Sun Set Days
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2002年01月23日(水) バス

 高校時代を通じて、僕は中学生のときに通っていた塾のアルバイトをしていた。
 と言っても高校生だったから教えているわけではなく(教えるのは大学生以上だった)、雑用中心のアルバイトだった。
 本当に雑用で、印刷され積み上げられた用紙をテキストにまとめて綴じこんだり、ダイレクトメールを準備したり、テキストを綴じこんだり、テキストを綴じこんだり、いろいろ。
 数人で一緒にやっていて話しながら作業できて、慣れ親しんだ講師陣とも世間話をしたりと、楽しいアルバイトだった。

 僕はそのアルバイト先までバスで1時間くらいかけて行っていた。中学生の頃実際に通っていた教室は当然自宅の近くにあったのだけれど、アルバイト先はその塾の札幌本部があるところだったので、それだけの距離が生じてしまっていたのだ。往復約2時間。もちろん、それは決して近い距離ではないけれど、それでも僕はわりかし楽しんで通っていた。友人と喋っていることも、窓から外の景色を見ることも、本を読むことも、そして音楽を聴くことも、1時間では十分にできたわけだし。
 そして、そのアルバイトは時期によってはかなり頻繁にあったのだけれど、基本的には単発扱いだったので、給料が日払いというのもよかった。時給はそんなに高くはなくて(元生徒にアルバイトの声をかけたメリットのひとつだったのだろう。たぶん)600円くらいだったと思うのだけれど、1日2400円+交通費は、週に4回通ったりした場合1万円を超えるので、結構いいアルバイトだった。

 その本部の入っていた5階建てくらいの小さなビルに行くためには最寄のバス停で降りたあとに10分ほど歩くのだけれど、その道中も楽しかった。
 基本的に、よく知らない場所を歩くのは好きだったのだ。
 そこは僕の地元とは区も違ったから、新鮮だったし。

 帰りは20時を過ぎることが多かった。また同じようにバス停にまで戻って、1時間に2本くらいしか来ないバスを待つ。
 バス停は国道5号線に面していたのだけれど、その時間でも車通りは多くて、よくぼんやりと眺めていた。
 夏は半袖シャツが夜にはちょっと寒くて、冬はコートのポケットのなかに手を入れて。
 よく考えてみると、ぼんやりとバスを待っているときに、信号で停まっていたり、通り過ぎたりする車のドライバーがシートベルトをしているかどうかを見る遊び(遊びなのか?)は、その頃はじめたのだし。

 そんなに波乱万丈な人生というわけではないので、劇的な出来事はないのだけれど、そのかわりにそういう些細な時間をたくさん覚えている。
 視界の先にバスを見つけたときに「やっときた」とよく思っていたこととか、後ろの席が空いているときにはいつも「ラッキー」と思っていたこと。
 そして席に着くたびに、夜のバスってどうして過去の時間を残しているみたいに感じられるのだろうって思ったことも。
 これは後に千葉市に住むようになって、比較的バスを利用する機会が多かった一時期にもやっぱり思っていた。
 夜のバスは、どうしてか時間の流れ方が異なっているような気がするのだ。たとえば、扉が開いたときに、もう逢えないはずの人が乗ってきてもおかしくはないようなイメージ。その人には話しかけても声が届かないのだ。でも見える。同じバスに乗っていることだけはわかる、というような。
 どうしてそんなふうに考えてしまうのか、思えてしまうのかはわからないのだけれど、それでもそんなことを、高校生のときにも、社会人になってからも思っていた。

 帰りのバスももちろんそれなりの時間乗っている。
 そのときには疲れているので、僕はよくチェックポイントを心の中で作っていた。
 琴似本通が一つ目。
 宮の沢が二つ目。
 正確な距離なんかはないのだけれど、それでもチェックポイントのバスの停留所が来るたびに、あとどれくらいで着くと心の中で確認していた。
 そして、夜のバスには通り過ぎるバス停もあって(つまり、降りる人も立っている人もいないバス停)、そういうのが多ければ多いほど「今日は当たりだ」と思っていた。

 手稲の某バス停で僕はいつも降りたのだけれど、こういうところは本当に子供だったなと思うのだけれど、次降りますボタンはいつもすぐに押している方だった。
 大体、一つ前のバス停になったときくらいから準備していて、女性のテープの声で次のバス停を告げる声が響くと同時に、ピンポーンって押していた。
 ボタンを押すとスイッチが紫色に輝くので、それを見て「よし」とか思って、何が「よし」なんだか。

 僕はいまではバスにほとんど乗らないし、たまに乗るときにも次降りますボタンをせっかちに押したりはしない。
 当時は17歳で、いまが27歳だということもあるのかもしれないけれど。
 それでも、いまでもごくごくたまに夜にバスに乗ると、当時の幼かった頃の気持ちを少しだけ思い出してしまう。
 遠いところまできてしまったなとか、あらためて思う。


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 今日は現在唯一見ているテレビ番組「プリティ・ガール」を見た。第3話。
 稲森いずみ扮する主人公「花」はちょっとアメリが入っているようなキャラクターなのだけれど(魅力的)、発言の最後によく「〜のだ」を多用している。
 僕はたまたまなのかもしれないけれど、実生活で語尾に「〜のだ」をつける女の子に出会ったことがないのだけれど、現実にいたら似合う似合わないの前に、ちょっと突っ込みたくなってたまらないかもしれない。

 でも、もしかしたら、これは僕がよく知らないだけで、世の中には「〜のだ」を語尾につける女の子がたくさんいるのかもしれない。

 たとえば……(ぽわぽわぽわ……)、


「お腹が減ったのだ」

「眠いのだ」

「はらたいらさんに3000点なのだ」

「赤の宿泊券なのだ」

「イタリアンが食べたいのだ」


 ……うーん。
 もちろん、言葉の言い回しなんて個人の自由なのでどうでもいいと言えばいいのだけれど。
 でも、よく考えてみたら変な語尾を実際に使っている人や、口癖的なものっていくらでもあるような気がする。
 まあ、いずれにしても、本人のキャラクターに似合っていればいいのだろうな。


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 お知らせ

 冬はバス通学でした。
 札幌では、冬に自転車に乗る奇特な人はいません。


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