今日、つけ放しになっている営業車のラジオからこんな話が聞こえてきた。 そのラジオ番組には、俺の良く知らないフランス人がゲストとして出演していた。日本語は実に堪能、ラジオのパーソナリティは「あんた日本人でしょう?」と下品に笑っていた。確かに言葉の端々に、ああ、日本を勉強なさっているのだなあという語彙が見え隠れしていた。
連日、テレビ画面ではもういいよ、と言いたくなる位に報道され続ける米国での同時多発テロ事件。 こういう、海外などでちょっと大きな事件、事故があると必ず出てくる言葉がある。
『――尚、事故に遭ったこの飛行機に日本人は搭乗していませんでした』
昔、兄貴と、この台詞はいかがなものか、というような話をしたことがあった。 もちろん、分かる。海外に肉親や友人、知人がいて、何か事件事故に巻き込まれてはいないかという不安や心配があって、それに対して、“大丈夫、御心配なく。あなたのお友達はこの事故には巻き込まれていませんよ”と言っているのだ。その事実は大切なことだし、当然報道すべきだろう。 ただ、なんとなく、俺にはこうも聞こえる、と俺と兄貴は同時に言った。
“他は知らないけど同胞の日本人に怪我がなくてよかったね。”
いやいや。もちろん、そんなことは言っていないのだが、そう聞こえてしまう自分がいるんだよなあ、ということだった。
フランス人は、パーソナリティの『今の日本に対して、何か言いたいこと、ある?』という質問に、全世界を震撼させているテロ事件になぞらえて、こう応えていた。
――日本は、自分の国の被害者がいるとかいないとか、そういうことを随分たくさん報道しすぎている。フランスでは絶対ありえないことだ。あの事件は自国の被害がどうのこうのというレベルの話ではない。全世界の問題なのだ。それはちょと違うと思う。
報道とは、報道の仕方とは難しい。何が正しいのか、分からない。
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