のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2003年06月29日(日)  連夜

 めずらしく飲み会が続いた。
 金曜日の夜は取引先との仕事の打上げが銀座で行なわれた。仕事で関わった人と呑む、というのはまあ面倒なこともあるけれどやっぱり大切ですよねえ――と先方の営業課長さんとビールを呑みながら深くうなづきあったりしたのだが、この人は俺より年齢が5つ上でほぼ俺の兄貴と同世代。仕事の話から趣味の話などへテーマが移行してくると、音楽の趣味が俺の兄貴や俺自身とかなりダブる部分があって、かなり盛り上がった。彼は学生時代に浜田省吾のコピーバンドでドラムを担当していたそうで、今でもその仲間達と集まることがあると浜田省吾の曲だけはすぐに演奏が出来るそうだ。ちょっと前までは、銀座のクラブで『丘の上の愛』を唄うと女の子にモテたんですよ、と彼はそのでっぷりとした体を小さく震わせながら笑った。

 そして昨日は、亜大時代のサークル仲間との飲み会。卒業した大学の近くを散策しつつ、夜は学生時代に入り浸った居酒屋で懐かしく呑もう――という企画がもう去年の春くらいからあって、これが漸く実現した。
 俺は新橋での仕事を終えて中央線で待ち合わせの駅へ。10分程遅刻して到着すると、改札口では仲間達が待ってくれていた。
 まずは大学のそばにある名物ラーメンを食わせる『珍々亭』へ直行。「油そば」というネーミングからして体に悪そうなそれは、最近ではカップラーメンなどでも登場するようになったいわゆる“スープのないラーメン”、亜大生で「油そば」を知らないものはない、というくらいのステイタスのある食い物だ。学生時代であれば“特大チャーシューネギ調味料増し”というチョイスが当たり前だったが、さすがに三十路も半ばになるとそんなダイナミックなオーダーは出来ず、軽く“並”をいただいた。一年に一度くらいの割合でここの「油そば」を食べに来るが、いつも大学1年になりたての自分を思いださせる味で、いろんな意味で「うーん」と唸らせる味なのだ。
 大学の構内に入り、我々のサークルの顧問をしていた先生を訪れたが、さすがに土曜の午後で不在だった。
 その足で、やはり学生時代の馴染みの喫茶店へ。俺自身はそれほど頻繁に訪れたことはなかったが、他の仲間は時折ここで「メキシカンピラフ」などを食べたらしい。
 ここで、後輩の一人はもうすぐパパになることを発表し、もうひとりの後輩は8月にケッコンすることを発表した。
 夜になり、いよいよメインイベントの飲み会である。目的地である居酒屋「蟻」は駅前の商店街通りの地下にある。大学から「蟻」への道すがら、
「ここにビッグエコー、ありませんでしたっけ?」
「『牛角』なんて出来てる……」
「俺達の青春の『カレーショップ・マギー』がなくなってる!」
 この街並みの変りようはなんだ。10年も前に卒業をしているのだからそれくらいの変化があっても当然なのだが、ココロのどこかで“あの時のままで”なんて甘ったるい期待があるのは否定しない。
 ごっそりと表情を変えてしまった商店街通りの中で、「蟻」はあの時のままの場所に小さな看板を置いて俺達を待ってくれていた。1間も無いような狭い階段を下り、重い扉を押し開けて「7人なんスけど、大丈夫?」
 まずは冷え冷えの生ビールで乾杯。夕方に時間を潰していた喫茶店ではまったりとした時間を過ごしたが、酒を酌み交わし、懐かしい料理などが目の前に並びだせば話も徐々に盛り上がってきた。
 今回集まったメンバーは、同期がひとり、後輩が6人。俺が大学4年の時に1年坊主で入部してきた後輩で、特に女性陣であれば、未だに俺は彼女達を“18,19の小娘”という印象しかない。学生時代も飲み会に元気よく参加する――というよりはむしろ「ええと、今日はちょっと、家の用事で……」なんてそそくさとその場を去ろうという女の子だったのに、乾杯のビールと肴を手際よく店員に注文し、「やっぱりビールです」なんてことを言うようになっている。卒業してから、当然に年齢を重ねているわけだからそんなことは“ナニを今更”なのだが、それでもやはりちょっぴり嬉しいことのように思えた。
 彼らはきっと、多少なりともいまだに俺に「恐い先輩」というイメージを持ち続けているのかも知れないが、俺からすれば彼らは「大学時代の同時期を過ごした仲間」である。もはや「可愛い後輩達」なんて偉ぶるつもりもない(可愛くない後輩もいるし――いや、嘘だけど)。
 こうして仲間達と時折過ごせる時間と、仲間達のまぶしい笑顔に感謝しつつ、俺は中ジョッキから生レモン酎ハイへと移行していった。


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