玄関の扉を開けると、長男のコウスケがいきなり僕の胸に飛び込んできた。 「おかえり、パパ!」 弾けるような笑顔のコウスケを抱きかかえると、僕はもどかしく革靴を脱いだ。キッチンの奥の方からは、妻の「おかえりなさい、早かったのね」の声だけが聞こえてくる。そして、そのキッチンからは同時に、僕とコウスケの大好物のローストチキンの香ばしい匂いが僕らの鼻をくすぐっている。 イヴの夜だ。同僚達も今日ばかりは残業を避け、定時の時間を過ぎるころには潮が引くように会社から姿を消していった。皆、愛する恋人や家族のもとへ――。僕と言えばすこしだけ残してしまった仕事があったのだが、それでもフル回転でやっつけ、いつもなら想像もつかないような早い時間に帰宅できた。そもそもコウスケが起きている時間に帰宅できることが珍しい。当のコウスケからしても、一大イベントのクリスマスの夜に、父親が早く帰ってくるという興奮で、いつも以上にはしゃいでいるようだった。 上着を脱いだだけの僕の手を引き、コウスケはリビングへ走った。 「見て見てパパ! ぼくが飾りつけしたんだよ!」 ちいさなクリスマスツリーに飾られている沢山のデコレーションが、赤や緑の点滅する豆電球に照らされていた。ツリーのてっぺんにはお決まりの星型。そしてそのすぐ下には、真っ赤な衣装をまとい、真っ白な口ひげをたくわえ大きな布袋を肩にした老人の人形がぶら下がっている。コウスケはこの人形を指さして、僕の顔を見上げた。 「プレゼント、持ってきてくれるんだよね!」
我が家のささやかなクリスマスパーティが始まった。 コウスケは興奮さめやらぬ様子で、今日の幼稚園でのクリスマス会の模様を克明に僕と妻に話してくれた。ただ、妻は僕が帰宅する前に何度も聞かされたようだったが。 「コウちゃん。おしゃべりはいいから、ちゃんとゴハン食べなさい」 そんな妻の戒めもコウスケの耳には入らないようだった。 「ねえ、パパ。園長先生がね、口にヒゲつけてね、ぼくらにプレゼントをくれたんだけどね、あれはホンモノじゃないんだよ」 「ホンモノ?」 「ホンモノはトナカイのソリに乗って来るンだよ! それで、ぼくにプレゼントを持ってきてくれるんだよ!」 かねてから僕や妻におねだりをしていた仮面ライダーアギトの変身セットをコウスケへのクリスマスプレゼントに用意していたが、当然まだ彼には渡してはいない。妻もちょっと意地悪な笑みを浮かべて、僕と目を合わせた。 「早く来ないかな! ね、パパ! パパにもプレゼント持ってきてくれるよきっと!」
「パパはもうケーキ食べないの?」 ちいさな口のまわりにショートケーキの生クリームをつけたまま、コウスケはソファに腰掛けていた僕のひざの上に飛び乗った。 「コウちゃん! お口のまわりをちゃんと拭いて!」 妻はハイテンションのコウスケに疲れた様子で、ダイニングテーブルを片付けながら言った。彼の口のまわりのクリームを親指でそっとぬぐいながら、僕はコウスケをひざの上に座らせた。 しばらくそのまま僕とコウスケはテレビを眺めていたが、程なくしてコウスケが僕の顔を見上げた。 「……まだかなあ、パパ」 「え、なにが?」 「まだ、プレゼント持ってきてくれないのかなあ……」 すこし不安そうな瞳。僕はわざとらしくサッシの向こうの夜空を見上げ、 「そうだねえ。もうそろそろ来てくれるかな」 僕の言葉に呼応するように、コウスケは僕の手を引いてベランダに出た。凛とした冷たい空気が、程よく温まったリビングに差し込んできた。 コウスケは僕の手を握り締めながら、不安げに夜空を見上げた。ホワイトクリスマス、とはいかなかったが、よく晴れた夜空だった。 「本当に、来てくれるかなあ……」 「大丈夫だよ、コウスケ。もうすぐ来てくれるよ」 「うん。いい子にしてたらね、クリスマスプレゼントを持ってきてくれるって。ママも言ってた」 「そうだよ。コウスケがいい子にしていればね」 「うん……」 クリスマスの夢を信じているコウスケが愛しかった。コウスケの夢を、家族の幸せを守りたい、と僕は思った。僕はコウスケを抱きかかえて、彼と一緒に夜空を見上げた。 「ねえ……、パパ?」 「うん、なんだい?」 「――徳川家康って本当にいるの?」
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