予想していたことだが、mixiではとうてい真実を刻むような日記は書けない。 そもそも、こっちでもそれが出来ていたかどうかは怪しいが、それに挑むことは出来たし、真実に迫ろうとしている実感はあった。
日々の生活の中で、現実感を失ってしまった。 真実に迫ろうとか、何かをやっているとか、生きている実感に乏しい。 何のために何をしているのか掴めない。 だから先も見えないし、そんな状況を打破するために環境を変えたくもなる。
とにかく、最近は毎日のようにそんな事を考えていて、だから日記にはそんな事を書きたいのだが、mixiにそんな事を書くのは躊躇われてしまう。 遠慮を覚えた、といいたいのだが、本心をさらす事に再び恐怖を感じるようになってしまったのだろう。
恐怖を感じるのほどに失いたくない臆病を手に入れたのと、怒りをもって他者に対峙する力を失ったのと、その二つが僕をただの卑屈なフリーターに甘んじるに抑圧している。
あの頃は日記の文章を書くと同時に、感情が刻み付けられている実感があった。 でも、今はこれが本当に自分の感情なのか、自信が持てない。 いや、何かすれ違いというか食い違いというか、違和感を感じる。 これじゃない。 そういう想いが頭の隅から消えない。 そして、現実感を喪失している。
遊びすぎたつけが回ってきたのだろうか。 あとは何も考えずに黙々と働くだけなのだろうか。 この先、何十年も人生はあるのに、何が出来るのだろうか。
今は不安しかない。
ああ、違うな。 不安の原因は分かっている。
けれど、書く事からしばらく遠ざかっていた僕は、不安の原因を曝け出す事が出来ないだけなのだ。 文字にしてしまって、あるいは衆知になってしまう事に怯えているのだ。
リハビリが必要だ。 少しずつ、少しずつあの頃の熱さを取り戻すために。
だから、mixiからこっちの日記へのリンクを絶ったのも、リハビリの一つの段階なのだ。
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