衛澤のどーでもよさげ。
2004年05月07日(金) 雨の日の焔の錬金術師。

雨の日の焔の錬金術師。つまりは無能。それは私。

生命のぎりぎりの線で生活のすべてを自分のすべてを懸けてやってきたことがすべて無駄だった、という脱力感に見舞われております。「無駄だった」と決めつけてしまうのは早計過ぎるかもしれませんが、書きはじめて半年、結果が(或るいは経過が)眼に見えるかたちで出ていませんから、どうしても焦燥感はあります。

まともに歩けなくなりました。
買いものに出掛けてもショッピングカートに捕まっていないと歩けません。カートに頼らないと歩けないお年寄りの気持ちが判ったように思います。
息切れがします。
動悸がします。
目眩もします。
食欲が失せました。
眠りが窮めて浅く短くなりました。
胃が痛みます。
万年筆を持つ手が震えています。
精神安定剤の副作用のために排尿だけに10分も20分も掛かります。
おまけに書痙を鎮めるために湿布を貼っていた手首には湿布薬の副作用で発疹ができて痒くてたまりません。
「大丈夫か」と訊かれたら「大丈夫じゃない」と答えるしかありません。

こんなこと言っていると怒られるんですけどね。いや、仕事はやりますよ。自分でやると決めたことですから、契約を交わしたことですから、それはまっとうしますよ。中途で投げ出したりしたら蹴り喰らいます。
「気楽に」なんて言ってくださる方もおられますが、「小説を書く」ということは気楽にできるものではありません。何せ、自分以外の複数の生命についての責を負うことでもあるのですから、安易な気持ちではできません。より一層気を張らないといけません。いつだって真剣勝負をしてきたつもりですが、まだまだ甘かったということです。

でもね。これまで私は20年間を書くことに費やしてきたのですよ。いつだって、より秀れたものを書けるように気を付けてきました。その20年間はいったい何だったのか、と我に却ってしまったりするのです。心身ぼろぼろになるまでがんばったのにね。「がんばる」ことと「よいものができる」こととは明らかに違うことということは判ってはいるつもりですが。
私は私なりに自分のすべてを懸けて限界まで力を注いでやってきたのですが、それでも秀れたものを生み出すには対価が不足していたということなのですね。
こういう、自分の至らなさを感じたときには、陰鬱で殺伐とした雰囲気のものを書きたくなったりします。「書きたくなくならない」ところが懲りてないと言いますか、ね。


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