Sun Set Days
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『スモーク』という映画がある。ポール・オースターの短編『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を下敷きにした作品で、ハーヴェイ・カイテルやウィリアム・ハートの渋い演技が光る個人的には好きな映画だ。 その映画の中で、ハーヴェイ・カイテル演じるオーギー・レンは、毎朝自分の経営する煙草屋の前に立って、そこから見える交差点の写真を撮っている。 そのシーンは、結構ずっと忘れられない。毎朝、一日も欠かすことなく午前8時過ぎに店の前の交差点の写真を撮る。そしてそれをアルバムに閉じ込めておく。 そういう定点観測に、当時はかなり影響を受けていた。日々は点でしかないのだけれど、そういう行為を通じてそれが線になっていくのがとても素敵なことのように思えたのだ。
それをどこかでは意識していたのかもしれないけれど、今回のTop写真は、何枚か前のTop写真と同じ場所から撮った写真になる。 けれども季節が正反対で、最初のものは夏(7月)で、今回のものは冬(12月)に撮ったものだ。 年末に後輩の実家のある逗子に遊びに行くことが決まったときに、どこかではなんとか時間を見つけてもう一度同じ場所に行こうって実はずっと考えていた。 正反対の季節にある同じ場所を写真に収めるという行為が、個人的にはちょっと愉しみだったのだ。ちょっと『スモーク』っぽいとも思った。 そして、実際遊びに出掛けたときにうまく時間を作ることができて、その小さな山を一人で散歩してきたのだ。デジタルカメラを持って。 中央に写っている島は江ノ島で、僕がカメラを構えていた場所は丸太で組まれたちょっとした展望台のような感じになっている。 そういうものが設置されているのだから、結構たくさんの人が訪れる場所なのだろう。 けれども、年末の午前中には、その場所まで誰ともすれ違わなかった。声すらも聞こえなかった。 この小高い散歩道にもしかしたら一人きりなのかもしれないって思うのは、ちょっとだけ誇らしげな気持ちだった。 一人きりはさびしいものだけれど、ときにはちょっとだけ誇らしい。もっとずっと幼かった頃は、一人で何かができたときには、なんだかうれしかったものなのだけれど。 そういうときの気持ちを、ほんの少しだけ思い出してみたり。
僕はしばらくその場所からの景色を眺めていて、それからデジタルカメラを構えて、その四角い画面に映る様子を眺めた。 夏の写真は頭にイメージとして残っていたから、目の前に広がる葉の落ちた木々は、冬の訪れを感じさせた。当たり前のことだけれど季節はめぐる。でもそういうことも、ちゃんと意識しないと感じることができないのだ。不思議なことに。日々はそういうことに注意しなくても同じように流れていって、余裕がないときにはなおさらよくわからなくなってしまう。まるで世界が変な色に見える目に見えないサングラスでもかけているみたいに。周囲の様子や、風のにおいに、ちゃんと感覚を向けること、意識を向けること。そうすることで、その変な透明のサングラスを打ち消すことができるのだろう。
何枚か写真を撮った。帰りの遊歩道でも歩きながら、あるいは立ち止まって数枚撮る。デジタルカメラって変な写真になったらすぐに消去できるのでとても便利だ。 遊歩道沿いにも何種類かの木があって、小高い山でも一種類の木で成り立っているわけではないのだよなということをちょっとだけ考える。 考えて見ると、一種類の木や花で成り立っている山はきっとどこにもないのだということは、ちょっとだけ安心できることだ。 単純そうに見えて実は複雑というのは、いかしていると思う。 いかしている山を散歩しているんだって思った。
そして、遊歩道を降りた後は再び同僚たちと合流し、そのまま翌朝3時くらいまで遊んだのだった。
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現在、12日の午前5時少し前。 11日はホームページの更新を終え、午後から休日出勤をしていたりした。22時過ぎに帰宅後、部屋でもちょっと仕事をする。 そして12日は6時30分に部屋を出る予定。 そろそろ準備をはじめよう。
そしてさらにちなみに、12日は日中東京で仕事をし、夕方の飛行機で札幌へ飛び立つことになっている。 これは少なめな睡眠時間を、飛行機内で確保しようっていうことかなと思う。 いまはちょうど眠気の波がない状態なので元気なのだけれど、またまた栄養ドリンクの力を借りないといけないだろうな。 やれやれ。
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お知らせ
やっぱり最近はPizzicateをよく聴いているのです。
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