2003年01月14日(火) |
携帯電話とはなんだ!? |
現代の若者にとって携帯電話とは何なのだろうか?
考察1 新たなコミュニケーションチャンネルとしての携帯。 つまり、新しいもを若者が流行らせた、という可能性。
考察2 コミュニケーションの緩衝材としての携帯。 機械を挟む事でコミュニケーションで直面する他者の脅威を緩和する作用を担う存在としての携帯。という可能性。 実際、ボクはこの使い方を多用している。 ボクは告白の時でさえも携帯を使うような男だ。
考察3 神器としての携帯 宗教を成立させる上で必要な信者による実践において使用される道具、神器としての携帯と言う可能性。 「いまやTVこそが宗教なのだ」とカウボーイビバップで言っていた。ならば、携帯によって交わされるコミュニケーション、それは宗教活動と考えることは出来ないだろうか。
宗教とは、そこかしこに不確実性が存在する現実世界において絶対の安定を与えることで、不確実性に起因する不安から人々を救ってきた。と言えるだろう。
その絶対性は信者の信仰によって支えられる性質のものである。つまり、信者がみな同じ宗教を信じ、その教えを実践することで信者は互いに教えが正しいことを確認しあい、より不安から遠のく。そして、彼らは救われる。
ならば、携帯で交友関係が広がると信じている人がいるとすれば、それはある種の宗教の信者ではないのか。これ以降の考察はさらに複雑で長くなるため詳しくは省略するが、彼らは現代社会における本質的なコミュニケーションの不可能性という不安から逃れたい。そこで、みんなと繋がっていると言う幻想を信じるために携帯電話という神器を手にする。
そこで行われるコミュニケーションが本質的でないことに自覚的であるか無自覚であるかに関わらず、不安を感じているに違いない。その不安から逃れるため、彼らは携帯と言う神器を通じてみんなと繋がっていると言う教義を信仰しているのだ。
現在、携帯電話の所有率は非常に高く、圧倒的な数の信者を獲得したこの宗教は、大衆に新たな幻想と安心を与えるのかもしれない。他人と繋がっていられるなんて幻想でしかないのに。
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