飛騨古川へドライブに行く。 午前中はぐずっていた天候も昼に近付くにつれスッキリ快晴。 久しぶりに目に眩しい太陽を拝みつつの行程で気持がいい。 まるでもこもこした高級感たっぷりの絨毯ような山々の紅葉も 今年は拝めないのかなと思っていたぶん、嬉しく眺めた。 しかし、山を登っていく途中で見慣れていながら見慣れないものが。 「なんか白い・・・」 まさかと思ったが、やはりまさかだった。 興奮して思わず写メール(普段ほとんど未使用状態なのに)。 とりあえずK氏とT甫女史に嫌がらせで送ってやった。
「寒い、寒いと言うけれど、ウチらはまだまだ甘いね」
ということで、10月末、今年初めての雪は県外で拝んだ。 来月の今頃はコチラが初雪の頃だろうけれど。
飛騨古川は前・朝の連ドラの舞台であることを全面アッピール。 キレイで落ち着いた街並、広すぎないところも歩いてちょうどいい。 もっと時間があればもっとゆっくり拝めたのに残念である。
今日は大学をお休み。 昨日あまりの寒さに何一つやる気が起きなかった教訓を生かし、 それならば暖かい我が家でそれなりのことをしようと思い立つ。 結果、まぁまぁこんなもんだろうという程度には勉強した。 でも、いまいちやる気が起きない。 それというのも、実は昨日何気なく探してきて読んでいた論文が、 今まさに私がやっていたこととばっちり被っていることが分かったから。 んがーー、これで修論の章が一つ立つ予定だったのに。 友人は「先に分かったからよかったじゃん」と慰めてくれたが、 理性的に分かろうとしても、感情が先立ってかなりへこんだ。 ということで、今はもう別のほうを進めている途中。 間に合うのかなぁ、とだんだん本気で心配になってくる。
話は変わるが、 Winパソコンの中にいくつかのゲームが入っているはず。 その中に「フリーセル」というゲームがある。 最近もっぱらコレにはまっており、やる気が欠けると挑戦する。 ある種の運試しのようなものだが、意外と影響力は大きい。 だから、勝利した時の喜びが大きいぶん、失敗すると危険。 まさに諸刃の剣のようなこのゲームに当分はお世話になりそうである。
今日は朝から修論レポートをやっている。 それも当然、木曜締め切り30枚(しかも水曜は予定有)。 でも、今回は前回みたいに「何じゃ、こりゃぁ」的恥かしさは ちょっと免れそうなので、ほっとしている次第。 むしろ、核心に迫った部分を書いているので焦るとまずいわ。
で、私の部屋はPCを置いた机の前に窓がガンとある。 別に景色はよくない。 近所の家の瓦屋根と近くの工場の煙突が見えるぐらい。 だから、普段は全然外を眺めたりはしないんどえあるが、 今日はさすがにバチバチという硬質な音に思わず顔を上げた。
「あっ、固形物」
白くて丸い、小さな物体が赤茶色の瓦を叩きつけていた。 そう、それは今年初めて私が目にした「あられ」さん。 そういや、手が動かないなぁと思っていたのである。 あまりの寒さに毛布を被っている私の現状も頷けるものがある。
もうすぐ神無月も終わりだね。
| 2002年10月26日(土) |
東京から友人がやってきた。 |
7月に名古屋で逢った五人組のうちの一人、K所女史が来沢。 出張ついでにコチラまで足を運んでくれた次第である。 今日の午後に到着ということで、待ち合わせてお昼を食べた。 一年半ぶり、おまけに現在大河ブームの懐かしい街並を 彼女は興味深げに眺めながら、満喫してくれたよう。 私もまるで学部生時代に戻ったようで嬉しかった。
夜には仕事を終えたM田女史も参加。 少しだけアルコールを交えつつ、歓談した。 ただ調子に乗って、食べ過ぎてしまった・・・胃が重い。
読み終わった直後に意識を失ったので、今書きます。
本日の一作: ・『六の宮の姫君』(北村薫/創玄推理文庫)
ようやく手もちの《円紫さんと私》シリーズ終了。 (次の『朝霧』はいまだ文庫化を待って、未読・・・切ない) 北村薫氏の作品で最も衝撃的かつやはり大切な1冊である。 ある程度のやる気をもって日文の道を選んだ人間であるならば、 この本を読んで「嗚呼、面白かった」などと単純には済ませられない。 「あんな大学生いるわけないよ」と言ってしまえばそれまでであるが、 そんなに簡単に割り切ってしまう自分の4年間が空しいじゃないか。
現在、私は修論をひぃひぃ言いながら作成しているわけであるが、 二年前の卒論時期もひぃひぃ言いつつ、何度もこの本を繰り返し読んだ。 そのたびに論文ってこう書くもんなんだと実感させられていた。 我が教授曰く、「文学部は卒論(修論)が全てだ」と。 日頃の演習も講義も個人的な読書も全てこの一本の論文のためにある。 つまり、最後に全力を出して書きあげるべき論文がお粗末ならば、 学業という点では大学生活そのものが否定される恐れもあるのである。 今、私はおそらく生涯最後の論文で6年間を試されているとも言える。
この本を読むとどうしても我が身を振り返ってしまうので参る。 社会に出る直前のあの心持まで、まさに今の私と同様である。 とりあえず今から図書館にでも行こう(苦笑) そして、今同じく論文制作中のすべての人にエールを。
嗚呼、でも今回参ったことは他にもあった。 川端康成の作風を一言で説明する場面がある(本題はそこにはないが)
「一目見て美しく、分かる人には奥があるという作風の方」
先日読んだ『雪国』を理解できない私は《分からない人》ですか・・・
今日、生協に行くと、ハリポタ新刊が平積みされていた。 それはまるで私を待ち構えていたかのように誘惑の甘い香りを放つ。 あぁ、どうしよう、どうしようかなぁ〜〜。 どうせいつかは買うものだと分かってはいるものの、 なかなか3800円(10%引きだけど)は急には出せない。 (と言いますか、欲しいものが多いこの現状が問題だわ) ということで、もう少し迷ってみることにする。 往生際が悪いなぁと我ながら苦笑するしかない。
閑話休題
まだ1年だった頃、今も十分お世話になっているK越教授が 講義の枕に持ってきた非常に興味深い話があった。 アレは何の本だったっけ・・・と思っていたら、 今日ついでに立ち読みしていた本の中で北村薫氏が述べていた。 和田誠『倫敦巴里』、今は絶版らしい。 スッキリしたのにガッカリしたちょっと切ない午前10時。
| 2002年10月23日(水) |
4月からは車が欲しい |
と勇気をもって、父に言ってみた。 現在、大学までは片道2時間弱をかけつつもバスと電車。 定期にいくらかけたのかは思い起こすのもちょっと嫌なぐらい。 しかし、来年からはどこに飛ばされるか分からない現実、 (もちろんソレに否と言えるはずもない悲しい身の上) さすがに車ないとつらいよ〜〜〜、と訴えてみた。
父、しばし考えて曰く、「・・・勝手に買えば?」
おおっ、それはオッケーってことですか? もちろん親に買ってもらおうなんて全然考えていないので、 こちらはオッケーサインさえもらえれば何でもいい。 さすがにあんなでかいものを無断で買うわけにはいかないし。 ということで、あとは母親に言えばいいんだがコッチは手強い。 もう少し時期が迫ったら、強引に言ってしまおうと思う。
まぁ実際買うのはおそらく雪解けを待ってから。 とりあえず4月から自動車出勤できればよいのである。 ただし・・・私、もう何年ペーパー? それを思うと嬉しいのか悲しいのか分からない複雑なこの頃。
これもすべて、車ないとやってけない田舎が悪い。
2日間ほど雲隠れしていたわけなので、やや久しぶり日記。 特筆すべきこともなかったので放置してしまったのであるが、 やはり持続することが大事なのだと再認識してしまった。
本日の一作: ・『雪国』(川端康成/新潮文庫)
読んだことはなくとも、名前ぐらいは聞いたことがあるであろう。 『源氏物語』『おくのほそ道』と並んで、世界的に有名なこの作品を 4年ぶりに読み返した。ほとんど覚えていなかった(格好悪いなぁ) 契機はK氏の修論対象だということで、彼の小レポートを読みつつ、 いつも(これは何を言っているのだ?)と実は疑問だったのである。 そこで漸く読んでみて、(あれはこれだったのか)と分かった次第。 ちょっと腰を上げるのが遅かったかな、申し訳ない。
でも、こんなに高い評価を勝ち得ている作品なのであるが、 私はいまいち・・・好きじゃない(勇気をもって告白すればの話)。 情景描写がピカイチなのは分かる、本当に美文だとも思う。 ただし、駒子のあの破天荒な言動や島村の煮え切らない態度に 時々ついていけなくなって、二人のちぐはぐな会話に首を傾げてしまう。 そのたびに、私はきっとこの作品の本質に迫れていないのだと悲しくなる。 自分の評価が大事だとは分かっているけれど、やっぱり淋しい。
それでも、K氏のレポや話からたくさんの情報を得ることができたから、 少しずつ面白くなってきていることも確かである。 この先、どれぐらい本質に迫れるものか、自分に期待したいものだ。
おっと、そういえば明日はハリポタ新刊発売日。 実物を手に取って読む日はもう少し先延ばしかなぁ・・・しょぼ。
本日の一作: ・『秋の花』(北村薫/創元推理文庫)
悲しいような、切ないような、何とも息苦しい読了感を味わえる。 円紫さんシリーズ初の長編(中編かな)小説を再読した。 主人公の「私」もいよいよ大学三年生の後半に差し掛かり、 より一歩、確実に現実の社会へと進んでいっている中で、 痛ましい事故で心に深い傷を負った少女と触れ合う。
そう、この作品の最大の特徴は「死」の匂いが纏わりつくこと。
しかも、自分よりも若い世代の命が失われたことへの動揺である。 先日、弟の同級生が事故で亡くなった時の感触を思い出す。 小・中・高(彼は中退したが)を通じて一緒だった子なので、 私も何度か顔を合わせている。家にも遊びにきていたはずだ。 それなのに、もうその子はこの世にはいないのである。 まるで映画のよう、とても現実に起こりうることだとは思えない。 それでも、私の周りでもやはり何人かは命を落としていっている。
友人が友人を想う気持、教師が生徒を想う気持、親が子を想う気持。 この作品の中には、人が人を想う気持が溢れている。 それゆえに、悲しい。そして、愛しい。
でも、文学的に面白い話もたくさん出てくるのだ。 「耳食」の話。 音楽でも小説でも他人の先入観で決めてはいけないということ。 私は他人の紹介で作品を選ぶこともかなり多いのだけれど、 ソレが本当に面白かったかどうかはやはり自分で決められるセンスが欲しい。
という名のお菓子が世の中にはあるそうでして。 しかも、私と同世代の人間ならば遠足で食べないはずがないらしい。
・・・知らねぇぞ。
なんて、思わず言葉も悪くなるってものである。 24年間生きてきたけれど、遠足で見かけたことなどない。 私自身もちろん食べていないし、周りだって食べていたかどうか。 それなのに、大学に入って全国津々浦々の人間と話している間、 キャベツ太郎を知らないという台詞を聞いたことがない。 むしろ、
「葉明さん、キャベツ太郎知らないんですか?」 「有り得ないっすよ」
と後輩にまで憐れまれる始末、全くもって余計なお世話である。 しかし、そんな私にもついにキャベツ太郎との対面の日がやってきた。 M木女史がわざわざ私のために買って来てくれたのである。
なんだ、このふざけたカエルは?
第一印象である。 でも、中身自体はよくあるスナックの形態を取っているので、 コレは食べたことはないけれど、どこか懐かしい味がした。 はっきり言えば、このジャンクな安っぽい味が好きなのだ。 しかも、キャベツ太郎とここまで堂々と銘打っておきながら、 少しもキャベツが含まれていない胡散臭い潔さ。たまらない。
帰り、研究室に寄ったら、再び後輩に声をかけられた。
「葉明さん、そういやキャベツ太郎は食べれましたか?」
もちろん、ニヤリと笑ってやった。
| 2002年10月17日(木) |
『陰陽師 鳳凰ノ巻』 |
レポート、とりあえず仕上げて提出。 でも、こんなに悔いの残ったレポートは久しぶりである。 すっごく悔しい。次回はもっとマシなものを書かないと。
本日の1冊: ・『陰陽師 鳳凰ノ巻』(夢枕獏/文春文庫)
『海辺のカフカ』を次の人に無事回すことができたので、 ようやく買っておいた1冊に手を出すことができた。 待ちに待った4作目の文庫化、これが初読である。
「ゆこう」 「ゆこう」 そういうことになった。
で、繰り広げられる晴明氏と博雅君の冒険譚。 少し切なくなる話もあり、気味の悪い話もあり、 あいかわらずの夢枕版王朝ワールドがそこにはある。 そして、それに伴うようにして行間から滲み出る味のある雰囲気。 京極氏とはまた一味違った余韻を残す一行、一行に引き寄せられる。 待った甲斐があったというものである。
今回、一番面白かったのは道満との方術比べ。 ちょうど映画の中で観た場面と重なる部分であったのであるが、 アチラが火花飛び散るライバル同士である一方で、 コチラはお互いの実力を認めた同志に近い連帯感がある。 ずるい裏工作をしようとする人間を面白がっている風さえある。 その人間関係が心地よくて、少し微笑ましい。 やっぱり晴明氏はいつもどこかで余裕でいてほしいからね。
あっと、ジロウさんお誕生日おめでとうございます。
昨日、日記を書いていた途中でフリーズしたので寝てしまった。 一度書いた文章がすっかり消えてしまった時のあの空しさ、 さすがに再度書き直す気力もなく、諦めてしまった弱い私。
本日の一作: ・『海辺のカフカ(上・下)』(村上春樹/新潮社)
後輩から借りた春樹兄さんの新刊をなんとか読了。 日曜日からコツコツ読み進めていたので、一安心である。 さて、久しぶりの長編小説にチャレンジとなったのであるが、 『世界の終わり〜』と似た感がある、少しだけ。 とはいえ、二つの世界があるということなだけだけれど。 ただし、『世界の終わり〜』はずいぶんファンタジックだったが、 今小説はもう少しリアリティがある(現実には有り得ないけれど)。 地名が多々出るし、登場人物の描写もずっと身近である。
そして、非常に明るくスッキリしている。 一人の少年が自分のルーツを辿る旅を経て、大きく成長する。 決してその先に明るい未来が待っているわけではない。 しかし、少年ならば何とかなるのだろうと思えるのである。 長い間、真っ暗なトンネルの中をひたすら彷徨っていたものが、 突然ぱっと抜けて、明るい世界へと飛び出したようなラストである。
短篇と違って、長編のほうが物語の骨格がしっかりしているので、 おそらくぐっと読みやすくなっているのではないかと思われる。 まぁ・・・青春小説と言えるのではないか。 ただ、短篇に凝縮されている毒が薄められているので、 ちょっとアッサリし過ぎているような気がしないでもない。 これは単なる私見でしかないけれど。
三連休最終日にして、ようやくまともな約束が入る。 とはいえ、いつもおなじみのM田女史と逢ったのであるが、 夕飯はいつもと一風変わったもんじゃ焼のお店に入った。 県内唯一ともいえるもんじゃ焼のお店なのであるが、 実は入ったのは初めて。もちろん、食べるのも初めて。 とりあえず、人気メニューと書いてあった「豚キムチもんじゃ」と 「もちチーズもんじゃ」をそれぞれ注文する。 しかし、作り方が分からずお姉さんに頼んでお手本を見せてもらう。
・・・何、コレ?
やはり慣れていないと、驚くよ、あの液体は。 鉄板一面に広がったもんじゃを眺めつつ、 「コレはいつ手を出したらいいものなのか」と二人で思案する。 端のほうでブクブクいっている部分を少しずつ皿に取り、 恐る恐る口に運ぶ時も(腹壊したらどうしよ)などと考えていた。 しかし、意外と美味いものであるね。 もっと頼りない食べ物かと思っていたが、ちゃんと腹持ちもする。 ただし、お好み焼きほど食べた気がしないのが難点か。 加えて、つい食べ過ぎてしまう点もなかなか恐ろしい。 気がつけば、二人の表情には食べ過ぎによる倦怠感が広がり、 「次来る時はもっと注文を考えたほうがよいね」と反省する。
でも、美味い。 また食べてみたいなぁと心から思ったので、 次は別メニューにもチャレンジしてみよう。。。何が美味いんだろ。
今日は父の誕生日・・・二日酔いの模様。 父は友人と飲みに行っていたのであるが、帰宅は午前2時。 いつもは22時頃には帰ってくるものの、昨日は母がいなかったので、 鬼が居ぬ間の何とやらで、相当羽目を外してきたようである。 まぁ、たまにのことであるし、その気持ちも分かるのでヨシとしよう。 ただし、・・・やってくれたね、父様。 後始末してやったのだから、誕生日は終わりだよ(笑)
本日の一作: ・『夜の蝉』(北村薫/創元推理文庫)
表題作「夜の蝉」は私が非常に気に入っている作品である。 そこに描かれているのは正反対ともいえる姉妹の話であり、 妹が垣間見てしまった姉の中の大人の女の部分である。 でも、この話を読んでいて思い出すのは、弟のことである。 私と二歳下の弟もある時期を境にほとんど口を利かなくなった。 それは男と女の壁がお互いの間にできたためであると同時に、 お互いがお互いに対してある種のコンプレックスを有していたからだ。 おそらく、兄弟姉妹というものは必ず相手に羨望を持つのであろう。 そして、徐々に開いた距離を「畏怖」が少しずつ埋めていく。 相手が何を考えているのかよく分からない未知の生き物に思えるのである。
この話の中で、姉が妹にかつての思い出話をする場面がある。 それは単純な話であるが、姉が妹を妹として認めた大事な話なのだ。 そして、私にはその話の意味がよく分かる。 私が弟を弟として認めたのは、弟が大学受験をする冬のこと。 初めて体験する大仕事を前に、弟が経験者である私に助けを求めにきた時、 私の中で「嗚呼、コイツは弟なんだな」という実感が湧いてきた。 頭では分かっていたことを、もっと深い部分で実感したわけである。
「でも、あの時に、わたし達が同じ血を持った姉妹なんだって、 理屈でなく分かったの」
という姉の呟きが私にはひどく身近に聞こえる。 だから、この話を読むと、いつも弟を「弟」として思い出すのだ。
最近、円紫シリーズを再読している。 無性に読みたくなる時があり、今がその時期であるようだ。
本日の1冊: ・『空飛ぶ馬』(北村薫/創元推理文庫)
決して楽しいお気楽な話ばかりが詰まっているわけではない。 初めて読んだとき、そのことに驚いたことを思い出す。 大人に差し掛かったばかりのまだ潔癖さを有する主人公の視点から、 社会の裏側(でも、それが現実)を正直に切り込んでいく。 情報が氾濫する現代社会においては、少しぐらいの刺激には慣れ過ぎて、 「よくある話ね」で流してしまいそうになってしまう現実に対して、 義憤にかられるわけではなく、一抹の哀しみを伴ってそれを受け止める。 そういう意味では、「赤頭巾」なんかはリアルですごい話である。 もちろん小説の中の出来事なのだから、出来すぎの感もあるけれど、 大人社会に触れて居た堪れなくなる主人公の気持がよく分かる。
でも、この中でやはり素敵なお話は「空飛ぶ馬」。 ラストに置かれた心温まるクリスマスストーリーが私は大好きである。 そして、この話のモチーフになっている『毘沙門の本地』こそが 我が友人M木女史の修論のテーマと相成った作品なのである。 何が自分の人生にどのように作用するか、全く分からないものだなぁ。
昨日までの集中講義でなんとなく力を使い果たした本日。 きっと皆来ないだろうと思いきや、全員揃う・・・暇だな。 しかし、M木女史はバイトでさっさと帰ってしまい、 残された4人は遠い青い空を眺めながら、ふと思った。
遊びに行きたい・・・
かくして、T甫女史の新車に乗り込み近くの森林公園へ。 小学生の遠足以来来たことのなかった私は大ハシャギ。 4人の院生は一同に芝生を駆け抜け、滑り台に乗り込んだ。 もはや20代の顔ではない、童心に返るとはこのことなのか。 芝生を転がっては笑い、蚊が飛んできたと言っては笑い、 小さなハンモックにぶらさがっては笑い転げていた。 そのうち、夕陽が沈んでいくのをシンミリと眺め、 街にポツポツと灯り始めた灯りを見ながら、 「♪街の明かりが とてもキレイね、横浜・・・」 なんて口ずさんでは、再び馬鹿笑いをした。 (ちなみに横浜なんて洒落た光景とは雲泥の差である)
幼い頃は身体を動かすのなんて真っ平だと思っていたけれど、 いざ運動をしなくなったこの年になってみると、 思い切り身体を動かすことがいかに気持のよいことか。 特に、どうしても机に向かっていることが多い身分であるので、 非常に貴重かつストレスも発散できた有意義な午後となった。
軽く夕食を取った後、K氏とN尾女史は「青い春」を観に行き、 私とT甫女史はまっすぐ帰るために2対2に別れて帰った。 今度はM木女史も連れて、弁当を持っていこうと思う。
集中講義終了、教場レポートのには驚いた。 まるまる120分書き尽くめでようやく間に合ったぐらい。 (課題は5問中3問までは先に公開されていたが、それでもやっとだ) 途中から手が震えるは、字は揺れるはでとても見せられる答案ではないが、 出さないわけにもいかないので、出し逃げごめんで提出した。
さて、今週はずっと一葉の作品を講義内でも個人的にも 読み続けてきたのであるが、やはり一番の名作は『たけくらべ』であろう。 ちなみに『たけくらべ』は『竹くらべ』ではなく、『丈比べ』であって、 これは身長を比べるという意味と想いの丈を比べるという意味を併せ持つ。 その時点で、題名からして群を抜いているような気さえしてくる。
『たけくらべ』に登場する子供達は皆家業を継ぎ、 吉原遊廓に寄生しながら生きていくことを宿命付られている。 そして、主人公美登利もまた花魁になることが定められている少女である。 かつては絢爛豪華な世界に憧れだけを抱いていた幼い美登利であったが、 初めて髷を結ってお披露目を済ませた時、急に不安が生じる。 また、折しも彼女は初潮を迎えることで大人の世界へぐんと近付く。 現在を生きる私達でも、新たな世界へ踏み込むことは恐ろしい。 たとえば私だって、社会に出ずにずっと学生でいられたらと思う。 まして、美登利はまだ15歳、成熟を拒否したくなるのは当然であろう。 しかし、彼女は目の前に用意された世界から逃げる術を持たないのである。
『たけくらべ』を読み終えた時の何とも言えない余韻は、 やはり現代の口語体小説にはなかなか出せない味がある。 しかし、その根底に流れる通念は現在の私達にも十二分に通用する。 文語文体の壁を越え、読み継がれるべき名作であることは きっと誰しもが認めるところなのであろうと心から思う。
確かに、集中講義はやはり疲れるものでもあるが、 さすが一葉研究のトップ、聞き応えのある講義内容に満足した。 嗚呼、でもまだ手が痛いや・・・
集中講義2日目。 今日の一葉女史はずいぶん俗人くささを発揮していた。 私達は彼女が貧困に喘ぎながらも女身一つで家族を支え、 有り余る才能を有しながらも結核で夭折した悲劇の人であると 作品を読んだことはなくとも、頭の片隅でイメージしている。 しかし、今日の講義中に出てくる彼女は全く違う強かな一面を発揮。 小説で一攫千金を狙うことを断念した彼女は妾になって金銭を稼ごうと 久佐賀義孝という当時著名だった占い師に取り入ろうと試みる。 しかし、いざ久佐賀氏が一葉に妾になることを具体的に持ち出すと、 「このしれ者」と激しく罵倒し、久佐賀氏との関係を一方的に断ち切る。 おまけに、突然当時の政情に対しても憤りを抑えきれなくなったり、 自分の意思こそが「国家の大本」だと大言壮語も吐いてみる。
はっきり言って、気性の激しいワガママな女である。
しかし、先生がおっしゃるには、一葉の日記の矛盾点というものは 彼女がその時その時を一生懸命に生きていた証であって、魅力的らしい。 つまり、彼女の中では前後の不合理も決して矛盾などにはなっておらず、 その時強く思ったことを正直に文章に記している結果でしかない。
友達にはしたくないタイプである。
でも、つんとすました遠い時代の大作家は一人の女性として 私の目の前に現れ、強かな笑みを浮べてみせたりする。 ・・・そう悪くもないかな。
明日はいよいよクライマックス。 一葉≪奇跡の14ヶ月間≫中の代表作一揃えが御目見えである。
新1000円冊にもなるということで密かにブームなこの御方。 何を隠そう今回の集中講義の主人公でいらっしゃる。 大学に入った折に何冊かの(いわゆる)名作を購入したまま、 未読であった内の1冊『にごりえ・たけくらべ』(新潮文庫)も 漸く日の目を見るわけで、そっと胸を撫で下ろす次第である。
今日の講義では一葉の生い立ちを辿るところからスタート。 裕福な家庭で育ったお嬢様が実家の没落から突然の生活苦に見舞われ、 家族を養うため一攫千金を夢見て、小説を書こうと決意する。 その後、半井桃水との出会いと別れを経験した一葉は、 当時の文壇の第一人者であった紅葉の文体を継承し得る実力を持つ 類稀なる女流作家として、文壇に颯爽と登場するわけである。
しかし、今回軽く触れた初期作品、 『闇桜』『たま襷』『五月雨』『別れ霜』の四作品は 私達が知っている一葉作品とはかけ離れていて実にびっくり。 近代女流作家の代表者とも言える一葉だって、決して最初から 完璧であったわけではないのだな、とその人間臭さに惚れ直す。
夜、今回の集中講義の客員教授の歓迎会。 やはり、先生との飲み会というのは緊張して参るのであるが、 話し上手な方ということもあって、その博識さに驚く。 このお方、その筋ではかなり有名な研究者であるらしく、 T甫女史の卒論はかなりこのお方の論文に傾倒しているらしい。 自分が読んでいた論文の書き手と対面するなんて、本当に貴重な体験。
今日は楽しみに待っていた定例能当日。 能に興味を持ち始めたのが大学2年の頃だったのであるが、 ずっと観てみたかった能の一つが「井筒」だったのである。 五年越しに念願叶ったわけなので、気合も入る・・・が、
眠い。。。
さすがに昨日の今日では体力が持たない。 おまけに「井筒」というのはまったりもっさり、とにかく長い。 おかげで非常にいいシーンであるにも関わらずたまにウトウト、 勿体無いなぁと思いつつも、本能には勝てませんな。 でも、やっぱりキレイな能であるということは伝わるので、 シテが恋人の形見の衣裳をまとって出てくるシーンではさすがに覚醒。 それからはじっくり堪能し、五年越しの片思いも十分実ったわけで。 ちなみに私の修論にも関わる「禅師曾我」は激短かった(動揺)。 でも、当地では八十八年ぶりの公演ということで、 非常に貴重な体験だったのだなと感慨深い思いもあった。
能楽堂を出た後、実は悪友M田女史と約束していたのに教授につかまる。 こちらも五年師事を仰いできたわけであるが、初体験である。 教授ご夫妻と一時間程度、今日の能や様々なこと話し合う。 教授とチョコレートケーキという組み合わせがなんとも信じられず、 ありがたいやら緊張するやらで、混乱の一時間を過ごした。
明日からは集中講義・・・しんどい・・・
| 2002年10月05日(土) |
K大学国語国文学会/結果発表 |
この日記を書くにあたって、去年の今頃の日記を読み返した。
>発表者のM2は顔つきが違う・・・つうか、顔色悪いっすよ、先輩? >思わず心配してしまうぐらい、緊張が伝わってくるのである。
嗚呼、去年の私は情けないぐらいお気楽である。 今年はまさに地獄の学会、院生生活最大のビッグイベント。 トップバッターの私は時間配分のペースもつかめないまま、 一応用意しておいた原稿をひたすら読む、読む。 それでも20分という指定枠ギリギリだったので、 いかに20分が短いかということが身に染みて分かった。 終わってしまえばイイ思い出ともなろうが、やはり辛い。 懇親会の後、スタバでM2でお疲れ様チアーズをした。 やっと皆に笑顔が戻った・・・それが何よりも嬉しいや。
そして、ぐったりしたまま帰路につくと、 居間のテーブルに非常に見慣れた茶封筒が置いてあった。 もしや、と思えば案の定、教採の結果報告である。 まぁ、中身は予想していた通りの講師採用。 一発採用はありえないと散々言われていたので分かっていたが、 両親のガッカリした顔にはさすがに胸が痛んだ。 勝負は来年からである、早く親孝行をしたいものだ。 しかし、とりあえずは来年講師の口がくるのかということ。 早めに名簿登録の手続きを取ってしまおうと密かに思った。
いよいよ明日が学会発表となりました。 うがぁ、怖い・・・もうすでに泣きそうだわ。 とはいえ、そんなに大掛かりなものでもなくて、 学会と名付けることさえおこがましいような代物なのですが。
今のところ、印刷し終ったレジュメはK氏宅にあるので、 私のすべきことはもう何もないのです。ますますつらい。
今、目の前ではゴロンゴロン雷が鳴り響いています。 空にはくっきり稲光。 一言で言うと、「五月蝿い」です。
スピッツの久しぶりのアルバムはちょっと重め。 純粋だとか優しいだとか切ないだとかを越えたところにある シビアさとかアイロニーさとかブラックさがにじみでる。
M-1 夜を駆ける ♪甘くて苦いベロの先 もう一度
M-2 水色の街 ♪会いたくて 今すぐ 間違えたステップで/水色のあの街へ
M-3 さわって・変わって ♪さわって 変わって 春が忍び寄ってくる心地
M-4 ミカンズのテーマ ♪めまいがするくらい 慎重に歩いてみたが変わんねー
M-5 ババロア ♪まだ壊れないでよ 柔らかな毛布を翼に変える
M-6 ローテク・ロマンティカ ♪本当は犬なのに サムライのつもり M-7 ハネモノ ♪心地良い耳鳴り 文字化けの中にも 輝く運命を知る
M-8 海を見に行こう ♪明日 海を見に行こう/眠らないで二人で行こう
M-9 エスカルゴ ♪ハニー 君に届きたい
M-10 遥か ♪すぐに飛べそうな気がした背中/夢から醒めない翼
M-11 ガーベラ ♪よろしくね 繋がってる/命に甘えて
M-12 旅の途中 ♪腕からませた 弱いぬくもりで/冬が終わる気がした
M-13 けもの道 ♪細胞 全部に与えられた/鬼の力を集めよう
好きなのはラストナンバー「けもの道」 タイトルはものすごいけれど、非常に愛らしいプロポーズソング?
台風、やっぱり大変だったのですねと朝のニュースで知る。 さすがに関東直撃の台風がこっちにまで影響を与えることはない。 でも、8時過ぎからみるみるうちに空が曇りだして、 30分程度、大雨が降り続けていたのにはさすがにびっくり。 台風の名残なのか、それとも負けず嫌いで降らせてみたのか。
部屋の模様替えをした。
映画「陰陽師」を観る。 野村氏の所作の美しさと着物の着こなしは流石だなぁ。 ハラリとこぼれた髪と意味深な流し目も艶っぽかった。 演技はまぁ置いときまして、あの俗くさくない雰囲気は 今まで観た晴明サマの中ではやはりダントツのような気がする。 そして、真田氏。この人だけやたら評判高かったのだけれど、 なるほど納得・・・なんだかすごい迫力出してました。 でも、1番驚いたのはコレで「2」を作ろうとすること・・・ そんなに評判よかったのか? 大丈夫なのか? また伊藤君と今井さんは出るのでしょうか、ちょっと気になる。
明日から後期の講義が始まります。 他の院に進んでいる友人達はもう講義に出ないと言うのに、 ウチの科だけは許されないようです・・・むむむ。 まぁ、修論だけやってろというのも気詰まりなのですがね。
今日は縮毛矯正をかけてきました。 2時間かかりましたが、おかげで頭が萎んだ・・・ふぅ。 これからは湿気との戦い、とりあえず先手を打ちましたが、 これもいつまで持ってくれるのだろうか。
ラジオのゲストにSyrup 16gが出るというので拝聴。 K氏の「バンプ好きなら、気に入るんじゃねぇの」の一言から ずっと気になっていたバンドだったのでかなり楽しみ。 しかし、聴いてみると・・・むむむ? かなりずしっときますね。どの曲も、どの曲も。 イメージとちょっと違ったので、ちょっと驚いてみたりする。 でも、ファンのメッセージを見ると歌詞がかなりイイみたい。 歌詞は大事、歌詞がよぉ分からん曲は長くは聴けない。 ということで、じっくり聴いてみたいのだけれど、 いつも頼りにしているK氏は持ってないそうなので、どうしよ。 レンタルできそうなバンドでもないんだけどなぁ。
とりあえず、そんなK氏からはヘルマンのアルバムを、 そして先輩からはスピッツをお借りしたのでまずはこちらを。
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