日々是迷々之記
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2005年12月09日(金) |
ミスザワールド「失われた世界」 |
私の好きなフレーズだ。この後にサムバディキルミー「誰かが私を殺すから」と続く。
一体自分とは何なんだろうと考えたときに、実は自分という物はないのではないかというのが最近の結論。誰かのイメージする私が複数集まって私というものがある。他人がいるから私というものがあるのだ。
今日は久しぶりに他人に頭を叩かれた。それ自体はふざけてやったことなんだろうが、力は強いわ、コンタクトは飛びそうだったわで、私は少しも楽しいとは思えなかった。それでも私は怒らない。誰も怒ることを期待していないからだ。要は、私は突っ込まれキャラだとみんな思っているのでそうしておいた。へらへらしておけばそれでオッケー。
こうやって文字を綴ったり、本を読んだりできる夜が好きだ。他人が介在せず、ただぼんやり漂う。時間は水のように流れてしまうので、会社勤めをする身としてはいつまでもその世界にいることはできないのだが。
他人と一緒だと結構大変だ。気を遣ってくれる人は疲れないが、ただ自分の思うままに空気を読まずに振る舞う人は一緒にいて時間の過ぎるのが遅くてうんざりしてしまう。自己主張することで自分を形作っている人はそうせずにはいられないのだろうが。
生きていくことに意味はない。ただとても大きな川の流れのようなものがあって、そこに漂っているようなものだと感じる。その小さな物が何をしようと結局は流れていくことに変わりはない。そう思えば楽もしんどいも、おもしろいもくだらないも、たいした差ではないのだ。
そんな流れの中で死んだり、生まれたりが何千年か何万年か知らないが続いている。大きな大きな川下り。そう思うと一気に力が抜ける気がする。叩かれようが、自己主張の土台にされようが、そんなことは小さなことだ。表面だけの小さな出来事。一喜一憂してもしなくてもいい。
どうでもいいって楽でいいなぁ。
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