日々是迷々之記
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| 2004年12月14日(火) |
ライフ・ゴーズ・オン。それでも人生は続く。 |
マッハの速さで週末は終わり、月曜日がやってきた。仕事が始まると一日2回の面会は時間的にきつい。早出をすれば晩の面会に間に合うかなぁといった感じだ。婦長さんに相談してみると、前もって伝えておけば時間の融通は利くという。
残業をやり、20時頃病院に駆けつけた。ぐうぐうとイビキをかいて寝ている。夜だから寝ているのかなぁと思っていたら、主治医の先生がやってきた。まだヤマを越えていないので…と言っていた。ヤマを越えれば後は回復を待つだけだが、今は悪化し続けているのだろう。
「よく眠ってますよね。」と言うと、寝ているというよりは意識がはっきりしていないのと、一生懸命呼吸しているので、いびきをかいているように聞こえるのだと言う。右手を握って、耳に向かって大声で話しかけても、反応はない。素人目には寝ているようにしか見えないのだが。
母は桁外れのヘビースモーカーだった。実家にいるとき、夏場に学校が終わって家に帰り、玄関のドアを開けるとぼわんと煙幕のような煙が出てきた。エアコンをかけながら締め切って、タバコを吸っていたのである。妹は「犬が肺ガンになるから別の部屋に犬を入れてから吸え!」と怒っていた。それくらい吸うんである。
一緒にカナダに行ったことがあったのだが、その時も恥ずかしいくらい吸いたがる。バンクーバーは公共の場所で一切の喫煙ができなかったので、レストランも禁煙席しかなかったのだが、食べ終わると、無意識にタバコをまさぐり吸いだす。灰皿はもちろんないので、カップの受け皿に紙ナプキンを折って乗せ、水でしめらせて灰皿がわりにしようとしていたのには呆れた。当然店から追い出される。バカだ。
それくらい吸うので、呼吸機能に問題があっても何も驚くことはないのだ。手術中もずっとぜんそくのような音を立てて息をしていたらしいし。
ぐずー、ぐずーといびきをかきながら眠っている姿は、実家にいたときコタツでうたた寝していた姿と変わらない。こんな近くで顔を見たことがあっただろうか。思い出すのは嫌なことばかりだ。私が母のことを好きだったのは幼稚園くらいまでだった。大好きなスヌーピーを刺繍した座布団カバーを作ってくれたり、そういう頃だ。
学校に入ると、うちが他の家と違うのが嫌でしょうがなく、なんでうちはこんなんなんだろうとばかり思っていた。その頃は父親が酒乱だったので父親が悪いと思っていたのだが、今となると、その原因は母親にあったのかなとも思う。
あの人の前では、皆が嘘をつかずにはいられないのだ。宿題をやったかと言われれば嘘をつき、誰それちゃんと遊んではだめと言われれば、はーいと言いつつその子と遊ぶ。父親は弟(私から見たらおじさん)が鬱病であることを隠していた。おじさんが自殺をしたとき、それがばれたのだ。しかもそのとき、血縁者にそういう人間がいることが分かっていれば結婚しなかったのに、みたいなことを言ったようだ。その頃から父親は外に事務所を構え(フリーの翻訳家だったのだ)、あんまり家に帰ってこなくなった。
父親は酒が好きで、自分のやりたいことしかやらないタイプで読書好き。白黒フィルムで写真を写し、英語が得意だった。幼稚園児に「天動説の絵本」だとか「マチスの画集」、「谷川俊太郎の詩集」、「スヌーピーのピーナッツシリーズの単行本」などをおみやげに買ってきていたので、かなり変わり者なんだろう。まぁ、私に近い。それに気が付いていたのか、母親は「あんたはあいつにそっくりやわ。」としつこく言った。
そっくりだからなんやねん!と言いたかったが、言えなかった。「だから気にくわない。」と言われるのが怖かったのだろうか。全ての親は子供のことを愛していると一般には言うが、私はそうは思わない。愛せないことももちろんあるのではないかと疑っている。
15分ほど眠っているような母親の顔を見ていた。この顔を見ているとそんな感じで嫌なことばかり思い出すわけだが、不思議と生き延びて欲しいと願う。これは本当に母を思ってのことなのか、それとも父のことなど今までのことを知りたいと思う自分の欲求のためなのか。多分後者なのだろう。
まぁ、左半身不随は決定なのでどれくらい会話ができるようになるのかはわからないのだけれども。もっともこの人は墓の中まで全ての秘密を持って行くつもりなのかもしれないが。
「日本酒記念館」のことを書こうと思ったのに、何故か三たび親の話になってしまった。「酒かすアイス」おいしかったのになぁ。
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