日々是迷々之記
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このことについてどう語るのか?昨日の晩から悩んでいた。例の米国多発同時テロのことだ。
とても複雑な気持ちである。事件そのものが大きすぎて、しかも映画のようでまったくリァリティがない。でも、命を失っている人たちがいる。
そして、その報道にまた複雑な気持ちになる。テレビのニュースでは現場にいたであろう邦人の消息についての情報ばかりだ。確かにそれも日本人として気になることだと思う。しかし、自分がその行方不明の人の家族であったとして、テレビが四六時中「消息が確認されてません。」の連発だったら悲しみが増幅されてしまう。もし、確認されれば外務省から直接連絡があるだろう。だから今の報道体制には意味がない。
「○○会社の○○さんの消息確認がとれません」家族にとって悲しみのだめ押しでしかない言葉が、芸能人の恋愛の進捗状況と同レベルに語られている。この国で本当の意味で被害者がいたわりを受ける日はくるのだろうか?
失望した私はテレビを消し、パソコンに向かう。 米国CNNのサイトで状況説明を追う。当然辞書はいるが、端的な文章、的確に推敲された見出しで、どんどん読み込んでゆくことができる。捜査状況、ハイジャックの軌跡、被害状況などを通して全体像が少しづつ見えてきた。
そして、出しあぐねていた米国に住む友人へのEメールにとりかかった。
" I promise to share the grief of the United States." (共に皆の悲しみを分け合いたいです。)
メールでしかやりとりのない間柄だが、遠く離れた土地でこういう思いを抱いている人間がいるということを知って欲しい。
それは私だけではないと思う。世界中にいるのだ。
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