Sun Set Days
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2003年12月18日(木) 夜更かし

 17日の仕事帰りに、8人で牛角に行ってきた。職場を出たのが22時半過ぎだったので、店に入ったのが23時で、店を出たのが午前1時過ぎ。やっぱり焼肉はおいしいよなと思いながら、みんなでくだらない話に笑いながら食べていた(どれくらいくだらないかと言うと、車を出してくれた人に向かって、後輩たちが「あーあ、仕事の後のビールって最高ですよねえ!」と散々アピールすることとか)。
くだらない話はいつだって楽しいし、日々のなかにある笑いはやっぱり大切なものだなと思う。散々笑って店を出た後、後輩の車で送ってもらい、部屋に着いたのは午前2時少し前だった。


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 深刻さとおかしさとについてときどき考える。深刻なだけの人はいないし、おかしいだけの人もいない。もちろん、人によって程度の差はあって、どちらか寄りということはあるけれど(たとえば、いつも深刻そうだとか、いつも笑っているだとか)、誰にだって喜怒哀楽と呼ばれるような感情の波や幅があるので完全にそればかりということはない。そのバランスのようなものは、自身が置かれた様々な場によって変化していき、誰かといるときと一人でいるときとで異なるし、その誰かが異なっていても結構大きく変わってしまう(たとえば友人といるときと家族といるときとの違いは誰しも心当たりがあるだろう)。それだけ幅があることが個人の多様性なのだろうし、一人の中に本当に複数の状態があって、杓子定規的に、ステレオタイプに図れない部分でもあるはずだ。

そして、そのどれもが事実としては本当の自分(の一側面)であるわけだから、本当の自分がどこか別のところにいるだとかいうのはちょっと違った話になってくると思う。一人で真面目に何かについて考えているときも、友人たちと笑っているときも、自分が属する集団のなかでたとえば何かを我慢しているときも、すべて自分の一側面であるのだ。それをこれは本当の自分じゃないとか言い出すと、きりもないし、精神的に健康な状態ではないように思う。

今の状態は本当の自分じゃないというようなことに頭を悩ませている人が以前いて、そういうのって疲れることなのだろうなと思っていた。事実は事実であるので、現状を受け入れることはとても大切だし別に何かを放棄したり諦めたりすることでもないと、そう思えたのだけれどその言葉は届きそうもなかったので言わなかった。まずは最初に自分自身を自分でちゃんと受け入れること。よいところやだめなところ、現在の状況、そして未来の希望や願望、そういった様々な状態すべてをまずは受け入れることがとても大切なことだと思うのだ。あるいは事実は事実として認めること。事実をまずは受け入れた上でないと、前向きな意味での現状否定も正しいベクトルで行うことはできなくなるはずだし。
 事実が前提でない場所でコンパスを手のひらに載せていたとしても、その方位針がさしている北が本当に北かどうかなんてどうして信じられるのだろう? と思うし。

 いずれにしても、いろんな自分がいて、どの自分も好きだとか言うとまたちょっと変な感じはするけれど、自分の好きなトーンとか、自分の中の規準だとか、そういったものはちゃんと自分でわかっていたいなと思う。そうしたら、深刻さもおかしさも、どちらも自分の中の一部の要素であるということがもっと正しい形でわかっていくはずだし。


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 今日の夜は、やっぱり仕事が終わった後、後輩と一緒にファミリーレストランに行った。今度社内の試験を受ける後輩のレポートの中身を考える手伝いをしていたのだ。
 その後輩は、その社内の試験(昇格試験のようなもの)に絶対に受かりたいと思っていて、とても力を入れて勉強をしている。そんなふうに頑張っているので、出来る範囲で手伝ったり応援をしたりしようとはやっぱり思うし。
 それで、部署の問題点をひとつ挙げ、その問題点が何に拠るもので、どんな解決策があるのかということをまとめる論述問題があるのだけれど、それについて一緒に考えたのだ。と言っても、基本的には本人自身が考えるべきことなので、質問を繰り返して整理してもらうような形を取ってみたのだけれど。
 そういえば、昨年も別の後輩(今年の後輩の一年先輩)のレポートを、やっぱり同じファミリーレストランの、同じような場所で添削したりしたよなということを思い出したりもした。昨年の後輩は合格して、その後で食事をおごってもらったのだった。
 もう一年が過ぎたのだと思うと、早いよなとあらためて思う。


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 お知らせ

 明日は休日で、やっぱり夜更かししてしまっているのです。


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