「硝子の月」
DiaryINDEXpastwill


2002年12月07日(土) <発動> 黒乃

「頃合だな…」
「そのように存じます」
 ウォールランの脳裏にかつての声が繰り返された。

――『紫紺の翼持ちたる証』を手に入れよ。さすればいずれ『赤き運命』が『挑む者』を紡ぐであろう――

 艶やかに、まるで濡れた花びらにくすぐられるような響きは、今もなお鮮明に残っている。
(されど『永き者の寵を受ける御方』よ…)
「すべてが、貴女の手のひらの上とお思いか?」
 小さく口から漏れた言葉、それは拍手と喝采の嵐に紛れ、誰にも聞き取られぬままに消えた。
「陛下」
 貴賓席の男に小さく耳打ちする。
「一時退席する無礼をお許し下さい。王国よりの連絡で、些事ですが急を要する事情ができましたゆえ」
「ああ、よいよい。好きにせよ」
 陛下と呼ばれた男は、蝿でも追い払うような仕草を見せた。その視線は踊り子達のすらりと伸びた足に釘付けになっている。
「左様ならば、これにて」
 ウォールランは一瞥さえくれなかった主に恭しく礼をすると、マントをひるがえした。精緻な恭順者の仮面を1ミリたりともずらすことなく。
(踊るがいい…。今しばらくの間)
 

 『紫紺の翼持ちたる証』
 確かにそれは、月へと至る道であろう。しかし、何も道は一つではない。そして、決められた道を辿る限り、いずれは彼女らの紡いだ運命の上を歩かざるを得ないのだ。
 誰も考えなかったのだろうか?
 硝子の月はアルティアと共にある。
 だが、そのアルティアがなくなってしまえば? …と。
 


紗月 護 |MAILHomePage

My追加