「硝子の月」
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「アルバートよ」 彼は空を見上げた。なんと忌々しき第一王国の空か。 月は廻るものだ。たとえ今はこの空に輝こうとも。 「……死者の願いが、いつまでも世界を留められるものか」 硝子の月は未だ守られている。王国の中、封じられるままに。 しかし願う者があれば現れるのが硝子の月。かつてアルバート一世がそれを見つけ出したように。 硝子の月は誰にも渡さない。老いぼれの王の国にも、無能な王の祖国にも。そして死した王が未だ守るこの王国にも。 誰にも渡さない。 (硝子の月は――この手に) 悲願。 硝子の月を呼ぶものは、そう名付けられた思いだけなのだ。
「運命は紡がれる」 彼女はそっと囁いた。切なげに細められた目が、空を映して瞬く。 「紫紺の翼は証。それだけがほんものの証。世にふたつとない、偉大なる月の」 歌うような声は、詩でも読むように唇から零れる。 「赤き運命は流れを作るでしょう。白き紡ぎ手はそれを細く紡ぎ、蜘蛛の巣のように王国に張り巡らせるでしょう。 そこからは誰も逃れられない。紡ぎ手よりも流れに近い、挑む者より他には」 深青色の瞳、それを縁取る長い睫毛。 美しい少女は祈るように手を組んだ。 「制御されざるる運命の流れ。運命の先端たる赤にさえ、それはどうにもならない。 挑む者は、運命を変えられる? ……いいえ、それは誰にもわからない」 空は青い。深い泉の色をする、彼女の目に呼応するように。 祭りは始まった。見守るものにできるのは、あとはただじっと祭りの終わるのを待つことだけだ。 「イリア様――我等が偉大なる巫女姫様。ご覧になっていますか? あなたの何より慈しんだものが、この波のさなかにあることを」 目を閉じ、ひとりの少年の姿を思い浮かべる。 とても懐かしい面影の眠るひと。 「奇跡は起きるのか――あなたなら、ご存知ですか?」 空は沈黙するのみ。 答えはどこからも、返りはしない。
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