Sun Set Days
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昨夜遅くにいつものようにネットのニュースを見ていたら、とある文字が飛び込んできた。それは訃報で、藤田田が心不全で亡くなったというものだった。 今日の新聞(読売新聞と日経MJを見た)でも紙面を割かれ、日本マクドナルド創業者としての紹介をされていた。 そう、日本マクドナルドの創業者だった藤田田が亡くなったのだ。 それは結構ショックだった。以前著作を読んで以来、すごいなと一方的に思っていたからだ。そもそも、僕は社会人一年目まではほとんどマクドナルドを食べたことがなくて、藤田田の本を読んでから感銘を受けて、この人の会社なのだからとマクドナルドによく行くようになったのだ。それからはまるで中毒のように(と言うと少し言いすぎだけれど)マクドナルドでハンバーガーを食べ続けた。元々ファストフードは好きだったこともあり(それまではモスバーガーによく行っていた)、随分と長い期間はまっていた。 日経MJの記事を少し引用すると、
藤田氏は東大在学中の1950年に雑貨貿易の藤田商店を創業。ブランド品の輸入などで頭角をあらわす。71年、米マクドナルドと合弁で日本マクドナルド、89年は米トイザラスとの合弁で日本トイザらスを設立。それぞれ日本最大の外食チェーン、玩具専門店チェーンに育てた。
と書かれている。このわずか数行の文章だけでも、稀有な人物だったことがわかる。「勝てば官軍」という言葉が座右の銘だった人らしく、その言動は豪快なパワーに溢れたカリスマ経営者的なものだったそうだ。 ただし、右肩上がりだった成長は最後には頓挫してしまい、02年に日本マクドナルドははじめて赤字に転じ、藤田田は会長兼CEOに退き、03年には健康状態を理由に退任し、藤田商店と日本マクドナルドとの間に交わされたコンサルティング契約も破棄された。終わりこそそのような形になってはしまったけれど、間違いなく戦後を代表する経営者の一人であり、偉大な人だったのだと思う。それだけにネットでニュースを見つけ、また新聞で特集記事を読むにつれて、なんだか妙に寂しくなってしまったのだった。
個人的な話で言うと、今年からマクドナルドに行くことを止めていた。深い意味はないのだけれど、健康のことを考えて回数を減らそうと思っているうちになんとなく入らなくなっていた。あんなに好きだったのに、一週間に一度は食べたくなっていたのに、いつの間にか別に行かなくてもよくなっていた。これは正確な数なのだけれど、今年に入ってからはまだ朝に一度入っただけだった。
今日、今年2度目のマクドナルドを食べた。それは個人的には藤田田氏への追悼の意を表してだった。明日からはまたたぶんほとんど食べなくなるのだと思う。けれども今日は、一時期とても好きだったマクドナルドを、藤田田氏の死を悼んでハンバーガーを食べた。職場の人たちが今年すっかり食べなくなってしまったマクドナルドのハンバーガーを僕が食べているのを見て、「どうしたの?」とか、「どうしたんですか?」と驚いて訊いてきた。そのたびに僕は思っていることは同じ重さでは伝わらないだろうなと思いつつ、日本マクドナルドの創業者が亡くなったことと、その人の著書を読んでからマクドナルドに行くようになって好きになったことを簡単に説明した。 もちろんそんなのは変わっている。 けれども、思い入れのあることなんて人それぞれだ。僕は23歳から29歳くらいまでの間、マクドナルドにかなりの頻度で行っていた。それは他愛のない、本当にささやかなきっかけからはじまったただの習慣だ。そしてそれがなくなってしまって、今日一日だけ復活した。藤田田氏は縁も所縁もない人だけれど、それでもなんだか、やっぱり妙に寂しいのだ。
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お知らせ
ご冥福をお祈りします(今日はチーズてりたまバーガーのバリューセットを食べました)。
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