Sun Set Days
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2004年07月01日(木) 『原則中心リーダーシップ』+久しぶりの運転

 この1週間は結構忙しく、店での業務の合間に2泊の出張などもあって、慌しく過ごしていた。そして、その出張の移動時間(新幹線と飛行機の中)で以前から少しずつ読み進めていた『原則中心リーダーシップ』を読み終える(スティーブン・R・コヴィー著。キングベアー出版)。
 これは『7つの習慣』の著者が、その本の中で述べていた原則中心の姿勢やあり方を、リーダーシップと関連付けて説明しているものだ。前著が概略の説明的なものだとしたら、ビジネス(あるいはリーダーシップ、組織論的)応用編という感じ。個人的に『7つの習慣』が結構好きなので手にとっていたのだ。
 語られていることは、『7つの習慣』とほとんど変わらない。もちろん、原則中心のアプローチ自体が変わるはずはないのでそれはまあわかってはいたことなのだけれど、インサイド・アウトやWin-Winの法則など、前著で語られていた単語が頻出してくる。別段難しい内容ではないのだけれど、前著を読んでおくと当然のことながらより理解が深まるだろう。
 この本で書かれている内容を説明するには、いくつかの部分を抜粋した方がいいと思うので下記に引用。


 農場で「詰め込み」が通用するだろうか? 春に種蒔きを忘れ、夏は遊んで過ごし秋になってから必死に作業して収穫を得ようとする。そんなことが通るわけがない。農場は自然のシステムの下にあるからだ。きちんと対価を払って、決められた手順を踏まなければならない。蒔いたものしか収穫できないのだ。そこに近道はない。(75ページ)


 そして地図をコンパスに持ち替え、経営者自身や社員が、正しい原則や自然の法則を指し示すコンパスを使って歩むようになるべきだと思う。なぜなら、不正確な地図を持っていると道に迷ってしまうからである。そのような地図を持ったまま、もし誰かに「もっと一生懸命やれ」と言われたら、あなたはもっと早く迷ってしまうだけだ。もし「もっと前向きになれ」と言われたら、今度は迷っていることさえ気にしなくなるだろう。これは勤勉さや態度の問題ではない。不正確な地図にすべての問題の原因があるのだ。あなたのパラダイムや考え方のレベルが、あなたの持つ現実世界の地図にあらわれているのだ。(……)地図(価値観)によるマネジメントからコンパス(自然の法則)によるリーダーシップに変えていかなければ、こうした問題は解決しない。(142ページ)


 豊かさマインドとは「この世界には、私の夢をかなえるのに十分なだけの天然資源、ヒューマン・リソースがある」、そして、「誰かの成功によって私の分が減ることはない。同様に私の成功が必ずしも他人の失敗を意味するわけではない」という骨身に滲みこんだ信念である。(……)
 もし人生をゼロサム・ゲームと見るなら、誰かの勝利は自分の負けになるわけだから、物事を競争や対立の観点で考えるようになる。(……)豊かさマインドを持つ人は、交渉においてはWin-Winの原則を採用し、コミュニケーションにおいては理解してから理解されるという原則を用いる。こうした人は、積極的な意味でも消極的な意味でも、他人を負かしたり勝ったりすることや、他人と自分を比べることで満足を得ることはない。(……)
 豊かさマインドは心の安定から生まれるものであり、人の評価、比較、意見、あるいは財産や交友関係から得られるものではない。心の安定をそうしたものから得ている人は、それらに依存するようになる。彼らの人生は、安定の源に起こることに影響を受ける。(……)原則中心になればばるほど、私たちは豊かさマインドを発達させ、力、利益、評価を共有することに喜びを感じ、他人の成功や幸福、達成や評価、幸運を心から祝福することができるようになる。そして他人の成功は自分から何かを奪うのではなく、自分の人生にプラスになると思えるようになるのである。(226-228ページ)


 マネジメントとリーダーシップの違いは何か? マネジメントは眼鏡をかけて仕事を遂行するが、リーダーシップは眼鏡のレンズを調べて言う。「これは正しい考え方だろうか?」。マネジメントはシステム内部でシステムを動かすが、リーダーシップはシステムそのものを扱う。リーダーシップは方向性、ビジョン、目的、原則、目標、社員教育、企業文化の育成、信頼口座の開設、社員の成長などの分野を担当し、マネジメントは管理、ロジスティクス、効率性を扱う。リーダーシップは目標を管理し、マネジメントは結果を管理する。(383ページ)


 主体的な人ならば、組織のさまざまな状況下で、他者の意見を総合し、経験をとおして自ら意識的に視野を広げることができる。想像力を発揮して、自分自身に問いかけるのだ。「組織にとって一番大切なものは何だろう?」「どんな貢献ができるのだろう?」「私たちが行っていることの意味は?」「私たちの役目は?」「私たちはどうなりたいのか?」「私たちは何を達成したいのか?」真剣に検討することによって、広い視野で物事を考えるようになる。自分の一番よい部分を探求し、組織のすばらしい点を考えることで、本当の相乗効果が生まれてくる。相乗効果とは、違いを尊び、相違点に価値を見いだすことによって、最善の解決方法を生み出すプロセスである。(439ページ)


 というような感じだ。500ページ弱の本の中に、上記に書かれているような内容が繰り返し語られているのだ。『7つの習慣』を読んでその原則中心のアプローチ(これが難しい……)を実践できているのなら、本書に書かれているような説明は必要ないのかもしれないとも思う。けれども、原則中心のアプローチは農場の法則のような自然の法則にしたがっているため、読めば読むほど順序に従って、少しずつでも着実に実践していくしかないのだということがわかるようになっており、そういうことを認識する意味でもこの分量は効果的なのかもしれないとは思う。


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 今日は納車の日だった。午前中にディーラーの営業の人が駐車場まで車を運んできてくれて、鍵の引渡しや簡単な操作の方法の説明を終えた。
 ようやく、という感じだ。発売以来の異常な納期(注文後4ヶ月など)ではなかったけれど、それでも1ヶ月と少しは待ったことになる。その分喜びもひとしおで、毎晩楽しみにしていたわけではないけれど、それでもそろそろだなとか、もう少しかなとは楽しみには思っていたので、やっぱり嬉しくは思えたりした。
 以前も書いたけれど、購入したのはトヨタのプリウスで、グレードはG。色はシルバーで、ナビつき。別にエコについて強いこだわりがあるわけではないのだけれど、エコでないよりはエコであるほうがいいような気がするし、燃費がよいことはいいことだし、それに何と言っても形や装備などが気に入ってしまったのだ。
 車には基本的には興味がほとんどないので、長く使うことになると思う。そんなふうに思っているので、やっぱり愛着がわいてくるのだ。愛着を抱きやすいような、丸みを帯びたデザインでもあるわけだし。

 分厚い説明書群(とても読みきれないような量があるのだ)のポイントと思われるところだけを斜め読みし、早速ドライブに出掛けてきた。ドライブ、と言っても隣の市にある一度見てみたいなと思っていた店を見に行くというだけのことなのだけれど。
 横浜に住んでいた3年間は車なしだったので、あまりにも久しぶりの運転に結構緊張しつつ、それでも身体が覚えているのか(?)、クラクションを鳴らされたり、どこかをぶつけることもなく隣の市までの30分ほどの運転を無事に終えることができた。各地の様々なショッピング・センターを見ることは好きなことのひとつなのだけれど、車があるとそれはぐんとやりやすくなる。たいていのショッピング・センターというものは、郊外に位置しているからだ。
 また、休日にのんびりと近くの山の公園に行くとか、電車の駅の近くではないところにも、これからは気楽に行くことができるようになるのだ。それもやっぱり、随分と楽しみなことだ。

 プリウス(Gグレード)は少し変わっていて、車に鍵穴というものがない。もちろん何もないというわけではなくて、電子キーみたいなものがあって、それを入れるへこみのようなものはある。ただし、必ずしもそこに入れなければならないというわけではなく、そのキーをポケットに入れていても、ブレーキを踏んでパソコンの電源ボタンのような丸いPOWERボタンを押すと始動するのだ。あとはパーキングブレーキをはずし、ブレーキを踏み止めると、運転を始めることができる。それは結構便利な感じだ。また、シフトをRに入れるとナビの画面に車の後ろの映像が映し出され、駐車が楽にできるようにもなっているのも運転にあまり慣れていない身にはとても便利だ(さらに使ってはいないけれどパーキングアシスト機能もついている)。

 正直な話まだまだ3時間くらいしか乗っていないし、全然使いこなせてはいないのだけれど、これから少しずつでも使いこなし、乗りこなせるようになっていきたいなと思う。


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 夕方17時から歯医者の予約があったので、それに間に合うようにドライブを終わらせて部屋に戻ってきた。そして、歩いて10分ほどの歯医者まではとりあえず歩いて出掛けてきた。ちょうど外が涼しかったことと、どんなに近くに行くのにも車というふうにはしたくないなとなんとなく思ったからだ。
 結構(というかかなり)年配の歯科医がやっているその歯医者に行くと、いつも80年代のイメージを抱く。壁のポスターや機材なんかが、随分と年季の入ったものになっているためだ。今日も10分ほどで治療を終える。外に出ると、やっぱり気持ちのよい風が吹いていたので、そのまま散歩がてら近くのスーパーマーケットまで歩くことにする。空は当然まだ明るくて、それでも夕方特有の太陽の光に若干オレンジが混じり始めたような雰囲気があった。
 住宅地の中に唐突に現れるいくつかの田んぼでは、数週間前まではただの泥水だった場所を一面の苗が覆い、それが時折吹く微かな風に揺れていた。アメンボやら名前のわからない虫やらが水面を不可思議な動きで滑るように移動していく。その脇の歩道では中学生が連れ立って帰っていて、入り口を開け放した古い民家の前で、年配の主婦同士が笑いあっている。
 本当にのんびりとした平日の夕方という感じだった。
 一人暮らしで、普段は朝から夜まで仕事場にいると、どうしてもそういった日常感覚のようなものを薄く感じてしまいがちだ。けれども、そういう感覚を忘れてしまったら店での仕事は本当の意味ではできないんだよなということを改めて考える。店が職場なのでその場所を中心に考えてしまいがちなのだけれど、当たり前のことながらお客様にとって店は日常の中のわずかな時間訪れるだけの場所で、それぞれのお客様にはものすごく長い日常というものが存在しているのだ。そう考えたら、その場所をどんな場所にするべきなのかということを、もっと考えなくてはとも思う。

 さらに歩いていたら、田んぼのところに4人の小学生くらいの男女がいて、道路脇に横たわったりしゃがんだりして田んぼの中をかき混ぜていたりしていた。いまの子供もそういう遊びはしているんだな……と穏やかな気持ちになって通り過ぎようとしたら、なんと4人のうち1人がしゃがんでゲームボーイアドバンスをやっていた。4人ひとかたまりというような感じの場所にいても、自分だけ違うことをしていても不思議には思わないのか……なんだか、その田んぼと4人組と、ゲームボーイとが、妙に生々しく見えてしまった。この間読んだ雑誌に、いま子供が幼稚園で絵を書くと、腕や脚がない胴体だけの人間を描く子供がいるというものが載っていたけれど、なんとなく考えさせられる光景だった。
 そのゲームボーイをやっている子供も、画面を見ながら他の3人とは言葉を交わしていて、そういうのが当たり前であるようではあったのだけれど。

 スーパーでは牛乳とかりんごとか、いろいろと買う。そして、袋2つに詰めて外に出てから、「なんで車で来なかったんだろう……!」と思う。車がないときにスーパーに行って重い荷物を持つたびに、車があれば便利なのにと思っていたのだ。それなのに、車が来た初日に散歩がてらスーパーにきて、両手一杯に物を買ってしまうなんて……と自分のうっかり加減に自分で呆れて、やれやれと思いながら(でもまあいいやとも思いながら)部屋まで歩いた。


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 お知らせ

 ドライブ用の音楽は、Stacie OrricoとThe Corrsでした。


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