学力とは、つまり想像力ではないのか?と思いついた。
手前味噌だが、前回の日記から着想を得たのだ。 例えば歴史であれば、近現代史が現代社会の実生活に繋がっていることを想像するのは容易である。 現代に繋がれば、そこで生きる自分に結びつける事も比較的容易なはずである。
しかし、例えば古代史をどうやって自分と結びつけるか? 自らと無関係な知識は役に立たないので実学とは言えない。 全ての学問を実学とするには、全ての知識を自らとの関連の中で捉えられなければならない。 つまり、それが学力なのではないかと思いついたのだ。
知識を自らと無関係な場所に放置していては、それはいつまで経っても意味を為さない無為な記号の集合でしかなく、いつまで経っても覚えられないし、役にも立たない。 しかし、その知識と自分の関係性については誰も教えてはくれない。 その知識をどうやって使えば役に立つのかも、誰も教える事は出来ない。 個々人でケースバイケースが過ぎるので、教える事は出来ないのだ。 自らが学ぶしかない。
無意味の海原に浮かぶ知識の孤島に、想像力と言う名の橋を架け、自らの世界に取り込む事によって意味を生み出していく。 その橋は自ら学ぶことによってしか築くことは出来ない。 故に、学力とはつまり、想像力ではないだろうかと思うのだ。
|