2004年03月30日(火) |
最近のハガレン(と) |
ここしばらく感想書いてなかったので、まとめて。
セントラルに戻って、第五研究所に入ってからは、文字通り息をも付かせぬ展開でしたね。 グリードが、キンバリーが、そして何とタッカーまでが登場(それもあんな姿で!)、死んだはずのグラン准将、スカーの腕の文様、賢者の石の原料、それにニーナ・・・なんて嫌らしくも上手い使い方するんでしょう。 鎧兄弟のキャラクターと最期はより悲惨になり、タッカーの妄執をこれでもかと見せつけられ・・・。 ほんとうに後味の悪い、それでも何かしら救いを残しているから、見続けられるんでしょうねえ。
そしてとうとう先週は・・・(T_T) 改めて思ったけど、ストーリーエディターの會川昇さんて、映像にしたとき映えるように言葉を選んでますよね。 漫画の台詞と比べても、ヒューズの埋葬の場面では土をかける音にいたいけな子供の声を繰り返し重ねて涙を誘い、墓前の大佐と中尉は逆に言葉少なくして内に秘めた悲しみを感じさせる。 また、「俺の下に付いて・・・」の台詞をもとに、ロイとヒューズの関係を掘り下げたのもいいなあ。 最後の別れの演出も切なかったですねえ。エドの無邪気な顔が尚更。。。
とまあ、毎回楽しんでいるわけですが。たった一つ、先々週を除いては・・・。 うーーん、やっぱわたしこの人駄目だわー。(脚本家さんね) 4話や10話に比べれば随分マシだったけど。 とにかく台詞が唐突なんですよね。気持ちを踏まえての台詞じゃないから、見ている方が「いったい今の台詞はどういう心情から出たんだ?」と疑問に思いながら話を追いかけなくちゃならない。それがあらかじめ用意された答えを導く布石なら判るけど、全くの放ったらかし、ならまだいい、その無理のある謎の台詞で物語を引っ張っていこうとするから、終わった後アゴ外れちゃうんですよねー。 トンデモ展開はもう諦めるけど、スカーとエドの会話がどーにもこーにも違和感ありまくりで・・・。 なんとかなりませんかねえ。 同じアゴ外れ展開でもうーさん、もとい浦沢義男先生みたくあまりのぶっとびぶりに気が付いたらすっかりウラサワールドの虜・・・あやめが今カーレンジャー通して見てるそうです。全編大爆笑だそうです。うらやましい・・・になるならいいんだけどなー。 眼前にイノウエ世界が開ける日が、いつか来るのでしょうか・・・
この一点というか一要素を除いては、ほーんとに面白い! アニメでの再構築が、残り半年をかけて最終的にどう練成されるのか、しかと見守りたいと思います。
あ〜一昨日はだいぶ感情的になってしまいました。 というのも事件を知った時、「やっぱりな」という気持ちになったので。 それは別に前々から「あの回転扉危なそうだったな〜」と思っていたから、じゃなくて、シンポジウムでの森ビルの方の発言に、今回の新しい取り組みへの意識の低さ、認識の甘さを、その言葉の端々に感じていたので。 自称「アート好き」の部長さん曰く「このアニメ(66)をアートだ、と私たちは捉えている。だから、街中の大画面でアニメが流れていたって、別に変じゃない、おかしいことではないんですよ」 語るに落ちるっちゅーかなんつーか。 そしてこの感覚はおそらく彼個人でなく、森ビル全体のものなんだろうなあと。
自分達の意識やスタイルを変えること無く異文化を取り込もうってのが、そもそも間違ってる。 蛮族に文明社会のルールは通用しないって。 それでも、彼らを未来の大人として、等しく社会全体の宝物として、守っていこうという、どんなことがあっても守ってやるぞという、その覚悟や気概無くして、安易に「子供達にも遊びに来てもらえる街に」などと口にするな。 ほんと悔しい。
あー駄目だ。 忘れないうちにシンポジウムの内容まとめておこうと思ったのに、もうかなり記憶が曖昧になっているのに、話それてばかり。 ちょっと頭冷やして、再度日を改めます。
|