Sun Set Days
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2002年02月10日(日) 『WASABI』+『リミテッド社はなぜ世界最大になれたか』

 今日は朝早くに起きて、散歩に出掛けてきた。
 行き先は水前寺成趣園。
 熊本市内にある観光地のひとつで、初代肥後藩主細川忠利から三代にわたって築造された桃山式庭園だ。
 数年前に出張で熊本を訪れた際にも一度行ったことがあって、せっかくだからもう一度行ってみたいなと思っていたのだ。
 そしてタクシーの運転手さんが、早朝に行けば近隣の住民の散歩コースなどとして無料で入園できると話していたので、「そうなんだ」って向かってみたのだ。
 ただ、公園には7時過ぎに着いたのだけれど、そのときにはもう有料になっていた。
 すでにバスツアーらしき観光客の集団が来ていたし、日曜日だったから有料になる時間帯が早かったのかもしれない。
 入園料400円を払って、園内へ入る。

 それほど大きなわけではないのだけれど、園内には松が目立ち、大きな池があり、小高い山が造られている。また、神社と稲荷神社があり、能舞台が設けられている。歩いていると、人工的な和の情緒のようなものが感じられて、不思議な感慨めいたものを抱いてしまう。
 また、園内の大部分を占める大きな池は湧き水で、神社ではその湧き水が「長寿の水」とされ、健康によいということでみんなその水を飲むのだ。
 もちろん僕も飲んだ。
「健康でいられますように」って思いながら。

 おみくじを引きたかったのだけれど、早朝過ぎたのかまだ開いていなかった。

 池にはたくさんの鯉がいて、鴨なんかもいた。人間に慣れているのか、鳥たちも近づいてもあんまり飛び立ったりはせずに平然としたものだ。てくてく園内を散歩しながら、何枚かデジタルカメラで写真を撮る。
 天気はくもり。気温はそれほど寒くはない。やっぱり九州なんだなという感じ。
 
 それからビジネスホテルに戻って、9日の分のDaysを記入してUPして、それから帰る準備をする。
 11時20分のJALで羽田へ帰る。
 次に熊本を訪れるのは、一体いつのことになるのだろうか。


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 羽田空港に着いた後、京急で横浜で降りる。
 そして、コインロッカーにやけに重い荷物を預けて身軽になった。
 映画を見ようと思ったのだ。
 今月も来月も大体のスケジュールが決まっていて、それを見るとゆっくりと休むことのできる日がどうやら少なそうで、だったらこういう休日移動の日の時間を有効に使わないとと思ってしまったのだ。
 それで相鉄ムービルに行く。見たい映画は幾つかあるのだけれど、気楽に楽しめそうな『オーシャンズ11』にしようと決めて。
 けれども、実際に映画館に入ると、『オーシャンズ11』は立ち見で、ちょっと考えて『WASABI』を観ることにする。
 これはもともと観る予定ではなかったのだけれど、時間が結構ちょうどよかったのだ。

 リュック・ベッソンプロデュースの、ジャン・レノと広末涼子が競演している映画だ。

 感想としては、楽しめるけれど、随分とあっさりしている。アクションも、謎解きも、あるいはジャン・レノと広末涼子の心の交流のようなものも、すべてが95分の短い時間で終了させるためにか、予定調和の連続で流れていくような感じ。結構笑えるし、広末はフランス語を喋っているし、見所も多いような気がするのだけれど、それでもスムーズに進みすぎて、ちょっとだけ物足りなく感じられてしまうような印象だ。
 2時間枠のテレビドラマスペシャルみたいな感じでもあるのかもしれない。

 見終わった後、電車の中でパンフレットを読んでいたらCine Live誌の寸評の文章に笑ってしまう。

 ついに完成! ジャン・レノ=リュック・ベッソンのコンビが、7年の空白を経て新作『WASABI』で再び強烈タグマッチを組んだ。
 世界の果て、日本で作られたこのアクション映画は、サケとスシを見事にミックスさせ、ワサビを効かせてとびきりホットな刺激作となった。

 ……ちなみに、映画の中にはサケは出てくるけれどスシは出てこないし(適当だなあ)。
 なんだか、こういうのって、日本には忍者がいるとか、ハラキリだとかと同じレベルの話のような気がする。
「サケとスシを見事にミックスさせ、ワサビを効かせて」って、それは夜の御寿司屋さんでしょうとか思ってみたり。

 でも、昔の90分くらいでかちっと終わる映画のように、ちょうどよい長さと言えば言うことができるのかもしれない。

 どうしたって『レオン』を連想させるようなところがあるのだけれど、テンポと間のとり方が全然違う。
 それでも、フランス映画のなかで映し出される日本って、不思議な感じはするしそれはそれで面白かったのだけれど(とってつけたようにほんの少しだけ舞台が京都に移るのはお約束なのか? ちなみに、ジャン・レノが清水寺に行くシーン)。


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『リミテッド社はなぜ世界最大になれたか』商業界。桜井多恵子著。
 アメリカの衣料品の専門店で、売上高が1兆円を超えている企業グループについて解説された本。
 数年前に出版された本で、当時はこの会社が衣料品の専門店としては世界最大の企業だったのだ(現在は売上高に関してはGapの方が首位に立っている)。

 そして、タイトル通りこの企業がなぜ世界最大になることができたのかということについて説明しているのだけれど、簡単に言ってしまえば最近よく日本でも言われている「SPA=製造小売」であるということに尽きる。
 顧客のニーズをデータによって予測し、それを自ら計画し、製造し、売りさばく。小売業自らが商品開発にまで携わり、旧来のようにメーカーや問屋が持ち込んだ商品をただ並べるというスタイルはとらない。
 そして、もちろん商品の絞込みも行われている。具体的には、何でもかんでも扱うのではなく、マス・ファッションとなりえるカジュアル・ウェアだけをフォーカスして取り扱っているのだ。
 日本で言うユニクロのビジネスモデルに近いものを、ずっと以前から展開しているのだ。
 興味深いのは、ファッションを感性だとかそういうものによってしか読めないものだという根拠のない論理には基づかずに、すべて理詰めで行っているところだ。
 これはなるほど、と思わされた。とりわけファッションの世界ではセンスや感性が何よりも大切というようなイメージがあるのだけれど、ファッションには流行があり、そういうものもある種の兆候や、蓄積されたデータによって予測を立てることができるという科学的な手法に基づいているのだ。
 たとえば、一流デザイナーのファッションショーでのデザインや、世界各国の店頭で流行しているもの、そういうものから無駄な付加価値をそぎ落とし(デザインや柄を一部変えたり、日常着るのに適した品質に変えていく。たとえば、家庭で洗濯ができる素材に変えたりするなど。そうすることによって売価が安くなる)、その商品を全米各地の店で試売を繰り返し、データを取り、その中で実際に売れる商品だけを大量に(基本的には海外で)生産する仕組み。しかも、それぞれの商品の間のカラーは大部分統一されているので、組み合わせの幅が広がりコーディネートが楽しめる。しかもその試売は全米の何箇所かで行うのだけれど、それぞれで違う価格で試売を行ったりして、その中でどの売価で売り出すのが最も適切なのか、ということまで試してみたりするのだ。これはもしかしたら当たり前なのかもしれないけれど、試売のタイミングで地域によって値段を変更して様子を見るなんて実際にはなかなか行われていないことなんじゃないだろうか(この実験によって、最初に売り出すべき価格と、見切りの際の最も効果的な処分売価も測定している)。

 グループは、「リミテッド」「エクスプレス」「ストラクチャー」「ラーナー」「ビクトリアズ・シークレット」などからなり、全米各地のショッピング・センターに展開している。
 価格は百貨店より安く、ディスカウント・ストアよりはやや高いロアー・モデレート・プライスと呼ばれる位置に属しており、感覚としては日本のユニクロとギャップの間くらいの価格だ。
 デザインや品質が適切で、価格とのバランスがよいので気軽に購入することができる。安くてもファッショナブルというようなイメージであるみたいだ。

 印象に残った部分を引用。


 日本のある繊維メーカーの調査で、日本のOL一人が持っている服が、平均七五着という報告があった。すでにこんなにたくさん持っているのだからOLはもう服を買わないと、箪笥在庫満杯説の裏づけに使われた報告である。(……)七五着のうち稼動している服は、実際に何着なのか。私の考えでは三分の一以下である。彼女たちはそれらの服が今着られなくても、支払った金額を考えると捨てられないでいるだけなのである。しかも高かっただけあって傷んでもいないから。そしてOLは新しいファッションを買い続けている。今度調べたときには、一人平均八五着になっているかもしれない。
 ここでファッションの理想的なあり方を考えて見ると、第一に安いこと、第二に長持ちしないこと、である。安ければすぐに飛びつけるし、長持ちしなければ、用が済んだときに惜し気なく捨てられる。
 アメリカだってクローゼットは狭い。いや日本より狭いところも多い。以前アメリカで建売住宅を見に行った時、日本人の主婦がこんなに狭ければ自分の持っている服の半分しか入らないと文句をいっていた。着られない服を捨てられないでいるだけなのに、たくさん持っていることが自慢のようだった。(103-104ページ)


 アメリカで実際に、マーチャンダイザーやバイヤーのなかでも、スーパースターと定評のあるご本人達に会ってみると、ごく普通のサラリーマン、女性なら年期の入った経理担当者のように見える地味な感じの人が多いのだ。
 ファッション雑誌から抜け出たようにファッショナブルな人を想像していると、ガッカリする場合が多い。ファッショナブルな人が出てくれば、数値責任を負っていないファッション・コーディネーターという別の専門職の人、と考えて間違いないのである。
 マーチャンダイザーやバイヤーの学歴を尋ねてみると、デザインやアートを専攻した人はまずいない。逆にビジネス・サイエンスに関する学問を専攻した人が圧倒的に多いのが通例だ。
 感性に頼らず、数字を基に過去と現在を分析し、継続した情報収集とその評価から未来を予測する努力のみが、「数値責任を果たせる」唯一の方法なのだと、彼らは異口同音に説明してくれるのである。(191ページ)


 ザ・リミテッド・グループ各チェーンの店舗は、どの店も同じ原則に従っている。すべてに公式(フォーミュラー)を確立しているのである。その点について同社の会長ウェクスナーが、ハンバーガー・チェーンのマクドナルドを、標準化の方法についてモデルとしたことはすでに述べた。
 それではなぜ、標準化が必要なのかというと、最も良い状態は一つしかないからである。その”最も良い状態”に全店を統一することが、最良の策であることはいうまでもない。
 例えばプレゼンテーションの手法は、特殊な実験店を除いて全店共通だ。ゾーンの違いによって多少の差はあるが、全米の店にまったく同じ商品が飾られるわけだから、消費者へのインパクトは強烈なものになる。(232-233ページ)


 ザ・リミテッドのポリシーの一つに「No sale is ever final.」というスローガンがある。意味は「取引に終わりはない」である。つまり返品と交換に期限がないのである。(……)つまり買ってから一ヵ月後に返品に行っても、快くお金を返してくれるのである。しかも別色の同一商品との交換のために持って行った商品が、買ったときより値下がりしていた場合、快く商品を交換してくれたうえに、値下がりした分の差額まで返してくれるのだ。(……)
 日本のようにマネキン用のステージに「商品に手を触れないようにお願いします」などと無礼なことは書いていない。売り物の見本に触ってなぜ悪いのだ。買って着てみたいと思うものをなぜ試着させないのだ。(288-289ページ)


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 お知らせ

 ジュリア・ロバーツが出る新しい映画の主題歌が、The Corrsでした(予告編をやっていた)。


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