日々是迷々之記
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2001年08月27日(月) デコラ娘

デコラ娘とはデコラティブ娘の略で今日地下鉄の中で思いついた言葉だ。

イメージとしては上は浜崎あゆみ、下はモーニング娘。の人たちのような感じ。しかし、向こうは芸能人。こっちは一般市民。置かれた環境が違うので、おのずと磨かれていくセンス、資質も違うから、「デコラ娘」たちはただケバいだけなのだ。4人揃って、茶髪、ちょんまげをボンボンで止め、サンバイザー、ヘソ出し服。ゴールドのメイクのノリ悪しの中学生。

それが4人組でどかどかと昼下がりの地下鉄に乗り込んでくる。1人はゴマキ系を意識している。彼女がリーダー格のようだ。しゃべりでわかる。いきなりしゃがみ込んで鞄から携帯電話を取り出す。びびった。ヒップハングのジーンズの腰からパンツが出まくっている。それもいかにも中学生らしい、木綿系のプリントパンティ(履きこみ深し)なので服装とのアンバランスさが凄い。私のとなりのオジサン目が釘付け。その気持ちもわかる。スケベ心というより、「唖然」としてしまうのだ。しかもカプリパンツなのでふくらはぎはびちびち。上はキャミソールでボンレスハム腕の下に脇肉がモヨンとぶら下がっている。

そして得意げに携帯の着信音を品定め。おきまりのじゃかじゃか和音モデルだ。こんな2万円前後もするものを持っている扶養家族。大したもんだ。

こういう人たちがノホホンと生きていく事ができるわけだから、やっぱり日本は平和だと思う。「ニッポンの未来は〜イェイイェイイェイ〜」とかモーニング娘。が歌うのを聞いて、「お前に未来なんか語られたくないわい!」と憤慨していたが、ああいう世代のヒトが消費を先導しているのは事実。「流行り」を指針に買い物をするのはあの世代だけなのだ。

しかし、「流行」は残酷だと思うのは私だけだろうか?本質は変えずに表面だけ繕うから惨めなのだ。デコラ娘もそういう格好がしたかったらシェイプアップをして体を作り、群れずに輝ける絶対的な自分を持つべきなのだ。そうすればかっこよくなれる。似たようなもんが集まってしゃべっているだけなら、オバチャンの寄り合いとなんら変わることはない。

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最近の日記はこういう卑近な話題ばっかりになっていることに、ちょっと内省的になっている。なにかぐっと視線が伸びるような、気持ちのよい話題を書きたい。

今週末は1人でどこかへ行こうと思う。


nao-zo |MAIL

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