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仏教の五戒とか十善というのは、不殺生、不邪淫などだが、モーゼの十戒や コーランだと、それ以外の神を拝んではならないというのがまずくるので悩む。トルストイ夫妻みたいな深刻さで冗談も言えないかと。
でもこういう詰め寄り方をする神様というのも、自分が明らかにされることになっていいかもしれない。
私が夫と神社に詣でたりすることについて、ある回教徒の人は、私が光を求めているのだからそれでいい、アラーの神を求めるのと同じことだという。 カトリックにプロテスタント、上座部に対して大乗、比叡山や高野山に対して在家仏教が出てきて、既存の寺に対して創価学会などが出てくるように、 時とともに変わっていくものはある。
学生の頃、倫理社会の教科書にはいろいろな思想家が出てきたが、実際学校で教育を受けても、成績や身だしなみなどのほかにそんなに善悪などについて教えられているわけではなく、みんな仲良く、とか、いじめはいけないとか、係りの責任とか、人気のない道を一人で歩くと怖いことがあるかもしれないとか、その程度のことが漠然としていた。母は幸せを願いながらいろいろ気をもんだに違いないが、なかなかこれだけおさえておけば安心と いうようなものを私にすらすらと教えられたわけではないだろう。私が二十歳くらいの頃、母は時折自分が若い頃のことをぽつりぽつりと語ることがあった。なかなか自分が学んだもの経験によって得たものを上手に子供に伝えるのは難しくて思っていることの十分の一も語りつくせなかったんじゃないかな。 江戸時代の庶民はおおらかだったということだが、明治の祖母の頃は男女七歳にして席を同じうせずだった。母は学徒動員で男子学生とも一緒に働くこともあったようだが、母は戦後自由になってから家庭を持ったのだから、親に言われて結婚するのが当たり前だった祖母からは、離れていってしまった娘だったのかもしれない。離れていってから結局祖母より先立ってしまったんだから、祖母にしたら親不孝な娘だったかもしれないが、母にしてみれば精一杯だった。私も自分の花を咲かせて実をつけたい。
インドの映画ってブロードウェイのミュージカルみたいな感じかな。
境界線でぴりぴりしたりしないで、協力できればいいのに。一つの星に暮らしているのに。
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