Sun Set Days
DiaryINDEX|past|will
今日のDaysはのぞみ25号から(新大阪発20:28―博多着22:49)。 19時過ぎまで仕事をして、移動のために少し早めに切り上げ地下鉄で新大阪駅へ向かう。最近何度か同じ場所を訪れているような気がするので、なんだか不思議な感覚に襲われてしまう。 不思議な感覚というのは、新大阪駅がやけに親しい場所であるかのように思えてしまう錯覚。売店の場所もなんとなくわかってきたし、どこにどのきっぷ売り場があるとかそういうこともそれなりに詳しくなってきた。 ずっと後に、私用で新大阪駅を訪れる機会があったとしても、結構スムーズに移動することができるくらいには。
新幹線は禁煙席が満席だったので、喫煙席になってしまう。見上げると、車内はうっすらと白く煙っているような感じだ。ついさっき吸殻を回収する人がやってきていて、最初売り子の人だと思っていたので思いがけず新鮮だった。考えてみれば当然のことなのだけれど、喫煙車にはそういう吸殻の回収の人が来ることを今日まで知らなかったのだ。おもしろいなあと思う。人はどうしたって自分のいる場所や環境からでしか様々な出来事に触れることができないわけだから、たまにこういうふうに異なる環境に行くと、新しい何かを知ることができたりもする。
煙草というものを、僕は基本的にいままでの人生で吸ったことがない。 もちろん、子供の頃にふざけてくわえたことはあるけれど、それは本当にただのおふざけでしかなかったし、高校生のときに友人に勧められて一度試したことはあるけれど、そのときだってふかしただけで肺には入れなかった。 両親は僕が子供の頃煙草を吸っていたし(現在は止めている)、それなので部屋の中に煙があることは別に珍しいことでもなんでもなかったのに、それでも煙草には全然興味を持つことができなかった。昔から、そして今も。
友人や同僚には煙草を吸う人が多いし、昔の何人かの恋人にも吸っている人は多かった。人が煙草を吸っているのを見ると、絵になるなあと思うことはもちろんある。それでも、どうしてか自分では興味を持つことができないのだ。
別にものすごく健康に気をつけているというわけでもないのに。 身体に悪そうなものをよく食べているし(僕のファストフード好きは一部では有名)、睡眠時間だって結構短い。 それなのに、煙草は吸わない。たぶんこれからも吸わないんじゃないかと思う。たぶん。
―――――――――
お知らせ
先週も博多にいたのだと思うと、不思議な気はします。
今朝はなんばウォークというところにある「CAFE BREAK」というところで朝食。飲み物はココナツなんとかとかいうやつのTallサイズを注文する。パンは2つ。 昼食は食べなかった。 夕食は21時過ぎに心斎橋OPAから1本路地に入ったところにある「ラーメン四天王」というところでチャーシューメンを食べる。 最近はちょっとラーメンに目覚めているので、ちょっとおいしそうなお店を探してみたのだ。味は、個人的には先週食べた九州のやつがおいしかったと思う。 今回の出張は前回と異なり基本的に単独行動しているのだけれど、1人でビジネスホテルまでの道をてくてく歩くのはそれはそれで気持ちがいい。まだよく知らない場所を1人で歩くこと。土曜日の夜だけあって、これから遊びに行くのだというような人たちや、飲みに行ってきた帰り風の人たちが多かった。僕はバックを肩から下げたままスーツ姿の、いかにも仕事帰り風の格好で歩いていた。
ビジネスホテルの部屋に戻ってきてから、上着を脱いでハンガーにかけて、それからネクタイをゆるめる。ネクタイをゆるめるときに、自分が社会人になったのだよなあということをときおり再認識する。 今回宿泊している部屋は10階にあって、窓からはいくつかの小さなビルの屋上を見下ろすことができる。 屋上にはどうしてか惹かれてしまう。 たとえば、夕方の少し前くらいの時間に、中学生や高校生くらいの男女が屋上で遊んでいたりするような光景っていいと思う。 そういう光景を実際に見たことはないのだけれど、秘密の場所というような感じで、何をするでもない時間を過ごす2人がいたりする光景って絵になるよなと思うのだ。 そして、端の手すりに寄りかかったり、給水塔に背中を預けたりしながら、退屈な時間に身を委ねるのだ。 もちろん、眼下に見えているビルの屋上には、夜だからということもあるのだろうけれど、そんな2人の姿は見えない。実際には屋上に出ることだって鍵などの関係で難しいのだろう。 けれど、自分の中にそういう光景のストックがされるような気がするのは結構楽しい。 別に特別でもなんでもない景色をいくつか知っていることが、いつか何かに役に立つかもしれないよなあと思う。 ささやかだけれど、いつか何かに。
―――――――――
お知らせ
窓の外に見える月は、ほぼ満月です。
まずは、昨日書いていてアップできなかった分から、以下は28日にアップする予定だった分。
―――――――――
今日は新横浜発20時49分ののぞみ31号の中でDaysを書いている。 最近はなんだかこういう書き出しが多いような気がする。 もちろん、それはいま僕の部署の仕事がピークだということでもあるのだけれど、それでもこうやっていちいち書き記しておくと、あとになって読み返してみたときには、いちいち懐かしく思い出すことができるのかもしれない。ああ、あのときは確かものすごく眠たかったんだとか、帰ってきたと思ったらすぐにまた出発だったんだとか。
今日からは心斎橋のビジネスホテルに3泊。それから、再び博多に新幹線で向かって2泊。それで飛行機で横浜にまた戻ってくる。 よく電車に乗って出掛けていくシネマコンプレックスでは、確かいまの時期『アメリ』を上映していて、それを観に行くのを楽しみにしていたのだけれど、果たして、終わる前にちゃんと観に行くことができるだろうか?
さっきまで新幹線の中で、久しぶりに『N43゜』を読み直し、手直ししていた。 これまでも何度かDaysのなかでも触れている、個人的に趣味で書いている小説だ。 最近は忙しくてなかなか読み返すこともできなかったので、結構久しぶり。いい息抜きになるし、間が開いていることも直したい場所がたくさん見つかるのでいいかもしれないと思う。
個人的には、仕事が落ち着いてから、マイペースで手直しを加えて形にしたいなと思っている。そして、ある程度形ができあがってきたところで、たとえば誰かに読んでもらって感想を聞いてみたいなとは思うのだ。やっぱり。もう一人には読んでもらったけれど、あと何人かに。 そして、さらに直せるところを直そうかなとか。
―――――――――
昨日ここまで書いていたのだけれど、大阪に到着してビジネスホテルの部屋で仕事をしていたら、続きを書く間もなく眠りに落ちてしまったのだった(午前3時くらいまでは仕事をしていたので、まあ仕方がないかなとは思う)。 土日も仕事なので、朝の心斎橋は空いているのだろうけど、夜は混んでいるのだろうな。 最近のDaysは出張記録のようになっているなと思う。 後で確認する自分のためのメモというところ。 まあ、いまは残しておくことに意味があるということで。 さて、これから仕事をしよう。
―――――――――
お知らせ
僕が他の人よりも上手なんじゃないかと思うのは、キャリーバックを引いたまま自動改札口をスムーズに通り抜けることです。
今日のDaysは久しぶりの自分の部屋から。 うわ! なんだか懐かしいよ! とうかれてみたり。 埃がたまっているのはお約束だ。 これでも、かつての出張生活と比べると全然ましなわけだし。 こういう生活をする予定なんか全然なかったのになあと思う。 いつだって思ってもみないところに運ばれてしまう。やれやれ。
今朝はビジネスホテルのロビーでの待ち合わせは午前6時。 ということで5時起き。 まだ薄暗い博多駅から地下鉄に乗って福岡空港へ。 空港からは、午前7時台の飛行機で羽田を目指す。 あんまりにも眠たくて睡眠もそれほどとっていなかったので、座席について離陸する前に眠りに落ちる。 深い眠り。夢も見ないような。 飲み物を運びに来たことにも気がつかない、音楽も備え付けの雑誌も読まないくらいの深い眠り。 肘をついて窓に寄りかかるような姿勢で眠っていたせいか、目が覚めたときには関節が随分と痛かった。 目が覚めたのは着陸の20分ほど前で、近くを通ったスチュワーデスに向かって手を挙げて「アップルジュースください」と言う。 アップルジュースを飲みながら、着陸を待つ。 目的地に近づくにつれて、飛行機は結構揺れながら雨の東京へ降りていく。 雨雲や曇り空は実は嫌いじゃない。なんだか雨の日ってときどき子供時代の感覚に戻されてしまうような感じがする。昔考えていたことや思っていたようなことを、久しぶりに思い出すことができるような気がするのだ。それが何なのかは正確にはわからないのだけれど、それでもどうしてか懐かしい感覚がある。こういう感じは昔よく思っていたのにって思う。少しだけもどかしい。
羽田空港からはバスで某駅を目指す。50分程の道のりも、座席でずっと眠っていた。窓の外は雨。 それから、職場に着いてから21時過ぎまで仕事をする。同僚たちに久しぶりだと言われる。確かにそう。約2週間ぶりの仕事場。 そして、同僚と夜にご飯を食べる。 今日はサイゼリアに行く。 2週間ぶりくらいで会ったので、いろいろと話す。 サイゼリアもいままで何度かDaysでも触れている通り低価格のファミリーレストランなのだけれど、今日見ていたらナプキンが普通のファミリーレストランよりも少ない面積で折りたたんであった。 この間本で読んだ吉野家もそうなのだけれど、低価格の店と言うのは、その商品以外のところでもそういうふうにローコストを追求しているというわけだ。面積が小さくて折り方が少なくても、ナプキンとしての機能は十分果たすことができるし。 いずれにしても、トータルな意味でのコスト削減を徹底している会社は高い競争力を持っているのだろうなということを思ってみたり。
そして、明日は東京で仕事をし、夜にまた新幹線で大阪へ移動。 大阪3日、福岡2日の合計5泊6日の出張ということになる。 やれやれ。 部屋でゆっくりすることもできない感じだ。
―――――――――
お知らせ
飛行機の備え付けの雑誌を持って帰ってくるのを忘れてしまいました。残念。ああいう雑誌好きなんですけど。
あ、そうそう。月曜日には博多で「一蘭」のラーメンを食べました。 一人一人の食べるところが仕切りでわけられているラーメン屋なんてはじめてでした。 個人的には「一風堂」の味が一番好みだったのですが、連れて行ってくれた後輩は「一蘭」がとても好きみたいでした。確かに、おいしかったし。とんこつラーメンが苦手だったのも、今回の出張で随分と改善されたのでした。よかったよかった。
| 2002年03月24日(日) |
ウィット・クラブ+PSB+『僕たちのアナ・バナナ』 |
やあ、みんな! ウィット・クラブ会長のウィッキーです! 今日はボクのトーク・ショー「ウィッキーのウィッと一杯」に来てくれてどうもありがとう! ちなみに、このショーの略称は『ウィ・ウィ』だよ。みんなも家族やクラスメイトに「今週の『ウィ・ウィ』見た?」って必ず訊いてくれよ。訊かない人には不幸の手紙を送るよ!
えー、コホン。 さて、さっそくはじめようか。 日頃からウィットのある会話をしていたいんだっていう人が最近とみに増えてるねえ。 ボクの事務所「ウィット・クラブ」の電話も鳴りっぱなしだよ。「天ぷらそば2杯急いで!」とか「どんなパンツはいてるの」とか。 やっぱり、日本でも知的でクールなウィットに富んだ会話をしたいっていう人たちはたくさんいるんだね。 ウィッキーさんはそれを知って感激しているんだ。
そんなウィットを楽しみたい人たちのための番組「ウィッキーのウィッと一杯」、さて、今日もスタートだ。
さて、まずは「こんなときにとっさの一言」のコーナー! パフパフパフー! こういうシチュエーションのときにとっさにどう答えればいいのかをウィッキーさんが簡単に解説していくよ。
まずは、「彼女の部屋に行ったら、親友が彼女と浮気をしているのを目撃してしまった」とき。 あー、これはよくあるねえ。ほんとによくあるよ……(遠い目) ボクもいままでに5回くらいこういう経験があるよ。 でも、もう大丈夫。 こういうときにも、ちゃーんとウィットに富んだ会話ができるんだ。でもちょっと難易度が高いね。ようく見ておいてくれよ。心の傷が深くならないようにね。
シチュエーションドラマスタート
(何気なく合鍵を使って恋人の部屋に入ったウィッキーさん。するとそこには抱き合ってキスをしている恋人と自分の親友が)
ウィッキー:(思わずその場で声を失う)
親友:あ、い、いや、これはさ……
恋人:…………(うつむいたまま黙っている)
ウィッキー:んー、これはドッキリカメラってやつだね。俺はだまされないぜ。さて、カメラはどこに隠れているんだ? ここか?(クロゼットを開ける) それともここか?(トイレのドアを開ける) うーん、じゃあこっちだな?(しゃがみこんで台所の戸棚を開ける)んー、いないなー?
親友:い、いや、ウィッキー、そんなんじゃないんだ……
ウィッキー:おっと、ごまかそうとしてもそうはいかないぜ。どっかに隠れているんだろ。なるほど、遠隔操作ってわけだな? 巧いこと考えたもんだ! ハッ! あの外にあったワゴン車か!
(そしてウィッキーさんは勢いよく部屋を出て、階段を駆け下りていく。部屋に残された2人は申し訳無さそうに顔を見合わせる)
勢いよく路地に飛び出したウィッキーさん:ここか? ん? いないぞ? あっちか?
アパートから少し離れたところまできたウィッキーさん:うっ、ウウウ……(手の甲で流れる涙をぬぐいながら、肩を落とし暗い路地を歩いていく)
(画面がスタジオに切り替わる)
いいねえ! とってもクールだろ? 起こってしまったことは仕方がないと、2人を責めることなく、ただし違和感なくその場を離れるためのウィットが炸裂だ。 ドッキリカメラとはまた考えたもんだね。 でも心の中でもウィッキーさん泣いてるよ。 背中に哀愁が漂っているもんね!
次は「鈴木さんだと思って話していた人が実は伊藤さんだった」とき。 あー、これもよくあるねえ。ほんとによくあるよ……(遠い目) ボクも1日に2回くらいは人の名前を間違えるからねえ。 でも、もう大丈夫。 こういうときにも、ちゃーんとウィットに富んだ会話ができるんだ。これは簡単だよ、いつものあのパターンさ。さぁーて、ようく見ておいてくれよ。
シチュエーションドラマスタート
(オフィスビルのロビーで楽しそうに談笑しているウィッキーさんと取引先の伊藤さん)
伊藤さん:いやー、お互いこれからも協力していきたいものですなあ。
ウィッキー:いや、本当にそうですね。私どもとしても、ぜひ鈴木さんとは末永くお付き合いさせていただきたいものです。
伊藤さん:鈴木? ワシは伊藤だが……
ウィッキー:何をおっしゃるんです! 鈴木さん! あなたは鈴木さんじゃないですか! まさか自分の苗字をお忘れになったのですか?
伊藤さん:な、何を言っているんだ君は。失礼にもほどが…… (ボガッ) ウッ…… (ドサッ)
(ウィッキーさんに強烈なボディーブローをくらった伊藤さんがその場に倒れこむ、画面暗転)
(画面明るくなる)
伊藤さん:……ん? ここは?
ウィッキー:医務室ですよ。伊藤さん。
伊藤さん:なんでこんなところに?
ウィッキー:先ほどロビーで話しているときに、伊藤さんがいきなり意識を失われまして……それで慌ててこちらへお運びしたんですよ伊藤さん。
伊藤さん:そうですか。これはご迷惑を……
ウィッキー:伊藤さんが意識を失われているときに、うわごとで鈴木さんがどうとかおっしゃられていましたが……何かあったのですか?
伊藤さん:鈴木? いや、よくは覚えてはおらんが……
ウィッキー:何はともあれ、大事にならなくてよかったですよ、伊藤さん……。
(画面がスタジオに切り替わる)
いいねえ! あの強烈な右ボディーブロー! まさに光速パンチだったね! ああいう決定的なシーンも、ウィットさえあればくぐりぬけることができるっていういい見本だったね!
さぁて、ここでPRだ。 このコーナーをまとめた『ウィッキーのウィッと一杯「こんなときにとっさの一言」』が本になったよ。 これさえ読めば、口下手なアナタもウィットの達人! さっそく購入して会社で披露してみてほしいな! ちょっと中身を紹介すると、最初の50ページは「強烈な右ボディーブローの放ち方」だね。 ワオ! ウィット溢れた会話には正確かつ強烈なボディーブローが不可欠だからね。 写真とカラー口絵つきで、解説しているよ。 じゃあ、CMだよ! チャンネルを変えたら寿司50人前が届くから変えちゃだめだよ!
(…………)
―――――――――
お知らせ
ウィットの意味をはきちがえているよという抗議は受け付けていません。
―――――――――
博多での休日は、基本的には朝早く起きてビジネスホテルの部屋で仕事。 それでも、息抜きにメールを書いたり、Bbsのレスをしたりして、のんびりペースで過ごす。 結局15時過ぎに、散策と食事がてら博多駅周辺へ。朝から何も食べていなかったのだ。 駅の横にある建物に紀伊国屋書店と新星堂があったので、とりあえず入ってみることにする。 歩いている途中に大きな書店とCDショップがあると、とりあえず入ってしまうのだ。 紀伊国屋書店には文芸誌の「すばる」が置いてあって、江國香織と辻仁成の「左岸」と「右岸」の新連載がはじまっていた。 ついにスタートしたんだと思う。 しかも主人公が住んでいる場所が福岡らしく、その紹介のPOPがあって目立つような陳列をされていた。単行本まで待つつもりなので、とりあえずぱらぱらとだけ見てその場を離れる。 階下の新星堂では、CDを1枚とDVDを1枚買う。 CDはペット・ショップ・ボーイズの『リリース』、DVDは『僕たちのアナ・バナナ』。 ペット・ショップ・ボーイズは個人的にはもうかなり好きなのだ。 大学1年生だったときにはまって以来、ニューアルバムが出るたびに必ず購入しているアーティストだし。 今回は発売しているのを知らなくて、売り場でふらふらしていたらいきなり聴き覚えのあるニールの声の聴いたことのない曲が流れていて、(ええ?)と思ったのだ。 それで探すとニューアルバムがそれなりのスペースで展開されていて、すぐに手にとってしまう。 しかも視聴もできるようになっていたので、1曲目の「HOME AND DRY」を聴いてみる。相変わらずのよい曲。 帰って来てからも何度も聴いているのだけれど、相変わらずニールの声とメロディーはいいと思う。しかも今回は地味目なミディアム・テンポの曲中心で、肩の力を抜いて聴くことができるようなものになっていて。 そして、店でもらってきた小さな冊子(新作を出したアーティストのインタビューなどが収録されているCDショップによくあるやつ)のペット・ショップ・ボーイズのところを読んでいると、こう書かれていた。
そして、その独特の心地よさで知られてきたニール・テナントのクールな歌声が、科学的な声の分析により聴く人の心を和ませる力に富んだ声、いわば”モスト・リラクシング・ヴォイス”であることが新たに分かったのも話題だ。(RPM9ページ:文/小林 千夏)
うわ、そうなんだと思う。すごく好きな声の一人ではあったのだけれど、そういう声の持ち主だったんだ…… もちろん、そうであろうとなかろうと好きだということには変わりはないのだけれど、改めてそういうことを知ってみると、やっぱりそういうものなのだなと納得。 確か森本レオもそうだってどこかで聞いたよなと思う。癒し系の声。
DVDを買ったのは、今日の夜におそらく時間ができるだろうなと思い、そのときに映画を見たいなと思ったため。 そして、『僕たちのアナ・バナナ』は以前から見てみたいなと思っていたのだ。 それで購入する。
(ノートパソコンで)見終わってからこのDaysを書いているのだけれど、これは個人的にはかなり好きな感じの映画だった。 重いテーマの映画もハリウッドの超大作ももちろん好きだけれど、個人的にはやっぱりある種のラブ・コメディのような映画が好きなのだなと改めて思ってしまった。 笑わせて泣かせるようなやつ。ウィットに富んだ会話と、小さなオチの連続。そういうやつ。映画館では、2週間くらいで終わってしまうのが常であるような映画。 これは、幼馴染みの男2人女1人が16年ぶりに再会することからはじまる物語なのだけれど、男はそれぞれカトリック(プロテスタントではなくて)の神父とラビ(ユダヤ教の聖職者)になっており、女はエグゼクティブ・レディになっている。 そして3人の立場や信仰等もからめた3角関係の物語で、シナリオが巧いという感じ。 主要な人物の一人ジェイクを演じているベン・スティラーは映画『リアリティ・バイツ』の監督をしていた多才な人物だし、もう一人のブライアンを演じるエドワード・ノートンはこの作品の監督をしている。 ジェナ・エルフマン演じるアナもとても魅力的だったし(やっぱり大好きな映画のひとつ『エドTV』に出ていた女優)。肩肘張ることもなく媚びることもない人ってすごいよなあと、改めて思わされるような。 こういう、予想以上にしっかりと作られているのにおそらくそれほどたくさんの人が見ていない映画もたくさんあるのだろうなと思う。 そういう作品(しっかりと作りこまれたラブ・コメディ)が好きな人になら、間違いなく薦めることができる映画。また今度見よう。
―――――――――
お知らせ
やっぱり、笑わせて泣かせるような物語っていいよなあと思うのです。
仕事終了後(21:00過ぎ)、後輩と後輩の奥さんと3人で一緒にご飯を食べに行く。 後輩の奥さんは実家が福岡の人なので、様々なお店に詳しくて、産地直送の料理をたくさん置いてあるという店を予約してくれていた。 博多駅から歩いて10分くらいのところにあるその店は確かにおいしくて、特に馬刺が絶品。陶板焼きもあって、カルビなんかも食べる。 ビールを一杯だけ飲む。 そしてなんとなく浮かれてしまう。 これはいつもいつも思うことなのだけれど、ビール一杯でくたあっとなってしまう体質は、なるほど確かに便利なものなのかもしれない。
会社の知人の奥さんって普段はなかなか会うことがないのでなんだか不思議な気がしたのだけれど、とてもしっかりとした明るい人で、後輩とすごくよくお似合いだった。 店を出て(23:00くらい)、タクシーで中州へ。 店での話のなかで、博多の有名な屋台のラーメンを食べに行こう! ということになったのだ。 それで、中川沿いに立ち並ぶ屋台のなかの「一竜」という店に入る。屋台の中でも有名な店だそうで、結構遅い時間にもかかわらず屋台の外で少し並ぶ。僕らが席に着くことができた後も、常に5〜10人くらいが並んでいた。 そこでとんこつラーメンをまたもや食べたのだけれど、あっさりしていて、確かにお酒を飲んだ後に食べるラーメンとしてはかなりストライクゾーンを攻めてきていたような気がする。
そしてまたタクシーでホテルにまで戻り、解散。
月曜日には「一蘭」という店に連れて行ってもらうことになっていて、なんだか今回の出張は「博多ラーメン紀行」といった様相を呈してきた。 もちろん、嬉しいのだけれど。
―――――――――
お知らせ
「一竜」のとんこつラーメンもほとんどくさみがなくて、昔食べたとんこつラーメンの店(とんこつが苦手になった原因の店)がはずれだったのかもと思いはじめてきました。
| 2002年03月22日(金) |
いくつかの電車の窓からの景色 |
昨日のDaysを書いた後はそのままビジネスホテルの部屋で仕事をしていて、途中仮眠を1時間だけ挟んで、午前5時にチェックアウト。午前5時少し過ぎのロビーはまだ薄暗く、フロントの人も呼び鈴を鳴らさないと奥から登場しなかったくらい。まだホテルも眠っている時間なんだなとぼんやりと思う。 薄暗い早朝の街のなかキャリーバックをがらがらと引きながら、新大阪駅へ。電灯の明かりが点々と続き、歩道橋の上から見下ろしても、車通りもほとんどない。まるで自分がどこか間違った場所に紛れ込んでしまったように感じられてしまう。 5時30分になってから、みどりの窓口で博多までの新幹線のチケットを購入。 まだ早い時間の駅の構内もホームも、それでもそれなりの人たちがいて、普段は垣間見ることもない時間のためか、なんとなく周囲をよく見てしまう。 乗り込んだのは、午前6:00ちょうど発、ひかりのレールスター。 出発して少ししたところであっという間に眠りに落ちる。 そして小倉辺りで目が覚めて、それから窓の外に広がる九州の朝の景色を眺めていた。 ものすごい勢いで遠ざかっていく小雨の風景や長いトンネルを越えながら、つい数時間前に自分が大阪にいたのだとぼんやりと思う。 そして、朝の電車の窓からの景色を、いままでいろんなところで見たのだろうなとぼんやりと思う。もちろん、ぼんやりしていたのは睡眠時間が短かったせいもあるのだけれど、それでもいままで見た電車の窓からの景色をもう一度見ることのできる博物館のようなものがあればいいのにと思った。 その博物館に行くと、暗い空間のなかにたくさんの電車の窓だけが通路に沿って見えていて、その窓を覗くと自分でも忘れていたようなかつて電車の窓から見た景色を見ることができるのだ。そういうある種の記憶のテーマパークのような場所があればいいのに。 そして、たくさんのことを思い出すのだ。 たくさんのことを。
そうこうしているうちに新幹線は午前9時少し前に博多駅に到着し、やっぱりキャリーバックをがらがらと引きながら駅構内を移動して、博多口からタクシーに乗り込む。
―――――――――
午後9時少し前に仕事が終わり、後輩に「一風堂」という有名なラーメン屋に連れて行ってもらう。天神の近くにある西通り店。有名ラーメン店のイメージとは異なり、若い人が入るような外内装の店になっていて、後輩が言うには昔はもっと奥にあったのだという。 前回大阪で食べたとんこつラーメンが思ったほど苦手な味ではなかったので、次は本場でと思っていたのだ。 元々はとんこつのにおいが苦手だったのだけれど、一風堂のラーメンはにおいがきつくなく、かなりおいしかった。 と言うか、札幌ラーメン以外で本当においしいと思ったのは喜多方に続き二度目だった(500 daysに書いてある熊本ラーメンはおいしいとは思ったけれど、今回のようにすごくというわけではなくて)。赤丸新味肉入りというコクのある味の方を選んだのだけれど、それがもうかなりツボにはまる。さすが有名なだけはあるという感じ。 まだ他のラーメン屋のとんこつまで大丈夫だとはまだ思えないけれど、とんこつラーメンもおいしいと思えるようになったのは、これはこれで個人的には結構嬉しい。 おいしかったよ……(遠い目)。
―――――――――
天神から地下鉄で博多を目指す。 途中、天神では卒業式の謝恩会の帰り風の人たちがとても多く、もうそういう時期なのだなと思う。
ビジネスホテルの部屋に帰ってきて、それでも0時近くまでは起きていて、そして気が付くと眠ってしまう。 本当に、気がつくと、という感じで。
―――――――――
お知らせ
博多は、やっぱり随分と暖かく感じられるのです。
今日は大阪最終日。 仕事終了後、21時過ぎに後輩と2人で心斎橋へ向かう。大阪出身のその後輩のオススメの居酒屋へ行く(飲み物はグレープフルーツジュース)。鴨の塩焼きやぶりの塩焼きなどがとてもおいしくてうかれてしまう。 それから、後輩と別れ地下鉄御堂筋線で一路新大阪へ。 今晩は新大阪駅のすぐ近くにあるビジネスホテルに宿泊する事になっている。 明日、午前6時の新幹線で福岡へ移動しなければならないため、ホテルを変えることにしたのだ。 福岡では9時半から仕事スタートになるため、9時少し前に到着する新幹線に乗る必要があるのだ。 なんだか慌しいし、今日の仕事が早く終れば本当は夜のうちに福岡に移動したかったのだけれど、そればっかりは仕方がないので、明日はしっかりと時間だけは気をつけようと思う。
―――――――――
お知らせ
今回の九州では、苦手なとんこつラーメンにチャレンジしようと思っているのです。実は。
驚異の指輪「ボヘボヘR」 全国から届く喜びの声!
「身長が40cm伸びました!」 佐藤一郎さん(14歳/東京都)
背が低くて、いつもみんなにからかわれいじめられていた僕。運動神経も悪くて、このままチビッコのままで一生を終えるんだ……そう思っているときに偶然「ボヘボヘR」を知り、最初は半信半疑でしたがいままで貯めていたお年玉をはたいて注文してみました。背が伸びたら、みんなの人気者になれるかもって思ったんです。 「こんな指輪をつけたって背なんか伸びるはずがないよ……」それでも最初はそう思っていた僕でしたが、なんと、背が伸び始めたのです! 毎朝少しずつ伸びて、なんと最後には40センチも伸びたのです。今では逆に背が大きすぎて気味悪がられ誰も近づいてきません。教室でもいつも孤独です。さみしいよう……
「憧れの先輩が告白を!」 伊藤花子さん(26歳/埼玉県)
私がずっと好きだったY先輩は女子社員の憧れの的。根暗で引っ込み思案な私は先輩のことを遠くから見ているだけでした。そんなときに雑誌で「ボヘボヘR」を見つけ、私も「ミラクル・ボヘッ・パワー」の恩恵にあずかることができたら……と思うようになったんです。 そして、指輪をつけて一週間後、先輩が「話がある」って! 「こ、これがミラクル・ボヘッ・パワーだわっ!」私は喜んで先輩との待ち合わせの場所に行きました。するとそこには一人の女性が。 「……?」 なんと、その女性がY先輩だったのです。Y先輩は、長い髪(カツラ)をかきあげながら自分に女装趣味があることを恥ずかしそうに告白してくれました。 私がされたかった告白はそういうのじゃなかったのですが……
「仕事で大抜擢!」 鈴木太郎さん(36歳/名古屋市)
私は社内の営業成績がいつもビリで、このままではリストラの対象になってしまう……と日々弱腰になっていました。それでは契約が取れるはずもなく、悪循環に陥っていたのです。妻にもバカにされ、愛想をつかされて……そんなとき、たまたま立ち読みしていた雑誌の広告に「ボヘボヘR」が載っていて、そこには指輪をつけるだけでみるみる出世したというにわかには信じられない話が……私にはもう後がなく、藁にもすがる思いで「ボヘボヘR」を注文しました。そして、一ヵ月後、なんと! 私に新規事業の責任者への大抜擢が!
ミャンマー営業所所長
……しかも、私の実力を信じてくれたために、たった一人での営業所の立ち上げです。「将来有望なミャンマー市場は君の双肩にかかっているよ」社長が直接そう言ってくれました。「利益を上げるまで帰ってくるなよ」とも……妻子にはミャンマー行きなんてもってのほかと離婚され、たった一人での出発になります…… これからも「ボヘボヘR」の力を信じてミャンマーで一人頑張っていきます。 一人で……。さみしいよう……
……と、全国各地で大反響を呼んでいる驚異の指輪「ボヘボヘR」。 今回に限り、限定19個が日本に入荷です! お早めにご注文を!
―――――――――
今日は21時に閉まるCDショップに駆け込んで宇多田ヒカルのマキシシングル『光』を購入。 ビジネスホテルに帰ってきてから、ノートパソコンで聴きながら書いている。 ミディアムからスローに近いテンポの、耳に残る曲。
―――――――――
『幻少女』読了。高橋克彦。角川文庫。 朝夜の移動中の地下鉄で少しずつ読み進めていた短編集。
裏表紙に書いてある文章を引用すると、
生者と死者の深い愛情と悲痛な想いが胸に迫る。彼岸と此岸の境にある幽玄世界を描いた高橋文学の真骨頂。ときに背筋が凍り、ときにせつない珠玉の幻想ホラー掌編集。
と書いてある。 この文庫本は元々前回の大阪出張の帰りに、手持ちの本がなくて新大阪駅の本売り場で買ったもので、カバンの中に入っていたので少しずつ読み進めていたのだ。基本的に怖い話は本当に苦手なのに、怖いものみたさのようなものがあったのと、学生の頃に著者の直木賞受賞作でもある『緋い記憶』を読んでいたことからついつい選んでしまった。『緋い記憶』は怖いのに、ついついページをめくらずにはいられないよい短編集だったと思う。その記憶が残っていたのだ。 この『幻少女』は掌編集というだけあって本当に短い話がたくさん収録されていて、それぞれちょっと怖い。でも、その怖さが後に引かない程度に次の話に移っていく。テンポ良く読むことができた。 よかったのは「廃墟の天使」と「桜の挨拶」。掌編なので、引用すると話の面白みが失われてしまうのでしないけれど。 たまにはこういうのもいいかもしれないとは思った。
―――――――――
お知らせ
最近は、新聞でWal-Mart関連の記事がおもしろいのです。
| 2002年03月17日(日) |
大阪の休日+『僕、はまじ』 |
今日は大阪での休日だった。 もちろん、横浜に帰ってもよかったのだけれど、休日は日曜日だけで(土曜日は働いていた)月曜日にはまた仕事があるため、そのまま宿泊していくことにしたのだ。 午前中はメールを書いて、それから土曜日の分のDaysをアップする。 お昼にビジネスホテルを出て、まずは床屋を探す。髪を切りに行きたかったのだ。 そして、それほど歩かないうちに床屋を見つける。出張先で床屋に行くことが何度かあるのだけれど、そういうときには基本的にはあまり切り過ぎないでくださいというように注文する。さっぱり切ってくださいと言ったときに、自分と切り手との間でさっぱり具合の認識が違うことって結構あるような気がするし。
散髪終了後、せっかくなので大阪城を見に行くことにする。 確かにちょっと枯れているような気はするけれど、とりあえず一度見てみたいと思っていたのだ。 大阪城公園は日曜日の午後ということもあってか、思っていたより賑わっていた。 大手門の近くではビーチボーイズなどに合わせて踊っている集団がいて、家族連れやカップルがベンチに座っている。 僕はその間をてくてくいつものように歩いていく。カバンを斜めがけにして。 そして今回の出張は2週間の内に大阪と福岡で1日ずつ休日を挟むので、そのとき用にちゃんとシューズを持ってきていて、そのシューズをちゃんと履いている。結構履きつぶしたTRIMのベージュのシューズを。 桜門から天守閣の前へ行き、そこの売店でたこ焼きを買ってベンチに座って食べる。朝から何も食べていなかったのだ。ハトがたくさん飛んでいた。 それから天守閣に入る。 8Fの展望台からは、午後になってやや曇りはじめた大阪の街が見えて、遠くに観覧車が見えていたりもした。以前に熊本城の展望台から熊本の街を眺めたときのことを思い出して、なんとなく不思議な気がした。そのときには当時同じ部署だった先輩と一緒にいたのだった。もう2年以上前のことになる。 そこから順に階を降りて行きながら見学するのだけれど、秀吉の生涯や同時代についての解説が結構面白かった。戦国時代のエピソードは結構好きでいくつかの小説などで結構詳しかったりするのだけれど、秀吉に関しては改めて成り上がっていく時代のエピソードの方が面白いよなと思う。信長の死後、敵を討つところくらいまでの。それ以後は、人が変わったようになってしまっていて、ちょっとどうなのだろうと思うのだ。 帰り際に、大手門のところにある売店で太閤焼というのを買って食べる。と言うか、ただのつぶ餡の大判焼なのだけれど。100円。
そのまま、すぐ近くにある大阪歴史博物館で開催されている「韓国の名宝」展を見に行く。1200円。 大阪城公園に行く途中面白い形の建物だなと思っていたら、16日から特別展がはじまっていることを示す看板が出ていたのだ。 韓国の美術品なんて見たことがないし、美術云々には全然詳しくないので、おもしろそうだととりあえず建物の中に入ってしまう。
結論としては、行ってよかった。おもしろかった。 大阪歴史博物館自体が昨年11月に完成したということだったのだけれど、その展示会は新鮮だった。 青磁や白磁の壺に、衣装、あるいは工芸品や絵画。そういったものが多数展示されており、百済や高麗など、昔の歴史の授業で習った時代のものと書かれてある。 当然のことながら日本と同様に中国の影響を色濃く受けているように見えたのだけれど、独自の雰囲気もあり、興味深く見ることができた。
紅白梅図 江山無尽図巻 鉄砂梅竹文壺 幾つかの耳飾り
などが個人的にはよかった。 6月からは東京国立博物館でも同展が開催されるとのことだ。 もちろん、この時期に開催されるというのはワールドカップ開催記念でもあって。 建物の1FにSEATTLE'S BEST COFFEEがあったので、コーヒーをテイクアウトして、帰り道で歩きながら飲む。スターバックスに代表されるようなコーヒーチェーンのカップって、本当に飲みやすくて便利だよなあと思いながら。 そして、そのまま散歩へ突入。 とりあえずまっすぐ歩こうということで、30分ほど歩く。 基本的にはビジネス街のため、人通りも店も少ない。 堺筋本町という地下鉄の駅の入り口辺りまで来たところで、先に紀伊国屋書店の看板が見えたので、本でも買って行こうとそこを目指す。 すると、なんとその紀伊国屋は日曜日定休だった。 ええっ、としばし呆然としてしまう。 どうやら、ビジネス街にある店舗のため、企業が休日である日曜日には営業をしていないみたいだった。 けれども、捨てる店あれば拾う店あり。 そのとき、どうしようかなと思っていたら道路を挟んだ反対側においしそうなパン屋を見つける。 「PAUL」というお店。 せっかくだから、今日の夕食はパンにしようと思って、その店に入る。 すると、なんと外観以上にかなりおいしそうな雰囲気の店内で、結構浮かれてしまう。 この殺伐とした現代社会では、おいしいパン屋を探すのは砂漠で宝石を探すように本当に難しいのだ(←大げさですね)。 店内ではケーキも売っていて、それもとてもおいしそうなので、パンを幾つか、そしてケーキも買ってしまう。
お店に置いてあった紹介のチラシも持ってきたのだけれど、それにはこう書いてある。
1889年、パンづくりの名職人シャルマニヨ・メイヨによって、フランス北部の町リールに生まれた老舗です。 以来、独自の製法によって直焼きパンやデニッシュ、ペストリーをつくり続け、高い評価を得てきました。
そうして、ビジネスホテルに戻ったときにはもう夕方になっていた。 部屋でさっそくケーキを食べたのだけれど、これがかなりの当たり。特にイチゴのタルトのようなものを買っていたのだけれど、久しぶりにおいしいイチゴを食べたと思えるような味で。 パンもおいしかった。 値段が高いので(ケーキが500円近くした)おいしくなかったらショックだよなと思っていたので、さすがなのだなーと思う。 地元では有名なのだろうなとも。
―――――――――
『僕、はまじ』読了。浜崎憲孝。彩図社。 結局購入してしまった……。 200ページ弱のエッセイ集なので、結構短い時間で読み終わる。 タイトル通り、「ちびまる子ちゃん」の主要登場キャラクターの一人であるはまじ自身の書いたエッセイ集だ。小学校時代の思い出から、現在にいたるまでのエピソードが幾つか語られている。 裏面にはこう書かれている。
「はまじ」から見た『ちびまる子ちゃん』の世界。プールからの脱走。秘通信簿、漫才師を目指しての上京、清水の仮装大会で牛を演じる、etc…… 悲しくも楽しいエピソード満載!
たとえば、これはインターネットで誰かの個人的な日記を見るようなものなのだろうなと思う。どの町にもきっといるはずの、それぞれの人生を垣間見るということ。 世の中にはたくさんの人がいて、それぞれの人にそれぞれの人生があって、これもそのうちのひとつなのだなと思う。 書店のPOPではどうやらこの本がかなり売れているようなのだけれど、それだけ「はまじ」の人生が気になる人がいるのだなと思うと、不思議な気はする。 読んでみての感想はおもしろいとかおもしろくないとかの前に、「そうだったんだ、はまじさん……」というような感じなのだけれど。
―――――――――
お知らせ
ケーキのイチゴは、本当においしかったのです。
中学生の頃、毎年恒例だった家族での夏休みのキャンプのときに、ある海辺の町の砂浜にテントを張ったことがある。 日本海側にいくつもあるような小さな海水浴場で、それでも意外と多くのテントが張られていた。 海の家があって、砂浜のすぐ先は海岸道路になっていた。 その日はよく晴れた日で、午後に砂浜に到着してテントを張ってから、僕は泳いだり、少し離れたところで父親が釣りをしているのを見ていたりした。そして、途中で退屈になってしまったのか散歩をすることにした。 小さなコンクリートの階段を登って、海岸道路をまっすぐに歩いた。 くたびれて一部が錆び付いてひしゃげたガードレールがあって、困ったように傾いたバス停があって、比較的新しい小ぢんまりとしたホテルがあった。 ガードレールの内側の歩道は細くて、アスファルトは薄い灰色をしていた。ひどく暑くて、そのアスファルトが熱を持っていることがわかる。そんな午後だ。
歴史のありそうな蕎麦屋があって、けれどもそこは休日だった。 駄菓子屋があって、店先では水中眼鏡や浮き輪が売られていた。 結構歩いた後で振り返ってみると、基本的にはまっすぐな道路がずっと続いているのが見えていた。 信号の青が太陽の光のせいで薄く淡く点灯しているのが見えている。
自分の普段いる場所から遠く離れた場所に行くことができるという意味で、はじめて見る場所を訪れることができるという意味で、旅はきっと必要なものだと思う。 そして以前にも書いたことがあるけれど、それぞれの場所にいったときに、ときどきというか結構しばしば、僕は自分がもしその町で育ったとしたらどうだったのだろうと思う。 僕は実際には札幌で生まれて基本的には札幌で子供時代を過ごして、おかしくもそれなりに充実した時間を経てきている。 けれど、だからこそ違う場所だったら、どういうふうになっていたのだろうと思うのは面白かったりする。 別に深く考えるわけではなくて、旅先の小さな町の歩道のうえを、自転車で走り抜けていくような映像を想像するようなものなのだけれど。
あるいは、好きで小説を書くとき、僕が想像するのはこれまで訪れてきたたくさんの場所の光景であったり、そういういくつかの光景が記憶の中で混ざり合ったような想像の光景であったりする。 そして、登場人物たちがその光景の中にいる映像のようなものを自分の中に思い浮かべてみる。 すると、まるでビデオカメラのPLAYボタンを押したときのように、その人物たちが動き出すのだ。 僕はそれをまるで映画館の座席に座っているように、遠くから、ある場合には俯瞰的な場所から眺めている。 ときどき、その距離は遠く声や動きがよくわからなくなるときがあり、ときには、随分と近づくことができて、言葉や仕草が鮮明にわかるようなときがある。
それなので、小さかった頃からいくつもの場所を見てきたこと、自分の中に光景のストックがされていっていることはただ単純によかったと思う。 もちろん、そのほとんどすべての光景のことは普段は思い出すこともしない。 けれども、それはどこかへ消えてしまったわけではないので、思い出そうとしてみることで、それらの光景を再びたどることができるのだ。
それはたとえば、中学生だった頃のキャンプのときに一度だけ訪れたことのある町であったり、あるいは転勤をしていく中で短い期間ではあっても暮らした場所かもしれない(転勤も、見方によっては長い旅のようなものだ)。 いずれにしても、ほとんどの場合ある種の記憶と分かち難く結びついた風景があって、それが記憶の検索をしてみることで、自分の中の忘れていたような場所から発掘されたりする。 14歳のときの夏、19歳のときの冬、たとえばそういうふうにノートに書いて、その年の出来事を書いてみてもいいかもしれない。 そうしたら、それに付随して幾つかの記憶と、風景がきっと蘇ってくる。
そして、そういう光景がたくさんあることで、たくさんの場所でPLAYのボタンを、押すことができるようになるかもしれない。
―――――――――
お知らせ
21時過ぎに仕事が終わり、夕食としてお好み焼きを食べに行きました。 おいしかったです。
最近、書店に行くとどうしても気になってしまう本がある。 それはないだろうと思うのに、ついつい目がいってしまう。 手にとって、ページをぱらぱらとめくってさえしてしまう。 このままなら、購入してしまうかもしれない。 でもこれを買うのって……
そう思っている本。
タイトルは、
『僕、はまじ』
……
……
さくらももこの「ちびまる子ちゃん」に登場するはまじ本人が書いたエッセイ集。 こういうのって、反則技じゃないのか……と思う。 ねらいのようなものとしてはすごくおもしろいのだけれど、まさかこういう本が出てくるとは思わなかった。 結構激しく揺り動かされてしまう。 でも、こういう本が出たら、他にもいろいろあるよとは思う。
たとえば、
『僕、ブー太郎Boo』
とか、
『ズバリ、丸尾でしょう!』
とか、
『ヤァベイビーたち、花輪君だよ』
とか。
あるいは、他のアニメでも、
『中島、あぁ脇役人生』
とか、
『人生、穴子流』
とか(これはないか……)
いずれにしても、買ってしまいそうな気がする。 かなり。
―――――――――
お知らせ
はまじの実人生を垣間見るのって、不思議な気がします。
今日は移動中に、面白い本を読み終えた。『吉野家の経済学』安部修仁・伊藤元重著。日経ビジネス人文庫。 今年の1月に発売された吉野家の社長と、流通に造詣の深い経済学の教授との対談集だ。 これまで、様々な雑誌などでチェーン・ストアとしての吉野屋の強さを読む機会があって、すごいと思っていたのだけれど、今回はそれを対談という形で再認識させられた。あのどこのお店に行っても1分以内で牛丼が出てくる標準化のために、一体どのような仕組みやシステムが作られているのか、かなり興味深く読むことができた。
印象に残った部分は、たとえばこういうところ。
伊藤:今回の値下げを歓迎した消費者のなかで、どれだけの人が気付いているんでしょうねえ。一言で「値下げ」というけれども、それは原価計算したり、机の上で数字をいじくり回せば済むという話じゃない。店員の意識改革に始まり、食材はもちろんのこと、店の設備から本部のシステムまで、何から何まですべて変えていかなきゃならないってことですよね。「値段を変えるというのは、会社を変えることだ」という、安部さんの言葉の意味がよくわかった気がします。(59ページ)
この、「値段を変えるというのは、会社を変えることだ」という言葉には、実際に陣頭指揮をとってきた社長の言葉だけあり、非常に説得力を持っている。吉野家はやることなすことが非常に数字に基づいているというか、論理的だ。 たとえば、昨年の春の250円への期間的な実験値下げを踏まえた後、全国で様々な売価で実験を行い、最終的に販売数量と利益率の関連からデータに基づいて並盛を280円に値下げしている。 そして、味のクオリティを変えずに280円にするという、ゴールからの逆算を行っているのだ。 つまり、400円だったときの原価構成から少しずつ様々なものを削ってもそこまで値下げすることはできないために、一度ゼロベースで280円にするためにはどうするかという視点から見て、既存の枠組みやマニュアルにとらわれずに現実的に様々な仕組みを一度壊し、構築していく。 そして構築していったものが、たとえば原材料の調達方法の変更であったり、客側からは見えないキッチン内の設備の変更、あるいはそれまで6つ折りだったカウンターにあるナプキンを4つ折りに変更するとか、店員の動きの無駄をなくすようにするなどということだ。つまり、商品の価格や原価を下げるために、直接商品の価格に関係ないような部分もトータルで、戦略的に再構築していっている。そうすることによって、結果的に価格を下げることができているのだ。 もちろん、普通に牛丼を食べに来たお客はもちろん「安くなって嬉しい」くらいにしか思わないのだろうけど、品質を落とさずに価格を押し下げていくために、会社の中身を意識的に大きく変えていったということは本当に興味深い。 特に、こうするという最初にあるべき状態を打ち出し、そうするためにはどうするのかと逆算しているところが。
つまり、この言葉に集約されてくるような考え方だ。
ある種のルーティンになってしまっている、いまの構造を変えていかなければならない。絶対に必要だと思い込んでいるものでも、根こそぎリセットすることで、まだまだいろんな選択肢が見えてきますよね。 (……) 要するに目指すものが変わるんだから、発想を転換してくれと。最初に「こうでなければならない」というところから入らないと、彼らのフレームは絶対に壊せないですよね。(174−175ページ)
また、他にも印象に残ったのは、
でも、僕は究極の選択でいうと、こう考えるんです。マニュアルがあるためにサービスが過剰になって、それこそ幼児が来ても店員が敬語で話しかけるようなことがあるかもしれない。でも、マニュアルがあることによる過剰のほうが、ないことによる不備よりも、お客さんからすれば、まだ納得いくんじゃないか。(146−147ページ)
チェーンストアに対しては、よくマニュアルに縛られているとかいう論調を見かけるものだけれど、個人的にはそれはひどく的外れな意見だと思う。第一、店頭では様々な判断を求められることが多く、そのすべてを臨機応変に答えたり処理したりするのは現実問題難しいのだ。そして一方では、お客様が訊かれるようなことというのは全国の店舗ベースで見るといくつかに収斂されてくる。であれば、それらをマニュアルにすることによって、スムーズな応対や作業が可能になってくるのだ。初めての人でも簡単にできるようになるわけだし。全国の様々な店舗で働いている人たちは、職人ではなくただのパートさんやアルバイトさんも少なくない。だったら、いちいち先輩の背中を見て覚えていくようなやり方は現実にそぐわないのだ。 ただ、マニュアルを絶対視するのもまた危険なわけで、それについてもこう語っている。
「マニュアルを守れ」と管理する方向に進むのは間違っていると、僕は思うんです。使われていないということは、道具としてみたときにどこか問題があるわけですから。(147ページ)
また、面白いエピソードとしては、以下のものが。
100店になったのは昭和52年の7月だったんですが、そのときに「来年の6月までに200店に増やす」と宣言しましてね。宣言だけじゃなく、200店突破記念パーティをホテルオークラでやるということで予約までしてしまった(笑)。 (……) それでも、なんとかかんとか新たに100店作りましてね。やっとの思いで昭和53年6月30日の200店突破パーティにこぎつけた。そうしたら、そのパーティで、アメリカにおける200店構想がぶち上げられた(笑)(192ページ)
ホテルを予約してしまうなんて、勢いが感じられる。すごい…… でも、そんなに勢いのあった吉野家も、急速な店舗拡大などが仇となり一度倒産し、再生法を適用されることになってしまった。 そして、珍しいことにそこから奇跡的とも言える復活をとげ、債務を4年で弁済し、いまでは東証1部へも上場を行った。 そんな会社は、ほとんどないということができるだろう。 (最近、ヤオハンがほぼ再建のめどが立っていたけれど、共通するのは日銭が入る商売のため、キャッシュ・フローが潤沢になりやすいという部分なのだと思う)
この本は、吉野家というどこにでもあるチェーンが、どのような哲学で運営されているのかを垣間見ることができるため、非常に刺激的な内容であるともいうことができる。 オススメです。
―――――――――
お知らせ
今日のDaysは、Sun Set@大阪がお送りしました。 (文章の半分は、新幹線の中で書いたのだけれど)
| 2002年03月12日(火) |
ニュース眼鏡+『ビッグボーイの生涯 五島昇その人』 |
ときどき、説明が欲しくなるときがある。 目の前の状況が、どうして起こっているのかについての説明が欲しくなるのだ。 そんなときには、ニュース眼鏡が欲しいなと思う。 僕は実際には眼鏡もコンタクトもしていないのだけれど、その特殊な眼鏡をかけると、何か風変わりな状況に置かれたときに、眼鏡の上の方にその状況についての説明が、テレビのニュース速報のような感じで流れるのだ。
たとえば、先日新大阪から新横浜まで帰ってきたときにも、乗り換えの横浜線はどうしてか上下線とも最高に混んでいて、乗り込んでからしばらくはプチマトリックスポーズをとらされてしまうくらいぎゅうぎゅうの満員だった。 そんなときでも、ニュース眼鏡さえあれば、それをちょっとかけるだけで、たとえば「横浜アリーナで○○のコンサートがあったため、その影響で混雑している模様です」とかのメッセージが現れてくるのだ。 そういうのっていいなと思う。 ウォークマンが、どこにいても音楽と一緒にいることができるように、ニュース眼鏡はどこにいても、ニュースと一緒にいることができる(もちろん、ニュースのジャンルも選べたりして、ビジネスだと月300円とかエンターテイメントだと月200円とか)。 そして、理由さえ明示されれば、なるほどと納得することができるケースも多いし。
普通は、理由もわからないまま混沌の中に放り込まれてしまうときに戸惑ってしまう。 逆に言えば、説明があって、納得ができれば、たいていのことは何とかなると思う。 もちろん、状況によっては、致命的にからまってしまった丸い糸の塊のように、ほどいていくのに途方もない時間がかかったりもするのだろうけれど、それでも繰り返し繰り返し行うことによって、必ず糸はほどけるとも思う。一度そうなってしまったものが、元に戻らないってことは、大体の場合においてないわけだし(もちろん、途中で糸が切れたりするような、どうしようもない状況もときにはあるだろうけど)。
だから、僕は混乱してしまうと、まず紙に書いたり、あるいは誰かに聞いたりして、自分で状況を説明しようとしたり、わかる誰かに説明してもらおうって思ったりする。その上で、ある程度明らかになった状況についてもう一度考えてみる。
そうすることで、すべてではなくても納得することができて、納得することができたら、基本的にはたいていのことはスムーズに進む。 結局具体的な行動をするのは自分なので、自分がそのやるべきことについて一部分でも納得できるのかどうか、という部分は意外と大きなことなんじゃないかなとは思う。
でもまあ、そういうアイテムは存在しないにしても、「ニュース眼鏡」はちょっとほしいよなとは思う。 夏になると、もちろんナイターの結果とかも表示されたりして。 一喜一憂するのだ。そういうのに。
―――――――――
『ビッグボーイの生涯 五島昇その人』読了。城山三郎。講談社文庫。 東急グループの社長だった、五島昇について書かれた本。城山三郎のビジネスものは読みやすくてある種の美学のようなものがあるので結構好きだったりする。 本書を選んだのは、普段利用している私鉄が東急だからという単純な理由。けれども、文中に田園都市線ができるまでの描写などがあって、そういう知っている場所や鉄道に関するところがあると、結構おもしろく思えたりした。 かつては、小田急や京急も東急グループに所属していたということや、現在のJASも東急グループだったということを知ることができたのも収穫と言えば収穫。 そして現在はグループ企業が約400社もあるというのだから、すごい。
―――――――――
一昨日の飲みの話。 19時に渋谷で待ち合わせ。渋谷の待ち合わせにはたいていQ-FRONTの1FのDVD売り場を使ってしまう。待っている間もDVDを見ながら時間を過ごすことができるからだ。 日曜日の夜だというのにたくさんの人で溢れていて、ちょっと驚く(渋谷は久しぶりだったし)。 個室の多い良い感じの居酒屋→カフェという流れで3時間強話し続けていたのだけれど、最初の居酒屋ではちょっと風変わりな名前のカクテルがあって思わず注文してしまう。 そのカクテルの名前は「アメリ」。カシスの入ったカクテルで、便乗しているよなーと思いながらその手に乗ってしまう。 「ロード・オブ・ザ・リング」というピーチの入ったカクテルもあった。それも注文してしまったのだけれど。 あ、そうか。僕みたいな乗せられる客がいるからこういうのを作るのだと納得。
珍しくカクテルを2杯飲んでしまったので、最後はカフェで酔い覚まし。ケーキも食べる。バナナのやつ。
―――――――――
お知らせ
○出張情報
13日夜にまた大阪に移動し、そのまま約2週間大阪と福岡に滞在し続けます。
| 2002年03月10日(日) |
森の動物たち�ぁ.皀阿燭鵑肇魯蝓� |
モグたん。 森の動物たちは尊敬の意味を込めてモグたんのことを「博士」と呼んでいます。 それは彼が森の動物たちのなかで最も勉強家であり、様々なことに詳しいからです。 もちろん、くま吉も同じくらい様々なこと(裏の世界も含む)に詳しいのですが、くま吉の場合はくまができているので謙虚でそういうことは隠しています。 ですので、森の動物たちの中ではモグたんが一番の物識りということになっています。
モグたんはものすごくまじめです。 いつも黒ぶちのめがねをかけていて、それが飛び出ている鼻にちょっとひっかかっているような感じになっています。 いつもモグラ広辞苑(編者:金田一モグラ彦)を読んでいたり、モグラトンやモーゲルの哲学的な命題に頭を悩ませています。 森の動物たちは様々なことをモグたんに訊きに来ます。 たとえばちょうちょの名前やきのこの見分け方、それから人間たちの苦手なものなど。 それらについて、モグたんは、「それはですネ……」と丁寧に伝えます。 誠実なモグラなのです。
先日も、Sun Setさんが、「モーニング娘。の新人オーディションは出来レースなのかどうか」を質問してきましたが、そういう致命的に情けない質問にも、モグたんは丁寧に答えるのでした。
「それはですネ……」
そんなモグたんは、以前人間の子供と仲良くなったことがあります。 まだ小さかった頃のことです。 その頃モグたんはアメリカのカリフォルニア州に住んでいる気の弱いモグラでしかありませんでした。 カリフォルニアの太陽も、モグたんの人生にはあんまり関係がなかったのです。
当時のモグたんの趣味は穴掘りでした。いろんな場所に穴を掘り続けて、地上に顔を出してそこの景色を眺める。 それだけで何だか楽しかったのです。 仲間のモグラたちはそんなモグたんを「穴を掘るしか能のないつまんねえモグラだよ」とののしるのでしたが、モグたんはそれでもよかったのです。 穴を掘っているときには何もかも忘れることが出来たし、地上に顔を出したときに広がる風景を見るのは、その小さな心をぎゅっとつかまれるようなものでもあったからです。
ある日、モグたんがいつものように闇雲に穴を掘り続けていると、小さな家の庭に出ました。 周囲にいくらでも同じような家のありそうな、新興住宅のひとつです。 そこできょろきょろと周囲を見回していると、家の窓の内側で勉強している男の子が見えます。 何だかつまらなそうにペンを動かしています。
(勉強をしてるんダナ)
モグたんはそう思いました。モグたんは勉強をしたことがなかったので、それが面白いものなのかどうかわかりません。 ただ、目の前の人間の子供はつまらなそうにやっているゾ、と思っていました。
そのときです。 ふいにその窓がガラッを音を立てて開かれました。
「おいっ!」
「モ、モグッ」
モグたんは慌ててわけのわからない返事をします。モ、モグッって……ねぇ?
「おいっ、お前、名前、何ていうんだよ」
男の子は窓の桟に顎をつけるようにして、モグたんの方を見つめています。
「モ、モグたん」
「変な名前だな」
「そうでもないヨ。モグラの世界では男の子の名前ランキング第3位だしサ。第1位はモグモグなんだヨ」
「……まあ、いいけど。なあモグたん。お前、勉強って好きか?」
男の子は人間にしては珍しくモグたんに気さくにそう話しかけてきます。普通の人間は、モグラが喋ることができるとも思っていないので、話しかけたりはしてこないのです。それに、モグラのほうでも、喋ることができることがわかると何かとやっかいなので、まれに話しかけられたとしてもわかっていないふりをしていることが多いのです。それなのに、そのときモグたんは、そんなことも忘れて普通に話していました。驚かされてしまったせいかもしれません。
「やったことがないからわからないゾ」
「そうか。そうだよなあモグラだもんなあ。勉強ってむずかしいんだぜ」
「ふーん。そうなんですカ」
「でも、頑張らないといけない」
「頑張ってくださいネ」
「ちぇっ、モグラは気楽でいいよな」
そう言ってモグたんを見た男の子は、はっといいことを思いついたというように目を輝かせます。
「そうだ。モグたん。お前も一緒に勉強をしようぜ。そうしたら、ほら、わからないところも聞き合えるしさ」
モグたんはちょっと考えました。人間と一緒に勉強をするってどうなのだろう。
「ほら、頭のいいモグラなんかなかなかいないぜ」
「えー。だってそれ面白くないんでしョ」
「一人ならな。二人なら面白いよ」
男の子は自分のアイデアが気に入った様子で、しきりにモグたんに薦めます。
「しょうがないですネ……」
最後には、根負けしてモグたんはそう言いました。
「やったぁ! 俺の名前はハリー。ハリーって呼んでくれ。モグたん」
その日から、二人の勉強がはじまりました。 ハリーは、窓からモグたん用の教科書や辞典を投げてよこしました。ハリーは部屋の中で、モグたんは庭でそれぞれ勉強をするのです。 そしてわからないところはお互い聞きあったので、ハリーがそれまで一人でやっていたときの5倍くらいのスピードで勉強がはかどっていったのです。
「なぁ、モグたん。二人でやると勉強も面白いな」
「そうですカ。確かに、はじめてみると面白いものですネ」
「だろ?」
ハリーは目を輝かせてモグたんにそう語りかけます。
「いつか、勉強をしっかりやってさ、博士って呼ばれるくらいになりたいよな」
ある日、いつものように勉強を続けていると、ハリーがそう言います。
「博士、ですカ?」
「そうだよ。モグたん、お前も博士になればいいよ。モグラの世界初の博士。かっこいいぜ」
「そうですカ?」
「ああ、すげえかっこいいよ。な、モグたん。約束だぞ。博士になれよ」
「……はい。そうですネ」
モグたんは窓の向こう側にいるハリーを見上げながら、そんなふうに頷くのでした。
モグラ村では、モグたんは変わり者扱いでした。モグラのくせに人間と一緒に勉強をしている。 でもモグたんはハリーと一緒に勉強をしている時間が好きだったのでした。 新しいことを覚え、わからないところを教えあう。 そしてハリーは、それまでモグラ見知りでなかなか友達のできなかったモグたんにとって、はじめてのちゃんとした友達でもあったのでした。
そんなある日、モグたんがいつものようにいまではすっかりと大きくなってしまったハリーの庭までの穴を通って庭に顔を出すと、窓の向こう側にハリーの姿が見えません。
「……あレ?」
モグたんはきょろきょろと辺りを見回しますが、ハリーの姿はどこにもありません。窓も固くとじられています。
「出掛けたのかナ? 昨日は何も言ってなかったけド……」
モグたんはそう小さくつぶやいてから、いつものように庭に置きっぱなしになっている辞書や参考書を開いて勉強をはじめました。
「ねぇ、ハリー、ここのところがちょっとわからないんだけどサ」
いつものようについ顔を上げて窓の方を見ますが、カーテンの向こう側には何も見えません。
「そっか、ハリー、いなかったんダ……」
モグたんは一人で勉強を続けるのでした。
そして、窓の開かない日が数日続きました。モグたんは毎日のようにハリーの庭に行き、一人で勉強を続けました。 モグたんはそのときにもモグラの世界の博士というものがどういうものなのかいまいちよくわかってはいなかったのですが、それでもハリーとの約束だったので頑張ろうと思っていました。 モグたんにとってはじめての友達と交わした約束は、大好物のどんな食べ物よりも大切なものだったのです。
そんなある日、モグたんが庭に出ると、そこには見知らぬ大きな男と女が待っていました。
「モ、モグモグッ?」
慌てて隠れようとするモグたんに、男が「ま、待ってくれモグたん君」と話しかけます。
「モ……モグ?」
おそるおそる振り返ったモグたんに、男は自分はハリーの父親であることを伝えます。女はハリーのお母さんでした。 ハリーの父親は、ハリーが先週病気で亡くなったことを伝えました。 もともと病弱で、部屋の中から出ることが出来なかったこと。 でも自分の病気を治すために、医者を目指して勉強を続けていたこと。 ハリーにとっても、モグたんがはじめての友達だったこと。 モグたんと出会ってから、はじめて本当に勉強が面白いと思っていたこと……
ハリーの父親はハリーが最後に書いたという手紙と絵をモグたんに渡します。 その絵は、元気なハリーとモグたんがグランドで一緒に遊んでいるものでした。 そして、モグたんは手紙を開きます。
モグたんへ
いままでだまってごめんな でもたぶんもうあえないみたいだ お前と勉強をしている時間が ほんとうに すごくたのしかった
俺の分まで 勉強を続けて 本当にモグラの世界の博士になってくれよ
お前の親友 ハリー
手紙を半分まで読み進めたところで、モグたんはハリーと出会うまでは、自分は文字を読むことが出来なかったのだということに気がついて涙が止まらなくなりました。 そのハリーが、自分に勉強を続けるように書いているのです。
ハリーの父親は、ハリーの持っていた本や辞典をすべてモグラ村に寄贈しました。モグたんはそれから、毎日のように勉強を続けました。そんなモグたんを見て、いつしか他のモグラたちも勉強をするようになりました。お互いに聞き合う事で、わからないところもはやくわかるようになる。 モグたんがいるから、他のモグラたちはモグたんにいろいろと聞くようになりました。
ときどき、モグたんは一人で気分転換にハリーの住んでいた家の庭まで行きました。 ハリーの両親はその家を引き払い、いまでは別の家族が住んでいます。
それでも、かつてハリーが座って自分に笑いかけていてくれた窓を見ると、またやる気がわいてくるのを感じるのでした。
そしていまでは、モグたんはモグラの世界初の博士としてモグラ界に名を馳せています。 現在は日本の森にやってきて、そこに本拠地を構えています。 いまでは、モグたんにはたくさんの友達たちがいます。 くま吉にさる江に、うさ子にウルフィー。
それでも、やっぱり自分にとってはハリーが一番の親友だって、モグたんはいまでも確信しているのです。
「おーい、モグたーん」
今日もいつものように、Sun Setさんが質問にやってきます。
「おすぎとピーコは、どっちがお姉さんなの?」
やれやれな質問です。でも、モグたんは小さく微笑むと、言います。
「それはですネ……」
―――――――――
お知らせ
森の動物たち�ァ嵳イ靴い�まの見分け方」は春に更新予定です。
| 2002年03月09日(土) |
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』+『ロード・オブ・ザ・リング』 |
今日のDaysは、昨日書いたものと、今日書いたものを合わせて。
――――――――――
つい5分ほど前に、昨日のDaysで書いたように、江國香織の最新刊『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読み終えた。 ということで、いまこの文章は新幹線の座席から書いている。今日はひかりかこだまの自由席ならいつでも乗ることができる切符をもって、いつものように新横浜から新幹線に乗り込んだ。 僕は煙草を吸わないので、禁煙車両の2号車に乗り込む。駅に着いたときに一番早くやってくる電車がこだまで、ひかりかこだまかと言われたらもちろんひかりのほうがよかったのだけれど(ひかりのほうが停車駅がすくない)、それでもこだまに乗り込んだ。各駅停車のこだまに。
最初の車内販売でホットコーヒーを買って(300円)、本のページをめくるたびに、ときどき本から顔を上げて窓の外を見るたびに、どうしてかのぞみやひかりに乗っているときとは違った景色が広がっている、あるいは続いているように見えてしまって不思議な感じがしていた。 ただ、のぞみもこだまも同じ線路の上を走っているはずなので、これは乗り込んでいる自分の心持なのだろうなと思う。各駅に停まる分、景色がより記憶に定着するような形で目に入るような気がするのだ。どうしてか。
あるいは、不思議な気がするのは、昼過ぎまでいつもの仕事場で仕事をしていて、午後早くの新幹線に乗ったせいかもしれないとも思う。普段は、ほとんど始発に近い朝か、あるいは終電に近い夜にばかり新幹線に乗っているので、午後の景色が新鮮に見えるのだ。 窓の外は本当によく晴れていて、緑は冬の終わりであるにも関わらず乾いた感じに色濃く、掛川の手前くらいの段々畑には、雲の影が落ちているのが見えている。 本当に空が高い。 雲ひとつない、というわけではないけれど、それでもほとんど雲がない。 こういうときには、誰でもそうだろうけれど、やっぱり途中の駅で新幹線を降りてしまって、駅前をぶらぶらとただ歩きたくなる。しかも、さっきからキーボードを打ちながら、窓の外をちらちらと見ているのだけれど、いかにも気持ちのよい散歩ができそうな道路が、あるいは町が「気持ちいいよ。散歩にぴったりだよ」って誘いかけてくるような感じなのだ。そういう町並みがたくさん見えるのだ。 窓の外に広がるそれらの町は、そこが見知らぬ町であるということだけでも十分魅力的なのに(よく知らない、っていうことはその場所の魅力を高めるものだし)、3月初旬の快晴の空の下ではなおさら魅力的に見える。そして、いま、新幹線は掛川を出たばかり。窓の外には乾いた水田が広がっている。幾つかの建設途中のマンションや、道路の拡張工事のためのトラックの姿も見える。 比較的真新しい住宅が続いている。そしておそらくは高速道路なのだろう、遠くに高架も見えている。
――――――――――
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』は、江國香織初の書き下ろしの短編集ということなのだけれど、そこには本当に短い話が、全部で10編収められている。 個人的に好きなのは『動物園』と『サマーブランケット』と表題作でもある『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』の3編。これは、僕が個人的にいつも信じている「30%」説に照らし合わせると、よい短編集、あるいはお気に入りになる可能性の高い短編集ということになる。
(いま、浜松駅に到着)
「30%」説というのは、主にCDアルバムに用いているのだけれど、たとえばそれが全10曲収録されているアルバムだったとしたら、3曲好きな曲があれば、そのアルバムは何度も聴き返してしまうような、お気に入りになりえるということだ。いままで、何枚かのアルバムを買ってきたのだけれど、個人的にはだいたいこの「30%」説が当てはまっている。世の中には1曲しか好きな曲がないというアルバムも意外と多かったりもするのだけれど、そういうときにはその1曲だけをMDに録音したりするのでアルバム自体はそれほど何度も聴き返さないことになる。けれども、1枚のアルバムのなかに3曲好きな曲があると、アルバム自体を繰り返し聴くようになるのだ。
もちろん、それはごくごく個人的な考えでしかないのだけれど、そういう意味で言えば、今回の短編集はよかったのかもしれない。
特に、『動物園』がよかった。これはおそらくは複雑な理由のために一緒に暮らしていない親子(父親が別に暮らしていて、母親と息子が一緒に暮らしている)が雨の動物園を見て回るというだけの話なのだけれど、雨の動物園のつめたい空気や、あるいは樹(いつき)という名前の子供の言葉やしぐさ、そういうものが世界のありようをちょうどよいピントで映し出しているような気がする。 好きなのは、たとえばこういうところ、
空はどんよりと重たく、ちゃかちゃかした店先のすべてが濡れていて、灰色とうす茶色の混ざったような町の空気は、じんと寂しい匂いがした。 「寒いね」 私の言葉は半ばひとりごとのようなものだったのに、樹は律儀に顔を上げ、私の表情を確かめるみたいに、 「寒いねえ」 と答えた。(121ページ)
動物園に向かうゆるい坂をのぼりながら、他の子供を見ると樹が緊張するのがわかった。私の指を握る手に力がこもり、わずかに唇をひらいて、他の子供をじっと見るのだ。幼稚園に通わせていないせいかもしれない。 動物園は可笑しいほどすいていた。閑散というより荒涼としている。 「どうする? 最初にしまうまを見る? それとも順路どおりにいってみる?」 樹は真面目な顔で考え、 「順路どおりに見る」 と、こたえた。(122ページ)
聖はすぐここに来ると言った。ここで待ち合わせよう、と。一時間半後にしまうまの檻の前で、と言ったら横から樹が、白熊の前の方がいいよ、と、言った。どうしてだかわからない。でもともかくそういうことにした。一時間半後に白熊の檻の前で。(127ページ)
「パパ、新幹線見たい?」 ナマケモノの檻の前で、うしろを振り向いて樹がふいに言った。 「新幹線?」 夫は訊き返し、樹は迷彩柄のリュックサックから、新幹線の玩具をだしてみせた。 誰も何も言わなかった。動物園に来るのになぜ新幹線を持ってきているのかはまともな人間にはわかりようがないし、いきなりそんなものを見せられても、意見の言いようがないのだ、勿論。(130-131ページ)
(豊橋に到着。ホームの向こう側の小さなビルの上に、やけに大きなデジタル時計がのっかっているのが見えています)
江國香織はいくつかのことについてとびきり上手いと思うのだけれど、子供について書くこともそのとくに上手いところのひとつだと思う。 けれども、たとえば『ホリー・ガーデン』や『なつのひかり』などの頃と比べると、最近の小説ではディテールの描き方が少なくなってきているような気がする。それはもちろん悪いという意味ではなくて、文章がどんどん簡潔になっていくのは間にあるたくみな比喩や表現が際立って見えたりするのでいいとは思うのだけれど、個人的にはそれでもディテールを書き込んでいた頃の方も捨てがたいよなと思う。好きな作家の新刊って、本当にいつも開く前に期待と不安がマーブル模様のように広がってしまっておかしい。同時代の作家だけあって、変わり続けていくところを見ていくことができるのだけれど、その変わり様に一喜一憂してしまうのだ。一方的に。 やれやれ。
そして、あとがきの最初にはこう書かれている。
短編小説を書きたい、と思い立ちました。いろんな生活、いろんな人生、いろんな人々。とりどりで、不可解で。
短編小説って、確かにおもしろいよなと思う。そしてそれらが一冊にまとまった短編集は、1冊の本のなかに、様々な生活が広がっているわけだし。
―――――――――
ここからは、大阪のビジネスホテルの部屋で書いている。今日の夜は、この1週間ほど大阪に入っているメンバーと打ち合わせをしていた。 21時からついさっき、0時過ぎまで。 明日にはまた新横浜まで帰るのだけれど、電話やメールでは望んでいるようにできないコミュニケーションは確かにあるよなと思う。
―――――――――
ここからは、9日の帰りの新幹線で書いている。いまはお昼。 昨夜は、上の部分を書いていたら、そのまま眠ってしまった。
今日は休日で、移動日でもある。 せっかくの休日だということで、ホテルを早く出て、大阪で『ロード・オブ・ザ・リング』を観てから帰ることにした。新横浜に帰ってから映画を観に行くと、お昼過ぎになってしまうのでものすごく混んでいるのじゃないかと思ったのだ。 それで、前日の夜にコンビニで関西版のぴあをチェックして、梅田駅近くで『ロード・オブ・ザ・リング』を上映している映画館を調べておいたのだ。 梅田ピカデリー。 東梅田駅に近い松竹ビルの10階。 しかし、そんな目論見を持っていたのだけれど、午前9時からの回を観るつもりで、8時45分にそのビルに着いたときには、すでにチケット売り場で係員が立ち見であることを叫んでいた。 一瞬、かなり考えたのだけれど、結局そのまま立ち見で観て行くことにした。ぜひ観たい映画だったし、重い荷物をコインロッカーに預けてきたのだ。それを考えると、ここで帰るともったいないよなあと思って。それに、帰りに新幹線で座ることができるわけだし。 それで、結局立ち見。後ろの柵にもたれかかかって、映画がはじまるのを待った。
映画は面白かった。というか、美しかった。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーで育った世代でもあるので、リアルに描かれたファンタジーの世界には目を奪われてしまった。緑の草原も、鬱蒼とした深い森も、切り立った渓谷も、すべてがある種の想像力を刺激するものばかりで、そういう光景の中を旅するホビットたちに思わず見惚れてしまう。 また、戦いのシーンでも、モンスターの動きがリアルで、魔法使いの魔法や、オーガの動きはあんな感じなのだ、と思えるのは新鮮なことだった。
映画は最初から3部作ということがわかっていたので、ある意味唐突なエンディングにも納得がいったのだけれど、面白かったのは、映画が終了するや否や、周囲の人たちの数人が「もう終わりなん?」というようなことを言い始めたこと。結構館内がざわついていた。 これは、もう最初から3部作全部観る気でいないと、拍子抜けするかも。 ただ、次から次へと訪れるピンチの連続に、本当にロールプレイングゲームのような雰囲気を感じてみたり。 もちろん、この作品がすべてのロールプレイングゲームの元祖なのだろうけど。
そして、技術の進歩はこれからも、映像化が無理だというような世界を、形にしていくのだろうなと思った。 そういった技術がないときにも、たとえばトールキン(原作者)の頭の中には、ああいう(あるいはあれ以上の)世界が広がっていたと思うと人の想像力に感服してしまうのだけれど。
3時間と長い映画だけれど、立ち見をしていても全然疲れないくらい引き込まれてしまった。
帰りの新幹線の中で、行きと同じ方向の窓側の席に座っているので、昨日見た幾つかの景色を再び見ることができている。見覚えのあるビルや、見覚えのあるような看板、そういったものをどんどん通り越していくのはおもしろいと思う。
―――――――――
お知らせ
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』って、よいタイトルだと思います。
S氏の手記より抜粋。
そう、あれは2月後半のことでした。仕事帰りに、私はいつものように近くの森を抜けて帰ろうとしていました。その森は夜になると照明もなく真っ暗なのですが、それでも10分の近道は疲れた身体には変え難いものだったのです。それで、そのけもの道を歩いていると、森の奥で何かがうなるような声が聞こえてくるのです。私はなんだろうと思って、ついついその音の方に近づいていってしまいました。 まさかあんなことになるなんて知らずに……
その音の方には、奇妙な円盤のようなものがありました。 そして、頭が大きくて、身体がやけに細い緑色の不思議な生き物がいて、思わず声を上げてしまった私に気が付いたのです。
ミツケタ。
その生物は、電子の合成音のような声でそう言うと、驚くべき跳躍力で私の方まで飛んできました。この距離ならなんとか逃げることができるかもしれない、まさにそう思った刹那でした。私はその緑色の生物に押さえつけられ、ものすごい力で、彼らの円盤のようなものまで引きずられていったのです。なんだか生臭いにおいがしました。助けてと言いかけましたが、気を失ってしまい、その声は声になってはいなかったのではと思います。
次に気がついたときには、私は手術室のようなベッドの上に縛り付けられていました。 私の周囲には4匹の緑色の生物が立っていました。 彼らは興味深そうにその大きな三つの目(そう、彼らは目が3つあるのです。ひとつは額の位置に)を私に向けてきます。私は、そのときにもまだ自分がどのような事態に巻き込まれてしまったのかがまだうまくつかめずに、ただじっと黙っていました。
キガツイタヨウダ。
1匹がそう言います。彼らの声は、くぐもった電子音のようです。私は、この声は実際に耳に聞こえてきているのか、それともテレパシーのようなものなのかを考えていました。これはまるで、よくテレビの特番なんかでやっているような出来事です。そんなことが、まさか自分の身に降りかかるなんて……私はそう思って天井を見つめました。 私はごく普通の会社員です。 それなのに、たまたま近道をしようとしただけで、いつの間にやら不思議な円盤の手術台のようなところに縛り付けられているのです。あまりに現実離れしすぎていて、逆に心は平静でした。
ナマエハナントイウ?
一匹がそう訊いてきました。私はやけになっていたのかもしれません。私はどうせ解剖か何かをされるのなら、もう適当に答えてやればいいやと思いました。どこかでは自暴自棄になっていたのかもしれません。
林家こん平。
私はそう答えました。もちろん、それが落語家の名前だっていうことくらい私だってわかっています。けれども、そうでも言わないことには、やりきれなかったのも事実なのです。
ハヤシヤコンペイ?
そうだ。
ドコニスンデイル?
チャーザー村でーす。
チャーザームラ?
ああ、チャーザー村だ。とても寒いところさ。
トテモサムイ?
そう。とても寒い村だよ。
ナルホドナルホド……
緑色の生物たちは、お互いに顔を見合わせています。
オマエタチノホシノトクチョウヲオシエナサイ。
え?
私は聞き返しました。コノホシノトクチョウ?
この星の特徴……? 特徴は……
私は少しだけ考えるふりをしました。どうせこのまま殺されてしまうかもしれないのです。だったら、適当に答えてやれ、そう思っていました。 それで、私はこう言いました。
私たちの星の特徴は、夢や希望に溢れているところです。
ユメヤキボウ?
生物たちが、驚いたように顔を見合わせます。
はい。夢や希望です。それから、誰もが、自分たちの目標を持っていて、その目標をかなえるために努力しています。人々は助け合い、決してあきらめるということを知りません。未来は明るいって、誰もが信じています。
ソレハホントウナノカ?
本当です。今年より来年が、来年より再来年が、よりよい世界になりますようにって、みんなで手を取り合って協力しています。
ジャア、ソウイウホシニイキテイルオマエハシアワセカ?
4匹のうちで一番偉そうな(ひげのようなものが生えている)生物がそう問いかけてきます。
ええ、幸せです。とても。
私はそう答えました。その声には、自信がみなぎっていたのではないかと思います。すると、4匹はお互いの顔を見合わせ、なにやら聞き取れない言葉を発し始めました。
そして、4匹はうなづきあうと、
ソンナニスバラシイホシナラ、ケシテシマウノハシノビナイ……
と私に語りかけてくるのです。
コワガラセテシマッテモウシワケナイ。
緑色の生物はそう言うと、私の額に手をかざしました。すると、どうしてか眠たく……なってきて……
気が付いたときには、私はもとの森にいました。周囲はすっかり明るくなっていて、時計を見ると5時を示しています。午前5時のようです。 私は、身体の節々が痛いのを我慢しながら、森の中から国道に出ました。 そんな早い時間でもトラックをはじめとする、たくさんの車が走っています。 空気はにごっているのか、雲の色は濃い灰色です。 道路の向こう側にあるコンビニの前では、若い男たちが数人で固まっていて、その前にはバイクが並んでいます。 道路わきを、紙袋が風を受けて転がっているのが見えます。
私は、緑色の生物に向かって言った自分の言葉を思い出しました。
私たちの星の特徴は、夢や希望に溢れているところです。
そして緑色の生物はこう言いました。
ソンナニスバラシイホシナラ、ケシテシマウノハシノビナイ……
もし、この目の前に広がっている私たちの本当の世界を知ったら、彼らは一体どうしたのでしょう? やっぱり、シノビナイとそのまま消さずに残してくれるでしょうか、それとも……
―――――――――
Daysの更新はかなりひさしぶり。 ホームページを立ち上げて以来、こんなに間が開いてしまったのははじめてだと思う。 3日前に出張から自分の部屋に帰ってきてはいたのだけれど、それからも何かとばたばたとしていて、今日ようやく更新する時間を作ることができたのだ。 普段の出張ならホテルなどでインターネットに繋ぐことができるのだけれど、今回は繋ぐことができない状況にいたので、それで更新が開いてしまった。 もちろん、それは緑色の生物に拉致されていたからというわけではなくて。
ちなみに、現在記憶に間違いがなければ18日連続で出勤していて、明日はひさしぶりの休日の予定だったのだけれど、急遽1泊2日で大阪に出張に出掛ける予定にしてしまったのでやっぱり出勤。 でもまあ、週末は休むことができそうなので、ぜひ『ロード・オブ・ザ・リング』を観に行こうと思ったりしているのだけれど(たのしみ!)。
この数日間に、『ザ・ゴール2』というビジネス小説を移動時間を利用して読了し、小沢健二のアルバム『Eclectic』を購入した。 今日は仕事が終わった後同僚とご飯を食べてきたのだけれど、その帰りに鬼束ちひろのアルバム『This Armor』を購入した(自分の部屋に着いたのは午前0時過ぎ。現在、このアルバムを聴きながらDaysを書いている)。
仕事は天気のようなものなので、晴れの後に雨やときに嵐が訪れるのはたぶん当たり前のことだ。晴ればかりの地方なんかありえないわけだし。 だから忙しいことに関しては、そういうものなのだと思っているし、僕のいまの仕事でこの時期に忙しくなかったらかなりまずいのだろうなとも思っている。
ただ、忙しいときでも自分のペースのようなものをちゃんと確保するためには、自分の中に目には見えない傘をしっかりと用意しておく必要がある。 あるいは、目に見えない雨合羽を、しっかりと着込んでおく必要がある。 そうすれば、嵐が訪れたとしても、なんとかやり過ごすことができるし、場合によってはそういう天気のときでも、外に出て行くこともできるのだ。 終わらない嵐はないので、そうこうしているうちに、必ず晴れにもなるだろうし。
そして、今日で幾つかの仕事のうちのウェイトの大きかったものがひとつ片付いたので、気分的には重いリュックサックを下ろしたような感じだ。 それでちょっと浮かれていたのだと思う。 鬼束ちひろのアルバムを買った店では本やゲームも一緒に販売しているのだけれど、浮かれていたせいか、自由に遊ぶことができるようになっていたX-BOXをやってみたりもした。 格闘ゲーム。 ゲームなんて、前にやったのがいつかわからないくらいひさしぶりだよ、とか思いながら。 新しい物好きなので、X-BOXがちょっと欲しくなったりもした。 実際にゲーム機をひとつ買うとしたら、PS2になるのだろうけれど。
―――――――――
前述の通り、鬼束ちひろのアルバムを聴きながらこの文章を書いているのだけれど、個人的には彼女の詩や曲や声は結構ツボにはまる。 最近は、アラニスにしてもブランディーにしても、そして小沢健二にしても、いわゆる当たりのアルバムが多くて困ってしまう。 聴くことのできる時間の方が短いような気がするのだ。 でも、まだ何度も何度も楽しむことのできるアルバムが何枚もあるという状況は単純にうれしいのも事実。
音楽にはいつもいつも助けられてきたけれど、このシーズンもやっぱりそうなりそうだ。 忙しいときでも、音楽はプレイのボタンを押すだけですぐに近くに降ってくる。 それってすごい! とそのたびにあらためて、いつもいつも思う。
―――――――――
僕はときどき、忙しくなると眠る前にどこか遠くの町の光景を想像してみる。 自分ではそれほど意識していないのだけれど、疲れているときにそうしていることが多いのかもしれない。 ただ、訪れたことのある場所の記憶を微妙に編集した、あるいは映画や本のイメージをパッチワークしたような、そういうよく知っているような見知らぬ場所をイメージするのだ。 そこはたとえば夜の海であったり、人気のない商店街だったりする。 そして、想像力を頑張って働かせて、その遠くの町を歩いている自分を想像するのだ。 それは結構リラックスできる作業だ。 いつもそれをしているうちにいつの間にか眠ってしまうのだけれど、それでもそういう見知らぬ町のなかをゆっくりと歩いている姿を想像するのはただ単純にたのしい。 ときに想像は随分とリアルで、小林精肉店のシャッターは夜だから閉まっていてとか、交差点の喫茶店のモーニングセットはトーストと卵だとか、商店街から海岸道路の方に向かうと、砂浜に下りるための5段くらいのコンクリートの階段があるとか、そういうディテールがどんどん浮かんでくる。たいていの場合、そういう想像は地方の小さな町であることが多くて、海沿いだったり湖沿いであったり、山間の村だったりする。 そして、しばらくしても眠れないときには、いつの間にか自分がその町を歩いているという想像から、その町に住んでいる人たちの物語にすりかわっていったりする。 そういう見知らぬ町の物語。 それはそれで楽しいのだけれど、たいていはその途中でいつの間にか眠ってしまっているのだ。 そして起きたらどんな物語を考えていたのかも忘れてしまっている。 そういうときには、もちろんちょっとだけ悔しいのだけれど、それはそれでいいかなと思うのも事実だ。
いずれにしても、眠れない夜や疲れている夜には、僕は羊を数えるかわりに、どこか遠い町を想像してその中を歩いてみる。
―――――――――
お知らせ
そういう想像の町の地図を描くのも面白いかもと思います。
|