日々是迷々之記
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2006年01月23日(月) おやこの絆

今日は朝からアタマが痛い。どうも昨日バイクに乗ったので風邪でも引いたようだった。昼頃ダウンして寝ていたら、狙いを定めたように電話がばんばんかかってくる。派遣会社、物売り、などなど。

派遣会社もなかなかやるもんで、私がやりたいと言った仕事とは別のを勧めてきた。同じ会社の同じ部署でやることがちがうらしい。経歴を見た先方がそっちのほうが向いていると判断してそう打診して来たとのこと。まあ別にいいんだけれど4月の末までの予定とのこと。その後はどうなるのか訊いてみたら、出来いかんによっては最初にやりたいと言った仕事に変われることもあるとのこと。こういうパターンだとまあ4月末で終わりだろう。でもまああんまりふらふらしているのもあれなんで、明日は面接に行くことにした。

夕方、区役所に印鑑証明を取りに行って帰ってくると、某区役所から電話があった。母親の生活保護の件だ。もう一度来いとのこと。私は全然行きたくないので仕事があるし、訊きたいことがあれば電話で言ってくれと言った。すると、どうしても直接会って話をしたいタイプの人みたいだった。来いとうるさい。それで何を訊きたいのか聞いたら、「この通帳にお金を振り込んでる○○さんて誰ですか?」という質問だった。知りませんと言ったら、こんな毎月お金を振り込んできているのにおかしいと思わないのですか?と言われた。

親の通帳に誰かがお金を振り込んでいたら、子供はそれについて知っていないとだめなんだろうか。悪いが私はあの人に関心はない。相手は私の他人行儀な態度を不審に思っているようだった。

「私は行きません。自分の用事があるのに他人に時間を割く気はありませんので。最も、私はあの人のことをあまり知りません。調べたいことがあったら興信所でも使って下さい。」と言うと、いや、そういう訳にはネ、それじゃ通りませんよ。と言われた。通らないもなにも、生活保護をもらえないと困るのは私ではなく、母親である。だめならだめでいいっすよ、と言った。すると今度は「申し立て取り下げ用紙に記入する必要があります。」とのこと。どれだけ他人が犠牲になれば済むのだろう。

この国のシステムは誰かが誰かを養うことが大前提でできあがっている。そのつながりが家族や国家を作っている。どうして独立した一個人という考えができないのだろう。今のままのシステムだと、とりあえず生んでおけば、将来老いたときにその子が面倒を見る。生めば生むだけ得なようになっている。「子供が親より先に死ぬのは最大の親不孝」とはよく言ったものだ。

そんな感じでゆううつのネタは尽きずにやってくる。もし生活保護が受けられなくて、私も病院代を払わなくなったら、どうなるんだろうか。うちに差し押さえが来るのかもしれないが、別にまあどうでもいい。何が起こってもこうやって日記のネタにするだけなので。

親子なんてこんなもんである。頼んでもないのに勝手に生まないでほしいもんである。めんどくさい。


nao-zo |MAIL

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