日々是迷々之記
目次|前|次
強い人間とは何を持って強いというのか。それはあくまでも相対的なものだと思う。つまり弱い物と比べたときに勝つことができるから強いわけである。
人類皆平等であると言われているが、それはあくまでチャンスが平等にあるというだけな気がする。受験と同じ感覚だ。中学校を卒業するときに成績とは関係なく受験したければどこでも受けることはできる。それはオール5の生徒だろうが、かけ算もできない生徒だろうがチャンスがあるという意味では一緒である。そういう意味のない平等である。大人になってくるとそれがよく分かるようになる。収入、ステイタス、職業。などなど色んな物差しで人は人より強くなったり弱くなったりする。
弱い人間として生きるより、強い人間として生きる方が何だかよさげではある。そこで強い人間として生きるにはどうしたらよいのか。それはずばり自分の得意なステージで勝負をすること、であると思う。極端に言えば、アメリカの腕相撲チャンピオンと腕相撲をしても勝てないが、「漢字の書き取りテスト」をすれば日本人ならたいがい勝てるだろう。
卑怯だろうがなんだろうが、それでも勝ちは勝ちなのだ。そこで自分が気持ちよく生きてゆくことができればもうそれは勝ち組なのだ。
それはどんな事でもいい。自分の得意分野で相手が自分より劣る部分を見つけてひたすら叩き、凹ませること。そうすればいつも勝つことができる。それは身体的なことでも精神的なことでもいい。自分が平均的体格で、相手が肥えていれば、「デブ。」の一言で勝つことができる。相手がおっとりしていれば「とろい。」すべて一言で片づくのだ。強者の論理はいつも単純だ。
それが今日一日学んだ全てである。分からないと思っていたことがわかる一瞬、みたいなもんがあるんだなと思った。
さつばつ、さつばつ。殺伐、殺伐。そんな音が聞こえてくる気すらする。生きていくのはパワーが要るよなぁ。
|