衛澤のどーでもよさげ。
2004年05月09日(日) それはうそ。

「きみの言うことは判る。でも、××は○○だろ?」と言って諭そうとする人がいる。こういう人は大抵「きみ」(つまり、ぼく)のほんとうに言いたいことを判ってくれてはいない。どれだけ咀嚼して話しても判ってはくれない。その論点となるものを見ている舞台がまったく違うからだ。

「話せば判る」とはよく言うけれど、「話しても判らない」ことは沢山ある。ということは養老孟司さんの「バカの壁」にも書かれていたけれど、実体験すると理解度もより深まるというものだ。
だから、冒頭に書いた「きみの言うことは判る」は発言した本人さえ気付いていない「うそ」に過ぎない。判っていないのだから。

「どんなにきみががんばってもできない」などと言われると「手前、何様だ」という気になる。「できるかできないかはやってみないと判らないだろう」というのがぼくの考え。そして、何度失敗してもできるまでやればそれは「できる」というのがぼくの持論。途中で諦めてしまわなければ大抵のことは叶うということだ。「できない」と思ったときに、それは不可能になる。

というようなことを考えていたからかまったく無関係かは判らないけれど、胃に激痛あり。胃の痛みなんて割りと頻繁にあるから少しくらいなら放っておくのだけど、昨夜からのこの痛み、活動を封じられてしまうほどのもの。痛くて動けない。
胃潰瘍を患ったときに処方されたブスコパン(鎮痛剤。「おたんこナース」で一躍有名に)を服んでみたが鎮まりきらない。難敵だ。で、液キャベに頼る。それで何とか痛みだけは治まったけれど、重苦しさは残っている。
普通に生活する分にはこれでも支障はないけれど、集中しなければならない作業をするにはなかなか厄介な状態だ。


エンピツユニオン


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