Sun Set Days
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昨晩は飲み会(中ジョッキ+カクテル各1杯ずつ。頭痛かった……)。 今日は持ち帰り仕事。 明日は年内仕事納め+飲み会+大ボーリング大会。 明後日は午前6時に迎えに来てもらって、日帰りで逗子まで遊びに行く。 30日と31日は大掃除&買物(もしかしたら、掃除の合間を縫って一人で映画に行ってくるかもしれない。観たい映画があるのだ)。 1日〜3日は部屋でのんびり&読書&買物。 4日、5日と仕事。 6日は休日(を利用しての札幌移動)。 7日と8日は札幌出張(8日の23時過ぎに帰ってくる予定)。 9日から嵐のシーズンが本格的にはじまる……
とりあえず、年末年始に決まっている予定は上記の通り。 こうして書き出してみると、結構平和というか、穏やかな年末年始という感じがする。 特に、30日と31日に大掃除をして年明けを迎えるのって健全といえば健全。 他にも、毎年恒例の、今年読んだ本の個人的なベスト10だとかそういうのもやったりするのだ。 最近は映画をほとんど観に行っていないので、映画のベスト10は出来ないなと残念に思う。
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上の方で大ボーリング大会と書いて思い出したのだけれど、昔テレビでアイドルがたくさん出てくる水泳大会をやっていた。 記憶では確か「ドキッ! 女だらけの水泳大会」とかそういうベタなサブタイトルがついていて。騎馬戦で必ず誰かの水着がとれたりするのが様式美になっているやつ。
でも、そういうのって、他にもいろいろ出来そうな感じだ。
たとえば……
ウゲッ 男だらけの水泳大会
という定番から、
ウエッ 親父だらけの日焼け大会
あるいは、
ホゲッ じじいだらけの入れ歯飛ばし大会
とか……
一年も終わるのに、こんなことを書いている場合じゃないだろう……ねえ。
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この間散歩をしていて、ふと1年前はこの町にいなくて、僕の人生にはこの道路なんてまったく関係がなかったのだと唐突に思った(最近では、散歩は週に2回くらいしている。近場が多いのだけれど、遠出もそれなりにある。ただ、日常にかなり組み込まれてしまっているのでいちいち書かないのだけれど。たとえば、この間は春になると桜が咲き乱れる大きな公園を散歩していた。木々は随分と寂しげな感じだった)。 僕はいまの町に1月に引っ越してきたので、1年前の12月は千葉市で暮らしていた。 ちょうど昨年のこのくらいの時期は、新しい部屋の契約を済ませたり、引越しのための準備をしていたり、ヨドバシカメラで家電を買ったりしていた。 もうあれから1年が経つのだ、と思えるのは不思議な感じがする。 そんなふうに時折、時間の流れを唐突に意識することの出来る瞬間があって、そういうときには少しは成長できているだろうかって思う。もちろん、新しい部署になったので新しい仕事を結構覚えた。新しい知り合いも出来た。いろいろと環境は変わったとも思う。でも、それと同時にまだまだ全然だとも思う。何か重要かつ決定的なものが欠けているような気がするのだ。それがなんなのかはよくわからないのだけれど。 もちろん、そんな気はしても、何だかんだ言っても今年はいい一年だった。 来年もいい一年になればいいと思う。 頑張ろうとも思う。 やりたいこともいくつかあるし。
そして、12月27日の今日に思うのは、1年後のこの時期にも、またどこかの町で(これはいま住んでいるところかもしれないし、別のどこかかもしれない)散歩をしていられればいいなということ。 どんな状況に置かれていたとしても、往復30分くらいの散歩はしていたいなと思うのだ。 散歩って便利で都合がいいと昔からずっと思っている。 たとえば、散歩は余裕があるときに行きたくなるし、余裕がないときにもやっぱり行きたくなる。 同じ歩くという行動が、その正反対の心持の両方を繋いでくれるような気がするのだ。 もしかしたらたぶん、景色はちゃんと見ていないのだろうし、どちらかというといろいろと考えながら歩いているばかりなのかもしれない。 あるいは、何も考えていないのかもしれない。ただただ歩き続けているだけなのかもしれない。 けれどそのどれもが散歩なのだ。 歩くことによって、何かが得られるかもしれない。 でも現実的には何も得られないことの方がきっと多い。 それでも、それはある種の精神的なボディーブローのように、じわじわと効いてくるものであるような気がする。 心と身体に。 これは以前にもどこかで書いたことがあるのだけれど、僕が男に生まれてよかったと思うことのひとつは、何時に散歩をしても大丈夫だということだ。女の子なら、深夜の散歩はとてもじゃないけれどオススメできないし。たとえば、僕も浮かれて散歩をしていたら、ふとした空き地に恐ろしい感じの男たちが10人くらいたまっているのに遭遇したこともあるし。ああいうのって、ちょっとびっくりする。深夜0時過ぎに、そんな空き地で一体何をしているのやら、と思うし(まあ、そんな時間に散歩をしている方もしている方だけど)。 でもまあとにかく散歩だ。 もしこのDaysが1年後まで続いていて、そのときにどういう場所に運ばれてしまっているのかはよくわからないのだけれど(もしかしたらどこにも運ばれていないのかもしれない)、そのときにはちゃんと散歩をしているような日々であればいいなと思う。 これは割合切実にそう思う。
歩くこととチューニングを合わせることは似ている。
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お知らせ
さて、持ち帰り仕事をしよう。
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