「硝子の月」
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2004年08月11日(水) |
<災いの種> 瀬生曲、朔也 |
「馬に蹴られるのは嫌だしな」 「ばっ……!」 グレンの手が無意味に宙を掻く。 「気にすることはないぞ?」 その斜め後ろから言うカサネがあまりにも冷静で、青年が気の毒に思える程である。 「人混みは昨日で懲りた。夕方からみんなで出掛けるって言うなら、その時だけでいい」 少年は溜息交じりにそう言った。
午後になっても、ティオは屋敷の中にいた。 割り当てられた部屋の窓枠に背を預け、ぼんやりと街を眺める。高級住宅街にあるアンジュの屋敷にさえ、風に乗って賑やかな音楽が聞こえてくる。 昨日のことを思い出すともなく思い出す。 (行けばもう一度……会えるのかもしれない) 時代さえも無礼講の建国祭の中で会った、あのひと。 「母さん」 小さく声に出して呟く。 「何を言ったんだろう」
「貴方は私の子供――だから一緒には暮らせなかった」
「私が――――だから」
聞き取れなかった言葉。まだ「その時」ではないのだとあのひとは言った。その意味も、ティオにはわからない。 「ぴぃ」 気遣うようにアニスが頬に頭を擦り寄せてくる。少年はその喉をかりかりと撫でる。 「昨日の今日じゃ無理かな。色々あったけどさ」 けれど、あの喧噪の中に独りで――アニスはいるけれど――行ってみる気にはなれなかった。
……不安なのだろうか。それとも寂しいのだろうか。出来うる限り冷静に自分の本音を探り当てようとするが、立て続けの出来事に疲弊しきった心を探り当てるのは容易なことではない。 しかしどちらにせよ弱気なものだ。つい自嘲したくなる気分を押さえることができない。 一人で肩を張ることばかりが強さではないと、理解したつもりではあるのだけれど。 「まつり……かぁ」 ため息とともに言葉を吐き出したとき。 「なぁに。遊びに行きたいの?」 ひょこん、と気配もなく目前に現れた顔に、思わず素っ頓狂な声をあげかけた。 「るっ……?」 「グレンたちもアンジュたちも出掛けたのねぇ。 ははん、さては置いてかれて拗ねてたんでしょ?」 赤い目が生き生きと輝き、それに気圧されるようにティオは疲れたため息をついた。突っ込みの言葉も出てこない。 多分「たち」にすら含まれなかったシのつく青年のこともちらりと思ったが、今は黙殺することにした。これ以上自分から、疲れる話題に口を挟むこともあるまい。 「俺は留守番。人込みは疲れた」 「やーねー。年寄りみたいなこと言っちゃって」
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