Sun Set Days
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2003年10月28日(火) ビターチョコ

 ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』

 ビターチョコ[前編]


「駄目だ……マンネリ化に陥っている……!!」

 某お菓子メーカー部長佐藤俊夫は頭を抱えていた。来春の新製品のお菓子のアイデアが湧き出てこないのだ。
 いまや新製品の開発スパンは短くなり、苦労して世に送り出したお菓子が、わずか一月もしないうちに半額セールのワゴンに置かれてしまう。昔は定番のお菓子がヒットすれば、それだけで3年間は持ったものだった。しかし、現在では売れ行きはPOSデーターですべて参照され、人気がない商品であれば一瞬のうちにそれこそ突風に吹かれてしまったかのように消えてしまうのだ。

「競合他社はどういう新製品を考えているのだろう……」

「いや、そのようなことを考えている時点で、すでに勝ち目のある製品を作ることはできない……」

「そのアイデアはすでに昨年試して失敗している……」

 佐藤俊夫の頭の中を様々な思いがよぎる。二十年前、意気揚々と仕事を始めたとき、自分はたくさんの人に愛されるお菓子を作るんだと意気込んでいた。そしていくつかのお菓子はヒットを飛ばし、道端で子供たちが自分の作ったお菓子を食べているのを見ては胸の奥が熱くなったものだった。けれども、いまでは自分の作ったお菓子を食べている女子高生を見ても、むしろ消費されている現実に胸が痛くなるのだった。

「もしかすると、自分はもうお菓子屋ではないのかもしれない……」

 社内では、お菓子作りに情熱を傾ける男たちのことを、照れくさい自嘲を込めながら「お菓子屋」と呼んでいた。お菓子屋の誇りにかけて、愛されるお菓子を作ってやるというのが佐藤俊夫の世代の合言葉だった時代があったのだ。けれども、最近の新入社員たちは、優秀であるがマーケティングだとか、ネット世代とのコラボレーションだとか、わけのわからない言葉をまくしたてている。もちろん、マネジメント能力と実績をかわれ部長にまでなった佐藤俊夫だ。それらの言葉の意味もよく理解している。けれども、そこには本質的な何かが、お菓子作りには絶対に必要な何かが欠けているように思えてならなかったのだ。

「もう自分のお菓子作りは古いのかもしれない……」

 片道一時間半かかる通勤電車の中で周囲のサラリーマンたちをぼんやりと見やりながら、佐藤俊夫は自分を駆り立てていた情熱のようなものが、消えかけの焚き火のように、徐々に小さくなっていくのを感じていた。窓越しに見える暗い夜の郊外の景色は、自分が引退する日が近いのだと小さな声で囁いているように感じられてしまう。

 家の近くのコンビニで、自分の会社の作ったいくつかのお菓子を順番に手にとっては、元に戻す。この中で、来年にまで売り場に置かれるお菓子ははたしていくつあるのだろう。そんなことを思うと、妙に心が寂しくなる。OL風の若い女が、最近自分が手がけたお菓子を手に取る。それはやっぱり嬉しいことではあったが、彼女はきっと明日には違うお菓子を手に取ることだろう。自分が情熱を傾けてきたことはその程度のことでしかないのだ。

 もちろん、たかがお菓子といわれてしまえばそれまでだったが。




「だからっすねえ、やっぱり驚きっていうのが必要だと思うわけ。いわゆるオー、サプライズ! みたいな?」

 若手の社員の一人がそう言う。派手な色のワイシャツに、ネクタイも締めずに第一ボタンをあけている。典型的な最近の社員だった。若者の感性がお菓子のアイデアに欠かせないとか言って会社が重用している一人だった。佐藤俊夫もそのことには異論はない。実際のエンドユーザー世代の価値観を持った社員がアイデアを出すことの有用性は決して小さなものではない。それはわかる。けれども、どこか釈然としないものを感じていた。そのためか、いきおい若者たちの意見に噛み付くようになる。だから最近の企画会議では、佐藤俊夫はもっぱら反対意見ばかりを言う嫌われ者のような存在だった。

「鈴木君は驚きって言うけどな、具体的にはどういうことなんだ」

「また具体的に、ですかぁ? たとえばー、他社のお菓子ですけど『きのこの山』を開けたら、中身が全部「たけのこの里」だったみたいな驚きって言うんですかぁ? ポッキーを開けたら、中身が全部プリッツだったみたいな」

「それは驚きとは言わないだろう」

「いやいや、喜びますよ。『おいおいきのこじゃなくてたけのこかよっ!』って。仲間内で突っ込むのがブームみたいな」

「…………」

「あと、『きのこの山』で言うなら、白にピンクの水玉模様にして、『毒きのこの山』とか。最近ちょっとダークなテイストが流行ってるから、いいっすよ、結構」

「…………そうか」

「部長ももうちょっと頭柔らかくしたほうがいいんじゃないですか。だって、部長の作った最後のヒット作って、『バリバリせんべい バリゴリ』じゃないっすか」

「あれはかなりのヒットだった。男らしく、バリッと音を立てて食べるせんべえという一大ジャンルを築き上げた」

「そういうの過去の成功体験にしがみついてるって言うんすよ」

「……なにぃ!!」

 思わず若手社員につかみかかりそうになるのをちょうど自分と若手世代の間にいるバブル期の社員が止める。かつては新人類と言われた彼らも、いまでは中年の次のリストラ候補の槍玉に挙げられ驚くほど従順になっている。

「やめてくださいよ佐藤部長。そんなふうに感情的になったら負けですよ」

「…………くっ」

「あー、怖い怖い」

 若手社員がそういって、やれやれというジェスチャアをする。佐藤俊夫は黙って、頭を冷やすために会議室を出て行った。



 ぴょん太:ゴリ先輩……

 ゴリ先輩:おう、どうしたぴょん太

 ぴょん太:おやつの時間でっせ

 ゴリ先輩:おう、おやつかぁ。

 ぴょん太:おやつでっせ。

 ゴリ先輩:おやつと言えば

 ぴょん太:おやつと言えば

 ゴリ先輩:これだよこれ……(ゴリ先輩大きな丸いせんべえを取り出す)

 ぴょん太:うっひょー、うまそー

 ゴリ先輩大きく口を開けてせんべえを食べる。

 バリッ、ゴリッ、グシャッ、ムシャ、ムシャ……

 ゴリ先輩:んーっ、うっまーい。サイコー。

 ぴょん太:バリゴリですね、ゴリ先輩。

 ゴリ先輩:おう。最高だぜこりゃ。

 ぴょん太:男のおやつ、バリゴリせんべえ バリゴリ。新発売っ。

 ゴリ先輩:よろしくぅ。




 佐藤俊夫は社内の昔のテレビCMを集めた記録室の中で、自身の最大のヒット商品である「バリバリせんべえ バリゴリ」のコマーシャルをぼんやりと眺めていた。バリゴリは大ヒットし、街中で大きな丸いせんべえを大きな音をたてて食べる若者たちがたくさんいた。コマーシャルに出てくる番長風のゴリ先輩と、丁稚風のぴょん太のキャラクターも当たり、ぬいぐるみなどの関連商品も記録的な売れ行きを示した。

(過去の成功体験、か……)

 佐藤俊夫は薄暗い記録室の中で、ゆっくりと首を二度振った。






 次回ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』は、「ビターチョコ」[後編]ゴリ祭りをお送りします。


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ビジネスドラマ『ミッション・インポッシブル』

 ビターチョコ[後編]ゴリ祭り


 結局、企画会議で選ばれたのは若手社員の推した新商品「トゥインクル・スター」だった。ピンク色の星の形をしたチョコレートは確かにかわいらしく、女子高生やOLが好みそうな形をしていた。しかも、中には肌に優しいなどの健康的なサプリメント10種類のうちの何か1粒が入っていて、そのどれが入っているのかわからない(けれどもどれも体にはいい)というところがちょっとしたサプライズとして非常に受けていた。
「トゥインクル・スター」のヒットで売上高が上がり、株価は上昇し、会社はニュースになればと、企画部の部長に「トゥインクル・スター」の発案者でもある若手社員を抜擢した。それは若者向けお菓子のトップメーカーを目指すための方針転換であり、そのことを内外両面にアピールするためのものでもあった。

「な……」

 そのニュースに何より驚いたのは佐藤俊夫だった。企画部のそれまでの部長は自分だった。自身ではよいアイデアが生まれないまま、若手の推す「トゥインクル・スター」を半ば放置するように認めたのは事実だったが、だからと言ってまさか自分の地位までが代えられてしまうとは思わなかった。まさに青天の霹靂、寝耳に水とはこのことだった。

「佐藤君、君には重要なポストであるゴリ事業部に行ってもらう。ゴリ先輩の産みの親としては、最高の部署だろう」

 常務に呼ばれ、佐藤俊夫はそう告げられた。ゴリ事業部とは、かつての大ヒット商品「バリバリせんべえ バリゴリ」のメインキャラクターであるゴリ先輩のライセンスを管理する事業部であり、様々なメーカーに、ゴリ先輩グッズの販売を許可する部署だった。

「…………」

 佐藤俊夫は黙って辞令を受け取るしかなかった。ゴリ事業部はかつて会社の花形だった。しかし、ゴリ先輩ブームの衰退と同時に、ライセンスの許可を求める企業も激減し、いまではゴリ先輩Tシャツを作る地方の繊維メーカーとの取引があるくらいだった。

 それはつまり、事実上の窓際への配置転換だった。

 社内で新しい企画部部長とすれ違ったときに、「あ、おはようございます。ゴリ先輩……じゃなかった佐藤先輩」と呼ばれた。佐藤俊夫は黙って会釈をして通り過ぎるしかなかった。もちろん悔しかった。しかし、ビジネスの社会では結果がすべて、しかも現在の結果がすべてであり、それは冷酷な運命であっても受け入れるしかないことだったのだ。

「佐藤部長。どうしたんですかぁ、浮かない顔して」

「この顔は元からだ」

「まったくぅ、部長がこんなだと事業部として活気が出ないですよ。ほら、笑って、元気出してくださいよ」

 佐藤俊夫は顔を上げて、目の前にいる田島里香を見た。ゴリ事業部の4人だけの社員の一人で、入社2年目の新人だった。ゴリ先輩好きで、最初からゴリ事業部に配属されることを希望していた変り種だった。部屋にはぬいぐりみやマグカップなど、様々なゴリグッズで溢れているのだという。天真爛漫な、明るいが少し変わった子だった。

「元気になれって言っても、難しいんだよ。なかなか」

 そんなふうに言うのは、入社5年目の宍戸太一だ。大得意先との接待の席で相手の専務にビールをかけたという伝説を持っていて、そのためクビにこそならなかったがゴリ事業部に飛ばされてきたというわけだった。もちろん、噂によると接待に同席していた女性社員にセクハラを働いた相手にビールをかけたのであり、よくやったと影で喝采している者も多かったのだが。

「…………」

「もう、ムスッとしてばっかりなんだから。そんなんじゃゴリ先輩に殴られますよ」

「ゴリも呆れてるよ」

 奥の机の上でクロスワードパズルを解いていた橋本幸信が顔を上げて言った。佐藤俊夫と同世代の、ぐうたら社員と呼ばれている男だった。
 つまり、佐藤俊夫の新しい部署は、社内のつまはじき者が揃った城だというわけだった。


 ゴリ事業部の仕事はたいしたものではない。地方のスーパーや百貨店の催事場にゴリグッズ売り場を設けて販売応援に行ったり、ゴリ先輩Tシャツの新デザインにOKを出したりするくらいだ。新しいゴリ先輩グッズの作り手は現れず、開拓に行っても断られるばかりだった。

「あぁ? ゴリ先輩? おたく、まだそれやってんの。もう過去でしょ、過去」

「落ち目なキャラクターほど、リスクの大きいものはないんでね」

「『よろしくぅ』って、言ってみなよ。声まねでさ」

 それでも、佐藤たちは諦めずに多くの企業を回った。佐藤は新入社員だった頃の、営業部員だったころのことを思い返していた。あの頃は自分たちのお菓子をスーパーの棚に置いてもらうことに必死だった。売り場のチーフに交渉して、棚を商品ひとつ分だけ空けてもらったときの嬉しさといったらなかった。見込みのない外回りは確かに厳しかったが、当時のことを思い出すことができて、嬉しい面もあったのだ。

「あーっ、なかなかうまくいかないもんですねえ」

 営業の途中で公園で休憩しているときに、宍戸がそう言った。

「ま、こういうご時勢だからな。誰も忘れ去られたキャラクターなんか使いたがらんさ」

「悪くないと思うんだけどなあ、ゴリ先輩」

「そう言ってもらえると癒されるよ。お前じゃなく取引先に言ってもらえれば最高なんだがな」

「だって、なんだかゴリ先輩って、いまの日本人が失いつつある義理人情に厚そうな感じがするし、男っぷりがいいというか器が大きそうな感じがするもん。ぴょん太だって、普段乱暴で殴ったりするゴリ先輩をそれでも慕ってるわけでしょ」

「まあ、そうだな」

「そういうキャラクターって、むしろこれからの時代に必要な気がするんだけどなぁ」

 佐藤俊夫は目を細めて聞いていた。確かにゴリ先輩は時代遅れのキャラクターだ。けれどもどこかバンカラなその風貌と性格は、いまの時代の人々が忘れてしまっているものを持っている。どこか懐かしくて、心の底から信頼できるような……決して裏切らないような。

「もう一度……」

「え?」

「もう一度、ゴリ先輩にいい夢を見せてやりたいな。心が奮える、熱い夢をさ……」

「佐藤部長……」

 それからしばらくの間、佐藤俊夫は毎日ゴリ先輩のことばかりを考えていた。通勤途中に開く小さな手帳に、ゴリ先輩ワールドの詳細を書き込んでいった。ゴリ先輩の通う動物高校の他の生徒たち。マドンナのうさ子に、ライバルのウルフ。ずるがしこいキツネに、学級委員長のクマ五郎。ふくろうの校長先生。そこで起こる様々な事件とその後に深まる友情。次から次へと世界観が整えられていった。森の動物たち。せんべえが大好きなゴリ先輩と、彼を慕うウサギのぴょん太……

「うさ子が好きなものはなんだろう」と佐藤俊夫が質問を投げかける。

「そうね……やっぱり可愛らしいものよ。女の子らしい女の子って感じ。ビーズとかきれいなもの」と田島里香が答える。

「ライバルのウルフとはいつもいろんなことを競っている方がいいですよね。あと、キツネが競争になるたびにゴリ先輩の邪魔をしようとして罠を張り巡らせるんだけど、最後には自分ではまっちゃうとか」宍戸が楽しそうに言う。

「ふくろうの校長先生はめがねをかけているほうがいいな」と橋本までが話に入り込んでくる。

 ゴリ事業部は、少しずつではあるけれど変わり始めた。

 彼らは森の動物たちの世界観を整え、ゴリ先輩を中心とした物語をコンセプトを作り始めた。そして、それをアニメ制作会社に持ち込んだ。ゴリ先輩をアニメ化し、その人気にあやかってお菓子を売ろうと考えていたのだ。それはうまくはまれば、爆発的なヒットを見込めるはずだった。

「……ゴリ先輩ねえ」

 アニメ制作会社のプロデューサーは、最初は斜に構えていた。営業に出向いた多くの会社の担当者同様、ゴリ先輩は彼にとっても過去のキャラクターだったのだ。人は落ち目のものには冷たい。けれども、佐藤俊夫たちはそれまでは確実に変わっていた。
 けれども、4人で乗り込んだ佐藤たちには簡単には追い返すことのできないような不思議な気迫があった。佐藤たちは熱く、熱っぽくゴリ先輩をめぐる世界について語った。話を聞いているうちに、プロデューサーの目つきが変わってきた。かつて一世を風靡したキャラクターで、子供の人気は高い。リバイバルブームを起こすことができたら、これはもしかしたらいけるかもしれない……それに、友情などを重んじる世界観も、子供向けのアニメとしては適している。

 プロデューサーは賭けにでた。「……わかりました。佐藤さんたちの熱意に負けました。やりましょう。ゴリ先輩に、もう一度スポットライトを浴びてもらいましょう」と言ってくれたのだ。

「やったぁ!」

 ゴリ事業部がひとつになった瞬間だった。それからは殺人的な忙しさが続いた。アニメは子供を中心に大ヒットし、森の動物チョコも大ヒットを飾った。様々な企業がライセンスを取得したいと名乗り出て、ゴリ先輩は一お菓子のキャラクターの枠を飛び越えて愛されるようになった。

 一方、佐藤俊夫がかつて所属していた企画部は、「トゥインクル・スター」の生産が追いつかずに、中のサプリに日本では認められていない着色料を使用している商品ができてしまったことが明らかになり、批判の矢面に立つことになった。会社を評判は落ち、売り上げは落ちかけたが、それを救ったのがゴリ先輩関連商品だった。佐藤はまさに、会社の救世主となったのだ。

「……佐藤君。今期の決算が増収増益になったのも、すべて君のところのゴリ事業部のおかげだ。本当にありがとう」

 社長室で、自分にゴリ事業部行きを命じた常務がそう言った。社長は佐藤俊夫に近づき、感謝の言葉をくれた。いまではゴリ事業部は三十人の大所帯となっていた。アメリカでのアニメ放映スタートと、森の動物チョコの発売も決定した。佐藤俊夫は自分たちの部署に、夢と感動という言葉を飾るようになった。お菓子にはやっぱり夢がなければならないし、感動やうれしさを与えなければならない。
 心の底からそう思ったし、いまではもうそのことに疑いを抱くことはない。


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