半は出張生活を送っていたので、ほとんど部屋にはいなかった。退去の際には、不動産会社の人に、「煙草を吸わないにしても、とてもきれいに使っていただいたんですね」と言われた。「ええ、まあ」とかにっこり笑って答えたのだけれど、心の中では「だっていなかったのです」と思っていた。
 そこは、出張生活の間中、数え切れないくらいの人たちに「家賃払うのもったいない」と言われ続けた部屋だった。
 確かにその通りではあったのだけれど。

 けれども、それが半年でも1年以上であっても、自分が住んでいた部屋には(ほとんど帰っていなかったにしても)愛着も思い出もある。
 思い浮かべようとすれば部屋の家具の配置だったり、当時の出来事であったり、そういう些細なことを結構思い出すこともできるし。
 たとえば、ある部屋に住んでいたときには下の方の部屋に住んでいたカップルがしょっちゅう喧嘩をしている声が聞こえてきたし、ある部屋に住んでいたときには大家さんと仲がよかった。また、ある部屋では窓を開けると梅の木を見ることができた。
 これからも何度か引越しをしていくのだろうとは思う。
 どんな部屋に住むのだろうというのは、結構いつも楽しみだったりする。

 そして部屋といえば、社会人になって最初に住んでいた函館のときのことをよく思い出す。
 とりわけ、引越してきた日の夜のことを。
 それは、いまだに忘れることができないエピソードのひとつだ。


 今日は、そのときのことを。


―――――――――

 その日、夕方遅くに自分の部屋に着いた僕は、翌朝の荷物の搬入をそのまだ何もない部屋で待つことになっていた。
 プロパンガスの業者と時間の折り合いがつかなくて、明日の朝一に来てくれることになってしまった。
 部屋には備え付けのガスストーブしかなかったから、それをその夜には使えないということだ。
 でもまあ何とかなるかなとは思っていた。
 北海道の冬が寒いことはよくわかってはいたのだけれど、一晩くらいならって。
 コートもあるしって。

 電気だけはついたから、ブレーカーを入れて明かりをつけてから何もない部屋をぐるっと見回してみる。
 窓の外には向かいのアパートが見えていて(部屋は1階だった)、家具をまだ何も置いていなかったから、もちろんやけに広い。学生時代にはワン・ルームだったから、1DKの部屋にこれが社会人ってことかなとうかれてみたり。
 部屋の中をゆっくりと見ながら、どこにどんな家具を置こうかって考えていた。
 コートを着たまま部屋にいた。
 部屋の中なのに吐く息が白かった。
 そのとき、一晩過ごすことにちょっと不安がもたげたのは事実だったのだけれど、でもまあなんとかなるだろうって、そのときもまだそう思っていた。

 バックを持ってきていて、その中には雑誌なんかが入っていて、部屋の壁に背中を持たれかけさせながら、それを読んでいた。
 CDウォークマンも持っていたので、それを聴いていた。これで電気もだめだったら切ないよなと思いながら。
 誰もいなくて心細くもあったから、一人で歌を口ずさんだりもして(歌はあんまり上手じゃないのだけれど、うたうことは好きなのだ)。
 近くのコンビニで買ってきたホットコーヒーはすぐに冷めてしまった。
 まとめて買ってきたカイロを床に置いて足で踏んだり、ポケットというポケットに入れてみたりした。なんとなく自分の状況がおかしくって、どこかホテルでも取ればよかったと思ってみたりした。

 とりあえず8時くらいになって、部屋の中にはお菓子しかないしおなかも減ってきたので、夜ご飯を食べに行くことにした。部屋の近くの国道まで出て、手近なところにあったファミリーレストランに入った。数日後には会社の先輩たちと知り合うことにはなるのだけれど、そのときにはまだ知り合ってはいなかったから、もちろん一人で。
 ハンバーグセットを頼んで(ハンバーグ・レストランだったのだ)、それを食べながらこれからどういう日々になるのだろうって想像していた。学生から社会人になることについて、そのときにはまだやっぱり実感なんかなかった。漠然としたものしかなかった。ただなんとなく不安と楽しみな気持ちが一緒になっていたのだ(いまでも、実際に働いてみるまでは明確なイメージなんかもてないよなと思う。もし仮に持てたとしても、実際には現実とは乖離しているものなのだろうし)。

 食べ終わった後もしばらく店の中にいて、他の客たちが楽しそうにしているのを見ながら、この町では知り合いが誰もいないんだよなということを改めて実感していた。
 その日の朝、学生時代住んでいた町から離れるときには、友人2人が引越しの手伝いに来てくれて、見送ってくれた(実際はらくらくパックだったので、僕らは立ち話をしていて、引越し業者の人がすべてやってくれたのだけれど)。学生生活を送った町では、そんなにたくさんというわけではなかったかもしれないけれど、それでもやっぱり仲のよい友人たちが出来て、それはとても得難いものだった。
 またそういう場所から離れて、一から頑張るんだと思うと、ファミレスの中で一人、意味もなく感傷的になってしまったりした。
 随分と遠いところまで来てしまったと思って。
 でもまあ、いつまでもしみじみとはしていられないし、ファミレスのなかにいることだってできない。
 しばらくしてから、僕は店を出た。
 目の前の国道にはたくさんの車が走っていた。そこは産業道路とも呼ばれているところで、夜になっても交通量が多かったのだ。街灯がカーブに沿うようにしてずっと遠くまで等間隔に続いている。
 僕はさっき自分が歩いてきたほうをみて、反対方向を見て、なんとなく反対方向に向かって歩いてみることにした。
 風は冷たかったけれど、寒いのは部屋でも外でも同じだから、だったらちょっと新しい町を探検してみようと思ったのだ。
 午後9時を過ぎているのに。そういうところがちょっとやれやれだと自分でも自覚はしているのだけれど、それでもそういうのが落ち着くのだから仕方がない。歩き続けること。はじめての道路をとりあえず進んでみること。散歩体質なのだ。

 ただ、30分ほど歩いたところで引き返すことにした。どんどん周囲の店なんかが減っていって、暗い部分が増えてきたからだった。おそらくこの道路を進むと町外れに出るのだろうと思った。車ならともかく、歩くのにはかなり寂しい場所という感じだった(実際そうだった。その道路は町外れの方に向かって伸びていた)。人気のない小学校のグランドがあった。金網越しに校舎を見て、これ以上はちょっと無理かなとか思った。

 引き返してコンビニに寄ってお菓子やホットの飲み物を買って部屋に帰ったときには、午後11時くらいになっていたのだと思う。
 僕はやっぱり何もない寒い部屋に帰ってきて、壁に寄りかかって膝を立てて座り、新しく買った雑誌をめくったりしながら時間が過ぎるのを待った。カイロを何度もごしごしとこすりながら、頬に当てたり服の中に入れたりして。「さむいよ」とか誰もいないのに一人ごちてみたりして。カバンのなかに入っていた函館の「るるぶ」を見たりもしながら、車だったら30分もかからないようなところに、こういう観光地があるんだなと思ったりしていた。

 時間はなかなか過ぎていってはくれなかった。

 身体自体は疲れていたから、とりあえず眠ってみることにした。眠って、起きて朝になったらプロパンガスの業者も来てくれてかなり暖かくなるだろう。荷物もくるだろう。そうしたら頑張って部屋を片付けよう。家具はやっぱりさっき決めたように置いてみようだとか、そんなことを考えていたのだ。

 けれども、全然眠れなかった。
 もちろん、うとうととすることはできた。僕はコートを羽織ったまま床に寝転がっていたのだけれど、ようやく眠れたと思ったら30分くらいしか経っていなくて、まだ全然深夜のしかも冷え込みが厳しい時間に目が覚める。お風呂場の電気だけをつけて間接照明みたいにして部屋の電気は消していたから、淡く暗くて、それもまた自分がどこにいるのかをよくわからなくさせていた。しかも、床で眠っていたから、身体中が痛い。
 昨日までは、それまで住み慣れた部屋にいたはずなのに、十数時間後のいまは全然よくわからない場所にいる。そして寒さに震えているのだ。

 そういうのが、なんとなく可笑しかったのは事実。
 一人きりの部屋で、なんだか、社会人としてのスタートは波乱含みじゃないか、と思っていた。
 暗いし、寒いし。
 そういうのは個人的には好きな感じではあった。
 後になったら、そういうのって全部笑い話になってしまうということはよくわかっていたから。
(現にこうやって、やれやれなエピソードとして書くことだってできるわけだし)
 ただ、そのときはそれどころじゃなくて、寒さに震えていて、ガタガタいっていた。

 さささむいよ。
 かかかいろもあんまりきかないくらい。

 というような感じで。

 結局、僕は寒さに耐えることができなくて、コンビニに避難することにした。
 雑誌コーナーに居座って、立ち読みをしていようと決めたのだ。

 まずはローソンに入った。
 一番近かったから。
 何でもっと早くこうしなかったんだろうって思った。コンビニの中は暖かくて音楽も流れていて、雑誌もたくさん置いてある。
 1時間くらいローソンの中にいた。
 性質の悪い客だと思いながら。
 それは自分でもわかっていたのだけれど、少なくとも凍死よりはマシでしょうとか思って。

 次にハセガワストアというコンビニに行った。
 これは「やきとり弁当」で一部では有名な、地元函館のコンビニチェーン。
 そこにも1時間くらいいてから、今度はセブン・イレブンへ。
 夕食の後の散歩のときに、どこにコンビニがあるのかは大体分かっていたのだ。
 だから僕は午前6時くらいまで、順にコンビニを巡っていた。
 そのとき売られていた興味のあるような雑誌はたいていぱらぱらとめくってしまった。
 コンビニを出るときにはからあげくんや肉まんやホット・コーヒーなど、暖かい物を買ってから次のコンビニに向かって行った。
 そして歩いている間に食べたり飲んだりしていたのだ。
 そういうキャラバンだった。
 たぶん店員は僕が寒さに震えて店から店へ移動しているなんて事は、想像もつかないだろうなと思いながら。

 部屋への帰り道を歩いているときには、すでに遠くの空がうっすらと明けはじめていた。
 結局、コンビニめぐりで朝を迎えてしまったのだった。
 コンビニパワーのおかげで身体はすでに十分温かみを取り戻していて、眠たくはあったのだけれど、なんとか夜をやり過ごしたことが嬉しかった。一命を取り留めたよとか思ったりもして(大袈裟なんだけど)。

 部屋に戻ると、まだカーテンもない窓ごしに、朝の光が部屋に差し込んでいた。
 僕はやっぱり壁際に膝を立てて座って、お菓子を食べながら雑誌をめくっていた。
 もう少しだとか思いながら。
 
 プロパンガスの業者は午前9時には来てくれた。
 備え付けのガスストーブは、すぐに部屋を暖かく満たしてくれた。
 10時過ぎには引っ越し業者が搬入にやって来た。
 ほとんど眠っていないので疲れてはいたのだけれど、それでも目だけはやけに冴えていた。
 とりあえず暖かくてよかったとはしみじみと思った。


 それが、社会人になって一番最初の部屋の、はじめての夜の出来事だった。


 覚えているのは、やたらと寒かったこと。
 床に眠ろうとして、身体のふしぶしが痛かったこと。
 夜のコンビニをめぐっていたこと。


 そのときに読んだたくさんの雑誌の記事の内容はいまではまったく覚えていないのだけれど、その夜のこと自体はたぶん忘れられないのだろうなと思う。


―――――――――

 お知らせ

 いまではそれも、個人的には楽しい思い出なのです。
 ラッキーなことに、風邪もひきませんでした。


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