「硝子の月」
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「頃合だな…」 「そのように存じます」 ウォールランの脳裏にかつての声が繰り返された。
――『紫紺の翼持ちたる証』を手に入れよ。さすればいずれ『赤き運命』が『挑む者』を紡ぐであろう――
艶やかに、まるで濡れた花びらにくすぐられるような響きは、今もなお鮮明に残っている。 (されど『永き者の寵を受ける御方』よ…) 「すべてが、貴女の手のひらの上とお思いか?」 小さく口から漏れた言葉、それは拍手と喝采の嵐に紛れ、誰にも聞き取られぬままに消えた。 「陛下」 貴賓席の男に小さく耳打ちする。 「一時退席する無礼をお許し下さい。王国よりの連絡で、些事ですが急を要する事情ができましたゆえ」 「ああ、よいよい。好きにせよ」 陛下と呼ばれた男は、蝿でも追い払うような仕草を見せた。その視線は踊り子達のすらりと伸びた足に釘付けになっている。 「左様ならば、これにて」 ウォールランは一瞥さえくれなかった主に恭しく礼をすると、マントをひるがえした。精緻な恭順者の仮面を1ミリたりともずらすことなく。 (踊るがいい…。今しばらくの間)
『紫紺の翼持ちたる証』 確かにそれは、月へと至る道であろう。しかし、何も道は一つではない。そして、決められた道を辿る限り、いずれは彼女らの紡いだ運命の上を歩かざるを得ないのだ。 誰も考えなかったのだろうか? 硝子の月はアルティアと共にある。 だが、そのアルティアがなくなってしまえば? …と。
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