日々是迷々之記
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今日は朝から電話攻めだった。母親の入院する病院から、そして派遣会社から。病院からは今日が手術だったのでまあしかたがないだろう。本来なら付き添うのが常識らしいが私は多忙と言うことでことわってしまった。が、しかし、「ねまきをセパレートからつなぎ型に変更してもいいですか?」とか、「術後に腹帯を使用してもいいですか?」などとわざわざ訊いてくるのには少々びっくり。過去にそういうことで文句を言った人がいたのだろうか。私はだめですと言う理由も思い入れもないので「はあ、はあ。」と答えてしまった。
派遣会社からは次の仕事のオファーだった。英語を使える、特に会話が多い仕事だが、ちょっと遠いんですよ、とのこと。調べてみるとバイクで通勤できるんならよさそうだった。月曜日に話を聞きに行くことに。
もうぼちぼち自分の生活に戻りたいなぁと思っていたのでタイムリーだ。母親の方も胃袋に直接栄養を入れるようになれば、栄養状態も向上し、今の骨川筋衛門状態から抜け出すだろう。
人生は必ずしも前向きに生きなければいけないわけじゃない。後ろ向きでも消極的でも生きていると言う事実には変わりない。ただその中で、自分の気持ちをどうするかというだけの問題である。息をひそめてその日を過ごすだけの人生だとしても、何かが心の琴線に触れてエンジンがかかることもあるだろう。そういうときにどうするか、というのがキモなのかもしれない。
そんなことを思った。
夕方家人と大阪駅で待ち合わせをした。混んだ電車に乗ると、幻聴というか耳鳴りというか、そういうものが聞こえてくる。ちょっとまずいなぁと思ったが混んでいる御堂筋線ではなく四つ橋線で移動をしたら普通に戻った。人混みはちょっと今の自分にはキツイようだった。
晴れの日もあれば雨の日もあって、くるくるとチャンスも回っている。はずれを引くのも一興。当たればラッキーだ。
そんなに構えて堅くなることはない。来れば受け入れるだけ受け入れて、消化不良なら吐き出せばいい。極論、ダメなら死んじゃえばいい。がんばれなくたって別にいいのだ。案外生きることは簡単で、バカみたいなヤツでも普通に生きている。がんばったからって必ずしも評価されるわけではないが、だらだらしてたからって天誅を受けるわけではない。どうにでも生きられるのが今の世界だと思っている。
そう思えば生きてることは楽なのかもと思う。生死の分け目だけを自分が握ってさえいれば。
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