amatelasuの日記

2005年09月24日(土) 中庸

自分を伝えるのは非常に難しい。
この日記を続けている理由の一つがそれだが、自分を他者に伝えることは、少なくとも僕にとっては一朝一夕に出来る事ではない。

それはともかく、僕が目指す所は言葉では説明しにくい。
言葉で説明出来るなら、それはもはやそれを捉えているのだろうと思う。
おそらく他人には言葉遊びに聞こえるかもしれないけれど。
僕が目指すのは真理というか真実と言うか、とにかく本当の事を知りたいのだ。

その道筋として僕は中庸を非常に重要だと考えている。
だから、僕がいつまでも中途半端なのはそのためだ。
真理に辿り着くには全てを知らなければならないような気がしている。
正しい道を行くならそれは賢者の道だろう。
でも、僕にはその道を行く力も勇気もやる気もない。
だけど、真理が真理たるならば、そうでない道もあるはずだと。
僕は僕のままでそこまで辿り着いてみたい。

とにかく、意味を同定することは、それがそれ以外である可能性を捨て去ることである。
ならば、物事を決定していく行為はそれが真理である可能性を捨て去る行為であると僕は感じる。

全てを疑え。

不勉強な僕はこの言葉がどの哲学者のものだったか忘れた。
中学生の時に読んだソフィーの世界に書いてあった。
それ以来、僕は全てを疑ってきた。
全てを疑うということは、明るみに出た事象を再び闇の中へ投げ返す作業でもある。
だから、僕はあらゆるものを闇に投げ込み、暗中模索することに自己を費やす。


K君へ。
とりあえず冬コミまで待ってくれ。
一人暮らしも就職も、とりあえず冬コミまで待ってくれ。
君はどうやら打てば響く人のようなので、打ち返されれば僕も響かなければと思っています。
どんな音色になるかはしばらく待ってくれ、ということです。



最後に。
この日記はエクリチュールなのでしょうか?
この日記は僕ではなく、「日記」というエクリチュールとして在る。
そんな感触があったけれど、まだ明確な実感にはなっていないので疑問形。
というか、自分で書いててこれは僕の言葉であって僕自身ではないなと思う。
難しい。
けど、止めるわけにはいかない。
いいわけになるからといって、それを言葉にしないのはダメだと思うから。
いいわけだろうが逃げだろうが、それが在ると感じるならばここに記さないといけないと思うから。

そして、何より思ったのは僕の言葉が時として自分を棚上げして非常に厳しいのは真理を真理として存在させようと欲しているからだろう。
現段階では現実の自己と大きく乖離した部分で現象する真理が在り得るという可能性を、僕は自分の中で残している。
だから、現実の自己を一切無視して毒を吐く。
そして、若く未熟なのでそれらと現実との境界線が曖昧になりやすい。
とにかく現段階としてやりたいようには出来ない。
だからと言って、僕が目指すところは時間がかかるのだから、こんなに早い段階で投げ出すわけにもいかない。
時に引き締め、時には緩めながら、もっともっと長く続けなければ見えてこないように思う。


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