Sun Set Days
DiaryINDEX|past|will
今日のDaysは久しぶりに新幹線の中から。 今朝は5時台に起きてホテルを出発し、新大阪駅へ向かい、6時台の新幹線で名古屋へ。それから名古屋で夕方まで仕事し、途中合流した後輩たちとタワーズで食事をして(とんかつ)、1人で新横浜までの新幹線に乗り込む。 明日は休日なので、気持ち的にも随分と楽。 車内は混んでいるけれど、平日の夜の新幹線といった感じだ。
―――――――――
(ここからは自分の部屋で)
そして明日が休みの気楽さからか、かなり重い荷物を持っていたというのに、ついつい一つ手前の駅で降りてしまう。ゆっくり歩いて帰ろうかなと思ったのだ。 資料等もいろいろ持っていたので、カバンを3つ持っていたのだけれど、それでもついそういう気分に。うかれていたのかもしれない。 肩から下げたバックに、キャリーバック、そして、キャリーバックにくっつけている肩から下げるバックと同じくらいの大きさのバックが1つの合計3つ。 歩道と車道の境目を通るたびにキャリーバックががたんと揺れ振動がきたりもしたのだけれど、まあそれはそれでわるくない感じ。
ただ、全行程(歩いて25分から30分くらい)の3分の2ほど歩いたところで、携帯電話が鳴る。上司のマネジャーから。 上司は今日大阪にいて、明日の朝の飛行機で福岡に行くとのこと。 いろいろと話があって、気がつくと携帯電話の電池がきれかかるまで30分以上外で話していた。 そして、メモをとる必要のある話もあったため、歩きながらではなく歩道に立ち止まって話をしていたので、電話を切った後、それなりに遅い時間(23時過ぎ)なのにまだ全然進んでいなくて、ちょっとだけ考えてしまう。 それで元の駅まで引き返す。 そして、その駅前にミスタードーナツがあって、そこでホットコーヒーを飲む。ミスタードーナツって結構好きなのだ(ミスタードーナツのコーヒーをおかわりしながらねばって読書、とか定番だと思うし)。 休日の前日の夜の過ごし方としてはのんびりしていていいなと自分で思いながら。 お客が全然いなくて、店員が閉店のための掃除に勤しんでいるのを見ながら、ゆっくりと間延びしたような時間を過していた。
そして結局最後はタクシーで帰ることにして、隣の駅からタクシーに乗る。ちょっとだけもったいないけれど、自分のなかでは娯楽費ということで。
―――――――――
お知らせ
ミスタードーナツでは定番ですが、フレンチクルーラーが一番好きです。
昨日も今日もお酒を飲んだ(いまは30日の午前1:20なので、厳密に言うと一昨日と昨日なのだけれど)。 大阪で。 2日とも個室のような空間の多い、少し薄暗い創作料理の居酒屋に入ったのだけれど、よい雰囲気で平日だというのにかなり混んでいた。
今日は夕方少し時間があったので、この間流通の雑誌で読んだヨドバシ梅田の建物に入っているコムサを見てきた。VMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング=簡単に言うと商品の演出のようなもの)がすごいという記事が書かれていたので、見てみたいなと思っていたのだ。 で、かなりびっくり。 コムサってもともと店頭のアピールがセンスのよい感じのものが多いけれど、その店のTシャツの売り場はすごかった。 3階までの吹き抜けの場所があるのだけれど、そこに何十枚というTシャツが見上げてしまうほど等間隔に並べられていたのだ。しかも、その前に家族や恋人同士風のマネキンを置いてあって、そのマネキンはそのTシャツの壁を見上げているような姿勢をしている。かなり圧巻だったし、そういうふうに記事でおもしろそうだなと思った店を実際に訪れることができたのは出張の役得だなと思ったりもして。
……毎日お酒を飲んだというとなんだか酔っ払っているような感じではあるのだけれど、正直な話ビール1杯。安上がりだなあとか思う。わりと本気で。
―――――――――
お知らせ
明日(厳密に言うと今日)の朝早くの新幹線で名古屋に行くのです。
| 2002年05月27日(月) |
『問屋と商社が復活する日』 |
『問屋と商社が復活する日』読了。松岡真宏。日経BP社。 この本の帯にはこう書かれている。
「問屋も商社も、もういらない! そう思ってるメーカーや小売のみなさん、あなたたちは、まちがっている。」
『流通革命』にだまされるな! 21世紀、流通を変えるのは、問屋と商社だ! 流通ナンバーワン・アナリスト、待望の新作――
結構刺激的な謳い文句だけれど、たとえばビジネス誌などの誌上において、問屋や商社が日本の流通の近代化を妨げる弊害となっているというような論調が見受けられてきたことは事実だと思う。大手製造業といわゆるチェーンストアとの直接取引きが中心となっている欧米と比べ、日本は中間段階に卸や問屋が多数介在し、それがコストを押し上げる要因となっている。その結果、たとえば日用雑貨の商品の価格を比べても、大きな内外価格差が生じ、日本の消費者は不利益な状況に押しやられている――というような論理。
ただし、本書は最初からその前提を覆す。たとえば、「はじめに」の部分ではこう述べている。
流通業界に身を置く方ならば、みなその名を聞いたことがあるだろう。今から40年前、1962年に書かれた『流通革命』。著者は、当時、東京大学経済学部で助教授をしていた林周二氏。センセーショナルな題名は、瞬く間に流通業界の話題をさらった。 林氏が唱えた「流通革命」とは、煎じつめて言えば、流通業の合理化である。なぜこんな発想が生まれたか。その前提として、日本の伝統的な流通は非効率な商慣行に縛られ、欧米に比べ著しく遅れている、という認識が当時の日本にあったからだ。 流通革命は、この不合理をすべて解決するものである。小売の立場に立てば、問屋を外して、メーカーとの直接取引を拡大し、中間マージンを削減する試みである。昨今では、IT革命なるものがこれに加わり、情報技術の発達により、中間マージンの削減がさらに加速されるともいわれている。 (……) 結論を先に述べておく。 ここに挙げた「流通革命」的な考え方は、100%間違っている。 私は思う。流通業に携わる人間は、過去40年間にわたって「流通革命」という荒唐無稽なプロパガンダに自らが毒されてきたことに気づくべきである。(4-5ページ)
そして、以下に続く論述の部分で、なぜ「流通革命」的な考え方が間違っているのかを様々な例証によって解説し、その後問屋(中間流通)の持つ有益な機能等について述べている。
その論述には興味深い点が非常に多いのだけれど、たとえば「日本の人件費は高い。そのため店舗の大型化とシステム化を通じて従業員一人当たりの守備範囲面積を広げ、人件費にかかるコストを相対的に減らすべきだ」と言った一般的によく言われている常識についても反論をしている。 もちろん、純粋な賃金自体のほうは日本の方がアメリカと比べて高く、その差は約30%にも及んでいる。そういう意味では、日本の人件費が高いということは間違いではない。けれども、その他の店舗経営に関連するコストの差も同時に挙げられているのだけれど、それらのコスト(たとえば家賃、エネルギー、上下水道等)は50%以上も日本の方が高いのである。 引用すると、
日本の商業部門の人件費は、たしかにアメリカに比べ高コストである。しかし、設備やエネルギーというほかの経営資源のアメリカとのコスト差と比べてみると、労働コストの格差はむしろ小さいのである。 つまり、国内の全経営資源を相対的に眺めると、日本は人件費が「安い」国なのである。(44-45ページ)
そのため、結果として90年代後半の大店法の規制緩和に連動するようにして拡大してきた大手小売業主導の売り場面積の拡大も、当初見込まれたほどの効果を挙げたものが少なく、むしろ経営にとってはダメージを与えていったものが多いと考えていくことができる。 つまり、店舗を大型化すればするほど、国際的に高い水準にある地代や高熱費にかかる金額が増大し、ローコストな人員で店舗を運営することによって得られるメリット分を打ち消してしまうということだ。 これは確かにそうなのだろうと思う。利益に占める労働分配率をいくら減らしても、設備費や不動産分配率のほうが大きいものであるのなら、結果として利益は得られにくい構造になってしまうわけだし。
また、日本の小売業が目標としているアメリカの小売業の利益率や生産性の高さというのは、実はプレイヤーの少なさ=寡占によるものであると述べていることも興味深い。 これも日本では本格的な意味でのチェーン店がまだ存在していないために、つまり流通が遅れているがゆえに小売価格が高いという論調が一般的なのだけれど、実際には本格的なチェーン店があることが必ずしも商品の低価格化に直結するわけではないと述べているのだ。これは大型のチェーンが林立するヨーロッパの各都市での食品価格と食品小売大手5社のシェアの相関指数を用いて例証を行っている。 その相関表から導かれるのは、大手5社のシェアが高い都市になればなるほど、傾向として食品価格は高めで安定しているということである。つまり大手が高いシェアを握るということは競争相手が少ないということであり、その結果として身を削るような低価格志向を見せる必要がないということである。 それに対して日本は問屋が古くから発達し、中小の小売の参入がしやすい状況が作られており、そのことが健全な競争状態の育成と低価格競争とをもたらしており消費者にとって便利な状態になっていると述べているのだ。
また、それに関連して、世界No.1の小売業であるウォルマートについても、このように述べている。
ウォルマートは、競争の少ない中小都市に出店し、そこで独占的あるいは寡占的地位を占め、競争のない環境で売り上げを確保している。それ以上でもそれ以下でもない。 また、ウォルマートはディスカウントストアであると言われているが、その粗利益率は、日本のディスカウントストアに比べて10%ポイント以上高い。こんなに利益に余裕のある小売をはたしてディスカウントストアと呼べるのか。 言い換えれば、ウォルマートは本当ならばもっと安く売ることができるのに、そうしていない。年間数千億円もの利益を計上しているのが動かぬ証拠である。ウォルマートは、株価を下げず、利益を企業内に留め、利益を出している。そしてその利益成長の投影として株価が上昇し、もともと富裕層である株主がさらに富裕さを増していく。これがウォルマートの実態である。(90-91ページ)
この部分に関しては、いま読んでいるウォルマートについて書かれている他の本に反対の記述がされている部分があったので、そちらも読了してからまた書こうとは思うけれど、ヨーロッパの例に見られる寡占が進むことによる価格の維持(あるいは独占による価格の上昇)は納得することはできた。 あとはただこれはあくまでも傾向の話なので、個々の企業の経営方針によって企業内に留まる利益に関してそれをどれだけ価格に還元していくのかということになってくると思う。 たとえばウォルマートの粗利益率がいくら平均よりもポイントが高くても、店頭に並べられている商品の価格が他店よりも安ければそれはそれで顧客にメリットを与えていることにはなるだろうし。 企業のポジティブな成長のために、利益が必要なことも当然のことではあるし。 それをどこで線引きをするのかということが、それぞれの企業の方向性を決めていくような気はするけれど。
結局のところ、
だから流通市場全体を眺めると、小売と問屋はその付加価値の取り合いをしているだけなのだ。流通の各段階における利益率格差や、国別に見た利益率の相違は、本質的には付加価値という、大きさの決まった”羊羹”を、メーカー、問屋、小売、消費者のだれがどれだけ「取り合うか」という話なのである。(98-99ページ)
また、日本とアメリカとを比較した際に日本の流通の仕組みが遅れていることの証明の一つとして「内外価格差」が挙げられているけれど、これに関してもそういうものはありもしない問題であると否定している。 考え方としてはこうだ。
りんごの値段が日本では200円で、アメリカでは1ドルだった場合、1ドルが200円であれば日本とアメリカでのりんごの内外価格差は無いが、円高によって1ドル100円になってしまえば、日本とアメリカのりんごの内外価格差は2倍に急上昇してしまう。こうした現象が、プラザ合意後の日本で発生し、日米の内外価格差は一気に上昇することとなった。 そう、これが内外価格差問題が80年代後半に急浮上した唯一にして無二の理由なのである。 プラザ合意以前も問屋システムは日本の流通の根幹をなしていたし、設備よりも労働力をより多く使う経営手法は広く日本の流通業で行われていた。つまり、日本の流通構造は何も大きく変化しておらず、人件費や地価が高い割には安い生活必需品を提供できるという優れた仕組みが脈々と続いてきたのである。(145-146ページ)
そして、そのように「流通革命」に関連するいくつかの主張を否定しながら、次に日本の中間流通の擁護を行っている。 その際の基本的な論調というのは、現在の日本では問屋(や商社)は、小売業の品揃えを豊富にすることに加え、参入障壁を低くして、自由競争を促進することが可能となるということだ。そのような問屋の存在によって、各小売業は自由競争によって低価格化が図られ、結果として消費者がその恩恵を授かることになるというようなことだ。 とりわけ、食品などについては、すでにある程度システム武装を完了している大手卸の存在感があまりに大きく、その話は確かに当てはまる内容なのだろうなと思う。
正直な話、この本はかなりおもしろかった。僕自身は流通業に属しているのでスタンスとしてはこの本が否定していることを参考にしていることになると思うのだけれど、その立場にいても論理の整合性にはかなり納得させられてしまった。ただ、いきおい論理が業界全体であるとか全体論的な内容であるが故に、個々の企業の事例としてはそこから逸脱するケースというのは多数あるだろうし、そのような企業に属している身としては、この本に書かれている内容も踏まえた上で、妥当性のある選択肢というものを考えたくなってしまう。 いずれにしても、考え方として自分たちが普段抱いているスタンスに対して反対側から見ることができたというのは大きかったと思う。 業界的な理解という前提がある分入りやすかった部分があるにしても、おもしろかった。
―――――――――
今日のDaysは大阪のビジネスホテルから。 実は昨日の夜から(またまたまた……以下略)大阪に来ているのだ。 昨日は朝から東京で働いた後、20時台の新横浜発ののぞみで大阪へ。 新幹線の中で上記の本を読み終わり、ホテルの部屋でDaysを途中まで書いていたのだけれど、それから電話がかかってきたりなどで中断、そのまま終了する前に眠ってしまったのだ。 今回は大阪→名古屋→新横浜というロード。1日休日を挟んで、次は福岡4days。 それにしても、こうしてDaysに書いておくと、かなりクレイジーなスケジュールで動いているような気がする。 気のせいじゃないのか、これは。
―――――――――
お知らせ
今日のBGMは『The very best of Daryl Hall&John Oates』。 名曲多いなあと改めて思う。 「Private Eyes」に「One on One」、そして「Kiss on My List」とか。
「○×テレビ」 夏の2時間ドラマスペシャル 製作発表会
「湯けむり連続殺人事件 ズッコケOL5人組が密室殺人の謎を解く!!」
えー、本日は当社の夏の2時間ドラマスペシャルの製作発表会にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。 毎年大変ご好評をいただいている当社の夏の2時間ドラマスペシャルですが、昨年の捨て猫を拾ってばかりいるガンコなおばあさんと子供たちの心温まる交流を描いたヒューマンドラマ「ねこ屋敷の12ヶ月」も大ヒットとなったことは記憶に新しいかと思います。 そして今年はズバリ、ミステリーです。 昨今のミステリーブームに対応するために、あえて競争の激しい、2時間ミステリーものにチャレンジいたしました。 逆に、今回の企画への我々の自信と意気込みがわかっていただけるのではないかと考えております。
また、時代の要請として、現代人の自由に使うことのできる時間がどんどん短くなってきているという現実があります。とりわけ、女性の社会進出も当然のこととなっている現在、部屋でゆっくり2時間ドラマといった視聴者の数は確実に減ってきているのであります。 さらに、最近のバラエティ番組では、オチのテロップ化が進行しております。賛否両論いろいろございますが、これだけ普及しているということはやはりそれなりの需要があるということ。 ということで、今回我々はその二つのトレンドを鑑み、画期的なシステムを開発いたしました。
「真犯人テロップ」です。
これはいつ、どんなシーンでも真犯人が画面に映っている場合には、矢印とテロップがその犯人を追いかけるというものです。 それにより、途中で席を外さなければならない人でも、安心して見ることができます。また、時間によって、そのテロップの文字も変化していきます。 実際に、いくつかの例をご覧になっていただきましょう。
(パワーポイントを操作する)
「→こいつが犯人」 「→親切なふりをしているがこいつが犯人」 「→いまの発言は嘘。だってこいつが犯人」 「→ああっ! あぶないっ! 気をつけて、こいつが犯人ですっ!」 「→いま、目が怪しく光りました。悪いことを考えています」
……と、常に真犯人が追跡されるため、安心して楽しむことができます。 もちろん、それに付随して「犠牲者テロップ」も用意、誰が第2、第3の殺人のターゲットになっているのかもわかりやすくなっております。
また、今回は5000人に2時間ミステリードラマに何を望むのかという大アンケートを実施し、我々番組を制作する立場からではなく、見る立場、つまり視聴者の皆さんにいったい何を求めているのかを聞き取り調査していることも大きなポイントとなっております。その結果、さらなるテロップの活用方法が生まれてきました。
「お色気テロップ」です。
2時間ミステリードラマに期待していることの多くが、とりわけ男性陣にとっては、入浴シーンとベッドシーンに代表されるお色気シーンだったのです。ということで、それに対応するため、このようなテロップをつけてみました。
(パワーポイントを操作する) (画面の右上にテロップとカウントダウンが)
「入浴シーンまであと 120秒」 「ベッドシーンまであと 35秒」
……と、この機能により次のお色気シーンまでの所要時間がわかり、絶好のチャンスを見逃すこともなくなります。
そして、その機能を受けて今回ズッコケOL探偵団として活躍する5人には、大人気のグラビアアイドルを起用。意味もなく温泉で騎馬戦がはじまったり、意味もなく水着になったり、ストーリー上必要のないイメージカットが多数組み込まれております。 また、5人にはそれぞれわかりやすい性格設定として「赤」「青」「緑」「黄」「桃」を設定、リーダータイプの「赤」、クールな「青」、存在感のない「緑」、かわいい「桃」となっております。
そして、番組のタイトルにあります「ズッコケ」の部分は、すべて「黄」に集約されております。
もちろん、誰が「赤」で誰が「黄」かわからないという視聴者のために、「黄」を担当する女優には、本編中で3回ほど意味もなくカレーライスを食べているシーンも用意しております。
さて、これだけの魅力が満載された「湯けむり連続殺人事件 ズッコケOL5人組が密室殺人の謎を解く!!」。 画期的なシステムを持つこの番組で、視聴率20%は固いと踏んでおります。
……
……
―――――――――
お知らせ
先週の視聴率
「湯けむり連続殺人事件 ズッコケOL5人組が密室殺人の謎を解く!!」(○×テレビ) 3.7%
今日は渋谷で飲み。 金曜日&世間一般的な給料日ということもあって、入ろうと思っていた店がことごとく並んでいた。 それで道玄坂沿いにある焼肉の店へ。 照明の随分暗い、雰囲気のよい焼肉屋。最近はこういうのが増えているのだろうか? しかもテーブル会計だった。そんな焼肉屋はじめて入ったよ。
店を出る頃には23時40分を回っていて、慌てて駅に向かう。 スクランブル交差点はまだまだ驚いてしまうくらいの人たちで溢れ、眠らない街というよく言われているらしい言葉を思い出していた。 いろんな人がいる。 この広い世界のどこかには、眠らない街も必要なのだろう。 そんなことが素直に思えるようなネオンの渦に、思わず目をしばしばさせられてしまう。 昔のDaysに書いた、約束を交わすたびに繋がる色のついた線のことを思い出した。 これじゃあ今日も線は複雑に絡み合うのだろうなとか。
終電が近い時間のお約束の混雑に巻き込まれ、0時台に最寄の駅へ到着。タクシー乗り場には長蛇の列。 コンビニに寄って部屋に着いたときには、もう1時に近かった。
―――――――――
お知らせ
そういえば、この間渋谷で尾道ラーメンというのを食べたのですが、個人的にはそれほどヒットはしませんでした。
| 2002年05月23日(木) |
リラックスのためのいくつかのこと |
今日は有楽町でお酒を飲んで、部屋に帰ってきたのは午前0時少し前。いつものようにビール一杯しか飲んでいないのだけれど、空腹だったせいか頭が痛い。 2杯目に「ウーロン茶」と頼んだら、店のおやじさんが「ウーロン?」と、まるでアルコールを飲まないのかいお前はというような表情で話しかけてきた。 「ウーロン茶で」と、「茶」の部分を強調して答えると、おやじさんは仕方ないなあというように「ハイヨ」と離れていく。 その後はウーロン茶を少しずつ飲んでいた。 頭痛い。
―――――――――
昨日の休日、夕方に銭湯に行ってきた。 何だか随分と疲れているような気がして(実際、それは気のせいではないのだけれど)、それで大きなお風呂に入りたかったのだ。 確か前に散歩にでかけたときに駅の反対側の方に一軒あったのを見かけたことがあると思っていたので、タウンページを見て調べてみる。するとやっぱりちゃんと該当する住所の銭湯があって、そこに行ってみることにする。カバンのなかにタオルなんかを入れて、夕方4時少し過ぎに、まだ下校時の学生たちがたくさんいる駅を通り抜けて銭湯に向かった。 夕方に銭湯に行くなんて贅沢だと思って嬉しくなる。 5月の午後4時なんてまだ全然明るくて気持ちがいい。
記憶をたどってたどりついた銭湯は、よく言えばレトロ、客観的に言えばかなり古びたところで、逆にそれが興味をそそる。 靴を入れる下駄箱が左右に並んでいて、向かって右手が女湯で左手が男湯。 木の板が鍵になっているその下駄箱に靴を入れ、男湯の引き戸を横に引く。 番台にはおばさんが座っていて、小さなテレビで国会中継を見ていた。それもまたお約束な感じがしてなんとなくおかしくなってしまう。 大人は400円。
本当に思っていた以上に古びた歴史を感じさせる銭湯で、あまりにも一般的な古い銭湯というイメージに近くておかしいくらい。 壁の高いところに開店記念に取り付けたらしい柱時計がかかっていたのだけれど、それがまた随分と歴史を感じさせる代物で、開店したのってたぶん僕が生まれるより前だったのだろうなとか思えてしまう。 脱衣所には衣服用のロッカーがまたあって、最近よくあるスーパー銭湯なら腕時計のようなものを腕にまいてロッカーの鍵をつけるのが主流なのだろうけれど、この銭湯では簡素なゴムに鍵がぶらさがっているだけだった。 おじいさんが2人入っているだけの銭湯。 その2人も途中で上がっていってしまった。
小さな体育館といった風情で、時間が時間のせいかやけに明るい。 湯船は2つあって、1つは普通で、もう1つが泡風呂。 「備長炭を使用しています」という手書きの紙が張られている。 壁の絵は富士山ではなくて、ただ随分とひび割れていた。
随分とのんびり入っていた。 足を伸ばして。 ふうー、とか思いながら。 ここ最近は自分でも実感してしまうくらい疲れていたので、そういう意味でのんびりとすることができた。 たまに大きなお風呂に入るのは気持ちがいいなと当たり前のことを当たり前に思った。 当たり前のことを当たり前に感じたり思えたりするようなことが、余裕がなくなってくるときには難しいんだよなあと思ったりもしながら。 泡風呂のほうは思いがけず深くて、底を確かめながら入る。 誰もいなくて、歌でもうたいたくなる(うたわないけど)。
お風呂をあがって服をちゃんと着る。そして実は入る前から気になっていた明治乳業の自動販売機でコーヒー牛乳を買う。 100円。 腰に手を当てたりはしなかったけれど、昔ながらの銭湯でお風呂上りにコーヒー牛乳なんて、ある種の様式美だ。 ワールドカップで日本を訪れるだろう多くの外国人たちにも、ぜひ経験してもらいたいくらい。 久しぶりに飲むコーヒー牛乳は想像していたよりもずっと甘ったるかった。
出るときに番台を見上げるようにして「何時までやっているんですか?」とおばさんに訊ねる。 「十時半までだよ」と言われる。 今度は夜にでも、また来てみようかなと思った。
その後で、せっかくなので駅裏の方を散歩する。 そして理髪店を見つけたので、せっかくなので髪も切ってしまうことにする。 これから暑くなってくるので短めで、また幼くなってしまうことはまあ横においておいて。 髪を切った後でそれからさらに散歩を続けたのだけれど、散歩の効用についてもやっぱり考えてしまった。 そんなにたいしたことではなくて、いろんな道路をただ歩くこと。 崩れかけてしまったリズムを回復するためには、そういうことも必要なんじゃないかと、そう思った。
―――――――――
お知らせ
今度のお風呂あがりには、牛乳を飲んでみたいものです。
| 2002年05月22日(水) |
森の動物たち�ァ 〕イ靴い�まの見分け方 |
昔々、あるところに1人の旅人がいた。 世界中を旅したいと夢見たその旅人は、灼熱の砂漠を、あるいは凍てつく雪原を、その足で踏破しつづけた。 世界を巡る広大な海も、天高くそびえる山々も、昼なお暗い森さえも、彼にとっては魅力的な宝石のように、ぜひ近づいていきたいものだったのだ。 旅の途中、彼はある山奥の小さな村で歓待を受ける。 その村の長老の娘は美しく、彼の心を一目で惹きつけた。 2人は恋に落ち、毎日のように森の中で愛を語らい、旅人は娘が知らなかった世界について話して聞かせた。 純朴な娘は、男が語る世界の様子に聞き入り、まるで自分がそれらの景色を通り過ぎてきたかのような気になったのだった。
娘は言う。 「私はそうね……くまのことしかわからないわ」 「くま?」 「そうくまよ。私たちの村では、くまは山を一緒に使わせてもらっている相手なのよ。私たち人間と、森の動物たちを束ねるくま。だからくまには2種類いるっていうことを知っているの。ひとつは優しいくまで、もうひとつは悪いくま」 「優しいくま? くまに優しいも悪いもあるのか? はじめてきいたな」 男はそんなふうに言う。様々な場所を旅してきた自分でも、そんなことは知らなかった。 「あるのよ。優しいくまは、私たちを助けてくれるわ」 娘は、信じきったまっすぐな瞳でそう言う。 「見分け方はあるのか?」 「やさしい熊は実は言葉が通じるの。そして、心の底から頼んだことを受け容れてくれるわ。悪いくまには言葉が通じないの。だから、くまを見かけたらこう言うの。『ナリディアの村よりきた』って。そうしたら、動きを止めて話を聞いてくれるわ」 「言葉が通じなかったらどうなる?」 「それは悪いくまだから、私たちは逃げるか、戦うかするのよ。そうしないと襲われてしまうわ」
男はそんな話も、たくさんの時間の中で忘れてしまった。
永い冬が終わり、春が訪れる頃、男は自分の中から宿命的な影のようになくなりはしない旅への希求が再びもたげていることを知る。 娘に向かってたくさんの場所の話を、世界の話をしているうちに、逆にそういう外の世界への憧れが強くなってしまったのだ。 そして男は娘に告げる。 「来週には旅立とうと思っている」 男は慎重に言葉を選んだつもりだった。娘が自分を愛していることは分かっていた。もちろん自分も愛している。しかし、それでも自分の中の旅への強い気持ちを押さえ付けることはできなかったのだ。 娘は男に行かないで欲しいことを懇願した。いつまでもずっと側にいてくれることを心から頼んだ。それでも男の決意は固かった。 ずっと側にいると交わしたはずの約束も、そのときの男の中では随分と薄まったものになってしまっていた。 娘は男を黙って見つめた後、悲しみに耐え切れないかのように、その場から走り去っていってしまった。
男は娘の後姿を見つめながら、自分を納得させるように仕方がないんだと呟いていた。
翌日、男が目覚めると森の中の牢屋にいた。 以前、かつて裏切り者を入れておくためにつくったと話していた牢屋だった。 一瞬、自分の置かれている状況がよくわからない。 牢屋の外側には娘と村人たちがいて、まるである種の動物を見るように男を見つめ、取り囲んでいる。
男を取り囲んでいる村人たちの中で、まず長老が口を開く。
「旅人よ、お主はふみにじってはならぬものをふみにじってしまった。それがどういうことかをよく考えることじゃ」
「お主はお主の一番大切なものを奪われなくてはならない。もう、自由に旅をすることはできないのじゃ」
「一生、この森の中の牢屋で暮らすがよい。食事でも、必要なものはちゃんと与えてやる。ただ、どこにも旅立つことができないだけだ」
同じような顔をした長老たちがそう言う。
そして、男が何を言おうとも村人たちは聞く耳をもたず、そのまま歩き去っていく。娘だけが何度か後ろを振り返りながら、それでも長老たちの後をついていく。 男は1人森の中の牢屋に取り残された。
男は、自分の置かれている境遇をゆっくりと、少しずつ理解しはじめる。 長老たちが言っているのは、もう自分はこの小さな森の中の牢屋から永遠に逃げ出すことができないということだった。
1日2度の食事は娘が持ってきた。男はそのたびに愛の言葉を囁きまたあるときは恫喝し、何度も何度も繰り返し自分をここから出すように懇願し、怒鳴った。 けれども娘は感情のない目で男をただただ黙って見つめるだけだった。 それはまるで、男が「旅立とうと思っている」と言ったときに、娘の魂の方が旅立っていってしまったみたいだった。
娘はいつも牢屋の隙間から食事を差し入れた。そのときに男が娘の手を握ることもあった。「出してくれるまで離さないぞ」と。 そんなときには、しばらくすると村人たちがやってきて、男を殴りつけ、娘の手を離させるのだった。 かつては愛を確かめるために触れ合っていたはずなのに、その意味は随分と異なってしまっている。 娘は食事の時間以外にも、牢屋から少し離れた場所にある切り株の上に腰を下ろし、ずっと男を見つめていた。 あるいはその切り株の上で編み物をしたり、リスと戯れているときもあった。 そしてときどき、深い海の底のような目で、男をじっと見つめるのだ。 じっと。
男は、自分が何をしてしまったのかがよくわかってはいなかった。 そしてわからないからこそ、男の感情は暗い憎悪へと変わっていった。男は日に日に娘へ憎しみを向けるようになった。 罵倒するようになった。 娘はそれでも毎日同じ場所に来て、男をただ黙って見つめていた。 まるで過去の楽しかった想い出をなぞろうとでもしているかのように。太古の記憶が詰まった遺跡の柱に指先で触れるように。
季節が巡り、秋が訪れるようになった。 森の木々の色は移り変わり、風の匂いは複雑なものへと変わっていく。けれど男には自分の周囲の移ろいや変化は目には入っていなかった。 狭い四角い折の中で、ただただ、かつてめぐった様々な国や土地のことばかりが思い出された。そして自分の閉じ込められている牢の余りの狭さを見ると、悲嘆にくれた。 いまでは牢屋の中から切り株に座っている娘を見ても、どうしてあんな素朴そうな娘に惹かれたのだろうと、そんなことばかり考えるようになった。 娘を愛した自分を呪いすらした。 それでも、いつも娘は自分の近くにいた。
冬の間は、男は村外れにある建物ののなかの牢屋に入れられた。 そこでなら少しは寒さをしのぐことができた。 そして永い冬が終わり、男はまた森の牢屋に移される。 そんなふうにして、2度目の春が訪れた。
娘は、この2年の間に美しく成長していた。 毎日、同じように男を見つめている。 そして、以前にはまだ少女のようだった体つきも、ふくよかなそれにかわっていた。
ある夜。 村の方角が真っ赤に燃えている。叫び声が風に紛れて聞こえてくる。何かが起こっていることだけは男にもわかった。でもただ牢屋のなかでぼんやりとしていることしかできなかった。 しばらくすると、足をひきずるようにして深い手傷を負った娘がやってきた。
「どうした? いったい何が起こっているんだ?」 「……帝国軍が攻めてきたのよ。みんな殺されてしまったし、村にも火をかけられたわ」 娘は血を流しながら牢屋の鍵を開ける。 そして娘は倒れこむ。 「お、おいっ」 男が問いかけても、娘は返事をしない。肩に触れてみるが、微かにしか反応はなかった。 何が起こったのかがまだうまく理解することができない。 それでも、一際高い劫火の音が聞こえるのを合図にするように、男はその場から逃げ出した。
夜の深い森の中を、ただ闇雲に逃げ続けた。
そして、ようやく空気が白んでくる朝、男は自分の体が長い牢屋での生活のために、すっかりなまっていることを知る。 うまく走ることができなかった。 自分は急いでいるつもりなのに、ほとんど思っているようなスピードでは進むことができないのだ。 何度も何度も茂みにはまりこんで、体中が小さなひっかき傷だらけになる。 それでも逃げ続けた。悪名高い帝国軍に殺されることはごめんだった。 ようやくつかんだ自由の身なのだ。
そう思った刹那、男はその場に立ちつくしてしまう。 獣道の目の前に、身の丈2メートルはあろうかという大きなくまがいたのだ。 グレーと黒の混ざった毛並みのくまで、動きはゆっくりとしたものだったが、男も旅人だっただけあり、くまの敏捷さはよくわかっている。 このくまの手にかかれば、自分などひとたまりもないことはよくわかった。
ふいに、男はかつての娘の言葉を思い出す。
くまには言葉が通じのよ。
「……な、なあ、助けてくれ。私はナリディア村から来たんだ。お、お前たちは言葉がわかるんだろ」
男はようやく空気を吐き出すようにしてそれだけを言う。そして、二歩、三歩後ずさりながら懇願するようにくまの方を見る。
くまはその小さな深い瞳で、男をじっと見つめる。その姿にはどこか愛嬌すら感じさせる。もしかするとまだ子供のくまなのかもしれない。 そしてくまはゆっくりと口を動かす。その声は空気を震わせはしない。まるで、魂に直接響いてくるように感じられる。
(やさしい人間とわるい人間がいるんだ。見分けるためにはその人間の言葉に耳を傾けろってママから聞いたよ。 どうしてなんだろう? お前の言葉は、全然理解できないんだ。)
くまがそう言い終わると、ゆっくりと目の色が変わっていく。それまでのどこか幼い雰囲気から、凶暴そうな表情に変化する。目つきが変化する。男にも、危険なことはわかった。 ふいに、くまが周囲に響き渡るような唸り声をあげる。そして、男に飛び掛ろうとする。ものすごいスピードだった。男は慌てて身をかわすと、転げ落ちるようにして逃げはじめる。 どうして、自分がこんな目にあわなければならないんだ。 男はそう思う。 自分はただ、この目で世界を見たかっただけなのにと。
そう思いながら男は山の中を逃げ続ける。 そして、ついに足を踏み外して、崖を転げ落ちていってしまう。 男の体は地面に打ち付けられ。かろうじて仰向けになる。まだ早朝の白んだ霧がかかっているのが見える。霧はゆっくりと右から左の方へ移動している。 それでもなんとか体を起こして逃げようとするのだったが、激痛が走り動くことができなかった。 雲間から朝日が差し込んでこようとしていた。 朝日は、周囲の濃霧をかき消していくようにその勢力範囲を広げていく。
男が思い出したのはかつての娘の言葉だった。
「私はこの山から出たことはないけれど、でもあなたが来てくれたからよかった。あなたがいれば、もう他は何にもいらないわ」
女は確かに自分を愛してくれた。 自分も女を愛していた。 ただ、それ以外のことを求めることはいけないことだったのだろうか?
男は、深い手傷を負いながらも、自分を牢屋から出してくれた娘のことを思い出した。 そして、自分が娘を見捨ててきてしまったことを知る。 どうして、一緒に逃げなかったのだろう? そう思って、どうしようもないくらに大きな後悔の波が押し寄せてくる。 自分が追い込まれてはじめて、男は自分が何をしてしまったのかがわかったのだ。 それは、自分でも押しとどめることのできない感情の奔流だった。
男が仰向けに倒れていたのは長い時間ではなかった。 娘と過していた最初の頃の記憶が溢れるように思い出されてならなかった。 自分が何を得ようとして、何を失ってしまったのかがわかった。時間の針が自分の中でだけ逆に回る。
男はついに痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がると、娘のところに戻るために歩き始める。 どこをどう歩いたのかはわからなかった。 ただ、山の遠くの方に煙の出ている地域があり、おそらくそこが燃やされた村だということはわかった。 そこに向かわなければ。 男は、ある種の使命にも似た気持ちで、そんなふうに思うのだった。
そしてまたくまがいた。さっきのくまだった。 男は言う。
「も、もう少しだけ待ってくれ……俺は娘を助けに行きたいんだ。だから、助けることができたら後はどうなってもいいから。そこに行くまで待ってくれ」
くまは男を見る。 永遠とも思えるような長い沈黙。 そして、くまの目の色がゆっくりと変わっていく。
「ボクに乗りなよ。連れっていってあげるよ」
くまの声が心の中に直接聞こえてくる。その目には子供っぽい光が宿っている。 男は何が起こっているのかわからなかった。ただ、恐る恐るくまに近づくと、ゆっくりと背中に手をかける。くまは最初の数歩を男がずり落ちないかどうか確かめるようにゆっくりと進むと、それからものすごいスピードで駆けはじめる。 風景が、まるで粒子のように背後に流れて溶けていく。 くまがこんなに早く走ることができるなんて知らなかったと男は思う。 あるいは、私は長い夢を見ているのだろうか……
気がつくと、男は牢屋の近くに立っていた。 くまがつれてきてくれたのだ。
牢屋の入り口の近くには娘が倒れていて、男は娘を抱き起こす。 娘は、かろうじてまだ息をしていた。 「どうして……戻って……きたの?」 男を見ると、娘はかぼそい声でそう言った。 「すまぬ……」男は、ただただそう言うばかりだった。 帝国軍はすでに撤収していた。
男は娘を抱き起こすと、くまに乗せてもらい、山のふもとの別の村につく。そこで看病を受け、娘はなんとか一命をとりとめた。 娘の回復を待って二人はその村で一緒に暮らしはじめる。 そして男は眠っている娘に向かって言う。
私がお前にしたことは許されないことだ。ただ、これからはずっとお前の側にいるよ。
最初はまだどこかで心を閉ざし、距離をおいていた娘も、男の変わらぬ態度に少しずつ距離を縮めていく。 それに、信じることができるのが最初からずっと娘の強さだった。 男は、自分のうちに良心の呵責の塊のようなものを抱え続けることにはなるだろうが、2人は、出会った頃とはまた違った意味で、愛し合うようになっていく……
それから、後に男の妻となった娘は言う。
くまは鏡なのだと。
私たちの森で、くまは森の精霊なの。
くまは自分の心を映し出す鏡だって言われているわ。
だから、成人になると、みんなかならず森に1人で行かなければならないのよ。
そうして、くまに認められて、つまり、よいくまに出会うことができて、はじめて村の一員になることができるの。
その話を聞きながら、男は思う。 自分が出会った2匹のくま。 それは同じくまで、私を映し出していたに過ぎないのだろうと。 男は、くまに言葉が通じて――やさしい方のくま――に出会うことができて本当によかったと心から思った。
男は、いまでも夜になるとときどきあのわるいくまの鋭利な瞳の光を思い出す。 あれが鏡ならば、自分の心の中に、いったいどんな影があるのだろうとと……
いまでは、2人の間には小さな子供たちもいる。 狭いけれども畑もある。 一度は失いかけた分、その幸福はより明るく思えるのだった。 男は自分が弱いということがわかっているからこそ、よい父親によい夫になることができた。 脆い気持ちを自らの内に抱えているからこそ、強くもなれるのだと、そう信じることもできた。 男は思う。 誰の心の中にもわるいくまはいて、でもやさしいくまもきっといるはずで、そのバランスをとるのが誰かのことを思う気持ちや、意思の力なのだと。 あの森の中で仰向けに倒れた朝、朝日の光が霧をかき消していったことを思い出す。 あんなふうに、自分の中の悪いくまを、優しいくまが打ち負かしていくことができるようになっていこう、男は心からそう願うのだった。
――――――――
「うう……人間って弱いのね……」お気に入りのミッフィーハンカチを濡らしながらうさ子が言う。「それにしても、情けない男が最後に改心してよかったわ」 「でも、男はどうしてもどこかに行こうとするのよね。ずっといればいいのに」 さる江が言う。 「まあ、女だって行くだろ。性格の問題だよ」 とウルフィー。 「ま、これは一つの言い伝えなんだよ。もちろん多くの言い伝えがそうであるようにある種の糧が含まれているがね」 と話をしていたくま吉が言う。 今日は森の動物たちの月に一度のお話の日だったのだ。 人生経験豊富なくま吉が森の動物たちにいろいろな話をしてくれる、みんなが楽しみにしている<お話の日>だ。 モグたんもワッシーも、みんなが集まっている。
そして――
「いや、でも、それにしても」とSun Setさんが口を開く。森の動物たちがみんなSun Setさんの方を見る。 「あのとき男が改心していなかったら、本当にくまったことになっていたよね。本当にくまったことにさ」
「……」
「……」
「……」
とまあ、森の動物たちの毎日は、比較的のんびりしているのです。
―――――――――
お知らせ
次回、森の動物たちシリーズ�Α 宗戎垢�1ヶ月――は初夏から夏に更新予定。
| 2002年05月21日(火) |
ついさっき過ぎ去っていったように見える夜 |
いまは21日の午前5時をまわったところ。 帰ってきたのは20分程前で、部屋の近くにあるセブンイレブンで買ったお弁当を食べ終わったところ。 ふう。 今日はこのまま6時台の電車に乗って出勤するので、とりあえずいま眠ったら危ないという冬の雪山状態に陥ってしまっていたり。と言うことで、Daysでも書いて眠気をしのごうとか思ってみたり。 栄養ドリンクは、今日はかなり近しい存在に感じられるような気がする。
いまの仕事の今年のシーズンは、2月頃から何度かピークをむかえてはいたのだけれど、おそらくはついさっき過ぎ去っていったように見える夜も、そういう山の一つだった。僕自身の仕事は1時半過ぎに終わったのだけれど(それだってちょっとイタイものがある)、同僚の仕事がどう考えても終わらなさそうだったので、ヘルプに入ることにしたのだ。 それでこういう時間。 同僚に近くのセブンイレブンまで車で送ってもらって、バイバイと手を挙げて、青白んできた朝の空気のなかで、雨上がりのせいか高い湿度に梅雨を感じてしまう。 そして、何となく遠くを見る。 比較的新しいマンションと古くからある家並みの間に伸びる細い旧国道の先のほうに、夜の一番端の方が過ぎ去っていくのが見えるような気がする。 まるで人影のような姿をしている夜の一番端が。 それはたぶん眠たいせいなのだろうけれど。
セブンイレブンではお弁当と1面にトルシエの写真が出ているスポーツ新聞を買って(普段ほとんど買わないのだけれど、最近はサッカー関連の記事が読みたくてついつい買ってしまう。ミーハー?)、栄養ドリンクも忘れずに買う。 とりあえずDaysとResのあとでシャワーでも浴びて、また新しい1日を乗り切ろうと思う。
今回は確かにちょっとすごいスケジュールで、ただ何でも喉元を過ぎてしまえば熱くもないということもわかっている。それなのでこうやってDaysに記しておけば、後になれば「あの時期はハードだったけれどおもしろかったな」と思い返すことができるのだと思う。実際問題、おもしろいおもしろくないで言えば、間違いなくいまの仕事はおもしろいのだ。なかなかこういうことをやらせてもらえるわけではないし。 それに、楽な仕事と楽しい仕事は字が似ているけれどたぶん大きな違いのあることで、楽な仕事はそのままでもすることができるけれど、楽しい仕事はおもしろいのだけれどつらい状況を過ぎないと体感することができないものなのだろうと(勝手に)思うし。
それに、今日頑張れば明日は振替休日でもあることだし。 ゆっくり眠ることを夢見ながら、今日はガンガン頑張ろう。 元気だねって言われるくらいに。 どうしたのって言われるくらいに。
―――――――――
お知らせ
「どうしたの?」はまずいかも、さすがに。
| 2002年05月18日(土) |
17日から18日まで |
17日は午後の飛行機で名古屋空港から福岡空港へ。 名古屋空港は大都市の空港の中では一番古いようなイメージがあったのだけれど、今回もやっぱりそう思った。70年代とか、80年代前半の雰囲気をいろいろな意味で残しているような。 博多に着いて、ビジネスホテルの部屋に荷物を置いてから、閉店近い新星堂と紀伊國屋(博多駅博多口を出てすぐ右側のビルにある)にまた出掛けてくる。 そして、新星堂では最近一部でブレイクしているノラ・ジョーンズのアルバム『come away with me』を購入する。 前回博多に出張で来ていたときに目立つ売り場でプッシュされていて、購入するかどうか結構迷って結局Pet Shop Boysなどを購入したのだ。 そして、今回もレジ前の売り場で試聴機つきでPRされていて、2、3曲試聴してみてやっぱり買おうと決めて購入する。 パッケージには「大都会のナチュアル・ヴォイス」と形容されているのだけれど、ピアノやギターの弾き語りのアコースティック・サウンドが素直に耳に入ってくる感じだ。 普段よく聴くジャンルとは異なってはいるのだけれど、こういうのもすごくいいなと思う。
紀伊國屋では本を3冊購入。出張中に荷物を重くしてどうするのだろうといつも思うのだけれど、本は惹かれたときに買わないととは思っているので。 帰り、スターバックスでキャラメルマキアートのトールサイズ(ホット)を購入して、ビジネスホテルの部屋で音楽を聴きながら仕事。
18日は日中博多で仕事をして、18時20分のJALで東京へ。それからその足で元同僚の送別会へ向かう。 九州に転勤することが決まっているのだ。 昨年同じ部署で一緒にやっていて、いまは異なる部署にいるのだけれど、それでも送別会にはぜひ出たかったのだ。 人望の厚い奴なので、みんなからいろいろな言葉や物をもらっていた。 なんだか、来週にはいなくなってしまうのだということがまだうまく信じられない。
他の同僚に送ってもらい、部屋に着いたのは0時過ぎ。 約1週間ぶりの部屋はやっぱり最初の10分くらいはほんの少しだけ馴染めないような気がする。
―――――――――
そう言えば、今日博多で仕事をしているときに、アルバイトの子(大学1年生)と話していて、「何歳なんですか?」という話になって、定番だけれども「何歳に見える?」と訊いたら、「うーん、25歳?」と言われてしまった。 正解を伝えて「いつも下に見られるんだ」という話をしていたら、「24歳とかでも全然いけますよー」と続けて言われてしまう。 ……うれしくない。 うれしくないよ!!
繰り返し書いておくのだけれど、僕は27歳だしあと数ヶ月で28歳になるので、もうちょっと見た目から変えていかないといけないかなとか思ってみたり。 ポロシャツの裾をチノパンやジーンズの中に入れたり? ウエストバックならぬウエストポーチをつけてみたり? なんだか、ちょっとだけ大切なことを履き違えているような気もするけれど。
―――――――――
お知らせ
ノラ・ジョーンズの1曲目「Don't Know Why」はよい曲だと思うのです。
| 2002年05月16日(木) |
my carry bag |
スケジュールが変更になり、明日名古屋での仕事の後で、直接博多に行くことに。
往年のサッカー漫画『キャプテン翼』には、「ボールはトモダチ」という名台詞があるけれど、最近の僕も似たような感じになっている。
「キャリーバッグはトモダチ」
長く続く舗道を、あるいは駅のホームを、またあるときは階段を、いつも一緒に移動してくれているキャリーバッグは、ナイトライダーのキッドのように、ど根性ガエルのピョン吉のように、あるいはフランダースの犬のパトラッシュのようにかなり近しい存在のような気がする。 とか書いてみたり。 でも本当に、「500 days」に書いている部署に異動になったときに買って以来ずっと使っているから、もうちょうど丸3年くらいになる。 会社に入ってから、ほとんどすべての出張に持って行っていることになる頑丈なキャリーバッグ。 色は黒の、SAMSONITEのやつ。購入した千葉そごうのカバン売り場の人に「これは頑丈ですよ」って勧められたバッグ。 当時結構したのだけれど、日常的に使うことになるからと、迷ってから買ったのだった。 そしてたぶんその選択は正解だったと思う。 そのときの気持ちはいまでもよく覚えている。不思議なことに、結構鮮明に思い出すことができる。 出張が多くなりそうなことに、なんとなく期待と不安が入り混じったような感覚を抱いていた。ノートパソコンを買ったり、出張グッズを用意したり、限られた時間で準備を行っていた。 懐かしいなと思う。 3年前の自分と、いまの自分との間ではもうたくさんのことが変わっていて(もちろん変わっていないことだってたくさんあるのだけれど)、そういう変化をこのキャリーバッグは感情を交わすことはできなくても、同じ場所で共有してきたのだと思うとなんだか不思議な気がする。 もう少しで、出張生活からは離れることになるわけだけれど、なんだかそのときには「お疲れ様」って思うのだろうなと思うし、キャリーバッグを見ていると物にも感情のようなものを付与した昔の人の感覚が、ほんのちょっとだけわかるような気がする。 もちろん、いまはまだその途上だから、もう少しだけ一緒に頑張ってもらうことにはなるのだけれど。
相棒とかいう言葉はいいなとか思ってみたりもする。バッグなので、人間ではないのだけれど。
―――――――――
現在は、17日の2:10。
今日は仕事が終わった後で「上麺赤坂屋」というそれなりに有名らしいラーメン屋に入った。またもやラーメン紀行in名古屋というところ。 ただ、この店は東京赤坂のラーメン屋の名古屋支店とのことで、なんだかそういうのってどうなのだろうとは思ったのだけれど。 麺がオレンジ色で(サフランとかも入っていると書かれていた)、なんだか変わった感じのラーメンだった。 それにしても、ラーメンって本当にいろいろあるよなあと思う。
ビジネスホテルの部屋に戻ってきてから、4人と各30分ずつ電話で打ち合わせ(携帯電話って本当に便利だ)。それから持ち帰りの仕事。 息抜きにDays記入。 終わったら、続きに戻る予定。 明日は人と会う約束が10時からなので、まだ時間的にも大丈夫だろうし。 それにしても、こうやって文章を書くことが個人的には随分と気晴らしというか、ギアを変えることに役立っているなと思う。 後で振り返ってみたときには、やっぱりそういうことにある意味救われていたとか、助けられていたのだろうなと思うんじゃないかと想像してしまう。
―――――――――
お知らせ
今日帰り道で大きな公園を通り過ぎたのだけれど、公園とかで遊んだことって、もう随分と昔の記憶だと驚いてしまった。 砂場とか、脱いだ靴を4人乗りブランコの中央に並べて、ブランコを揺らして最後まで靴が残っていた人が勝ちとか、そういう遊びを思い出したりして。
―――クレセントマリーの何でも相談室―――
うぃー、めるしーぼくー、とれびあん。 愛と思春期の恥ずかしいポエムの使者クレセントマリーよ。 今日も、私の元へはたくさんの相談が寄せられているわ。 ストレスの多い現代社会、本当にみんな様々なことに悩んだり迷ったりしているのね……それを思うと、ちょっとアンニュイな気持ちになるわね。 でもまあ大丈夫。 終わらない夜がないように、解決しない問題はないわ。 朝が訪れたときに晴れているのか雨降りなのかは別にして、夜は必ず明けるものよ。 気持ちのよい朝を迎えることができたらいいわね。
それじゃあ、はじめましょう。
【相談】
クレセントマリーさんに質問です。 私の恋人は、こういうことを言うのも何なのですが私のことを本当に愛してくれていて、いろいろなプレゼントをくれるのです。それも、「たぶん君はこういうのが欲しかったんじゃないかな」って自分で考えてくれた物を、突然くれるのです。 プレゼントをもらうこと自体はやっぱり好きな人からだし素直に嬉しいのですが、でもそのプレゼントがちょっとどうなんだろう? って思うのです。
たとえばプレゼントってこんな感じです。
吹き矢 アフリカの部族のお面 木彫りのヒグマの人形 タペストリー Tシャツ(中央前面に「誠実」って書いてある。しかも彼と色柄違いで、彼のものには「友情」って書いている)。
クレセントマリーさん、こんな私たちの相性はどうなんでしょうか? 私は1984年7月2日生まれで彼は1983年6月15日生まれです。
【回答】
ねえ、あなたの彼氏本気で趣味悪いわね。 吹き矢っていったいどこに売ってんのよ? って言うかそれ日常生活で使わないでしょう。 夜道を歩いていて変質者に襲われそうになったときに吹き矢って、ちょっと違うしね。 それに、お土産で木彫りの熊とタペストリーは買っちゃいけないもの番付の横綱と大関だわよ。 ある意味あなたの恋人は真の武士(もののふ)なのかもしれないわね……絶滅したと思っていたけど。
さて、さっそく占ってみたんだけど。 2人の相性はかなりいいわね。 運命的にとまではいかないけど、宿命的には相性がいいわ。 たぶん一緒にいたら幸せになれるわよ。 ただ、間違いなくその恋人はあと数年したら頭にバンダナを巻くようになるだろうし、サラリーマン生活が10年くらいしたら脱サラしてペンションを建てたいっていいはじめるわ。 野菜も有機栽培じゃないと受け付けないわね。 そのライフプランが自分に近かったら、このまま一緒にいた方がいいわ。 そのライフプランが自分に遠かったら、それとなく距離をおいた方がいいわ。 ただ、別れるときには間違いなく半年は付きまとわれるわね。 こわいこわい。
それじゃあ、また来週にね。
―――――――――
14日は新幹線で新大阪から名古屋へ移動。午前8時過ぎに名古屋に到着し、ビジネスホテルにチェックインしたのは午前0時少し前(21時まで仕事。それ以降はお酒を飲んで人と会っていた)。 15日は午前8時半にビジネスホテルのロビーに集合し、帰ってきたのは23時45分くらい(21時半まで仕事。それ以降はお酒を飲んで人と会っていた)。 明日も名古屋での仕事。
―――――――――
お知らせ
コンビニでGEOGIAの「スペシャルサマー2002」を買いました。 もう夏かとか、思いながら。
最近は本当に暖かくなってきて(これは大阪にいるせいでなおさらそう思えているのかもしれないけれど)、外を歩くのは気持ちがいい。 今日、ビジネスホテルに帰ってきたのは21時少し過ぎで、21時少し前に通り道にあったスターバックスでカフェモカのトールサイズを買って、それを飲みながら歩いていた。最近はだんだん空気のなかに初夏の感じのようなものが紛れてきていて、夜風はやわらかくて、本格的に暑くなる前のさわやかさのようなものを感じたりする。 好きな季節はもちろんあるのだけれど、今日の21時のような雰囲気のなかを歩いていると、逆に嫌いな季節というのはほとんどないのかもしれないというようなことを思う。たとえば大雨のずぶ濡れの午後なんかには、もうこんなのは嫌だとか思っているような気がするのだけれど、そういうことも5月上旬の気持ちのよい夜には忘れてしまっている。 自分のことながら都合がいいかもしれない。 そして街路樹の葉がかたどる影をぼんやりと見たりしながら、「ふう」とか思っているのだ。 ふう。
そして、こういうことを書いていたら、もうちょっと長い時間歩いてみたくなってしまった。ということで、これをアップしたらビジネスホテル周辺をちょっと散歩してこようと思う。せっかくだし。気持ちのよい夜だし。
※ちなみに、いまは23時40分少し前。
―――――――――
お知らせ
明日は早朝の新幹線で名古屋に移動する予定。 午前8時過ぎには名古屋で後輩と合流できるように。
| 2002年05月12日(日) |
『誕生日の子どもたち』+夕方 |
『誕生日の子どもたち』読了。トルーマン・カポーティ、村上春樹訳。文藝春秋。 「訳者あとがき」によると、「ここに収められたトルーマン・カポーティの六編の短編小説は、それぞれに少年や少女の無垢さ=イノセンスをテーマにして書かれた物語である。」とのこと。 収められているのは以下の六編。
誕生日の子どもたち 感謝祭の客 クリスマスの思い出 あるクリスマス 無頭の鷹 おじいさんの思い出
好きな作家の好きな短編を、別の好きな作家が訳しているのだから、これはやっぱり嬉しい。たとえて言うなら、昔からずっと好きだった曲を、別の好きなアーティストがニューアルバム(あるいはライブ)でカバーしてくれたときのような感覚がある。本当だったら、『ミリアム』なども入れた、レイモンド・カーヴァーの『カーヴァーズ・ダズン』のような本だったらもっと嬉しかったのにとは思ったのだけれど、それはまあ贅沢というやつなのだろう。 特に嬉しかったのは、カポーティの短編のなかでも1、2を争うくらい好きな2編が収録されていたことで、それは『クリスマスの思い出』と『無頭の鷹』になる。 『無頭の鷹』に関しては数日前のDaysでも一部を引用していたから、書店でこの本を見つけて目次をぱらぱらとめくったときには、思わず驚いてしまった。タイムリーだって。 ただ、村上春樹訳のほうもわかりやすくてよかったけれど、この作品に関しては自分の中では河野一郎訳バージョンの方が繰返し読んでいることもあって、オリジナルというような感じがしてしまったのだけれど(訳でオリジナルって、少しだけ奇妙かもしれないけれど)。 ただ、『クリスマスの思い出』の方はかなりいいなと思った。カポーティーが好きな人って、ある種壊れたようなところのある作品に紛れて、このような幼年時代を描いた一連の短編があることにどこかすくわれたような感覚を抱いてしまうのではないかと思うのだけれど、やっぱり今回も夢中になってしまった。カポーティーの実人生自体は結構大変かつどうしようもない地点に運ばれてしまっていたようなのだけれど、それでもこういう短編を創り出したという意味で、作家としてはやっぱり優れているのだろうなと考えてしまう。少なくとも、個人的にはやっぱり好きだと思ってしまう。 幼いバディーの年上の親友が出てくると、その短編はやっぱり素晴らしいものなのだとなかば条件反射的に思ってしまう。単純なのだけれど。
「フルーツケーキの季節が来たよ!」という言葉で、みんなにミス・スックが親友としているわけではないのに、それでも自分にも彼女(あるいは彼女のような存在)がいてくれるような錯覚めいたものを感じられるのだ。誰の中にもあるだろう幼年時代への郷愁のようなものが行間や細部につまっているのだと思う。
この短編は、個人的にはいままで読んできたいくつかの短編のなかでも、最良のもののひとつだと思う。とりわけ最後の段落になると、いつもいつも短編というものはこうあるべきなのだろうなと、わりと本気で思う。
―――――――――
今日は大阪にいる。ロード1日目。日曜日だったので街は混み合っていて、地下鉄のなかにも買い物帰り風の人が結構多かった。 そう言えば、しばらく洋服とか買ってないなと思えたりもした。 ただ単純に、1日買い物だけ! というような日を作りたいなとか。
夕方、新大阪近辺を移動していたときに、ちょうど日が暮れようとしていて、なんだか随分と久しぶりに夕暮れを見ているような気がしていた。 実際には最近でも他の場所でも夕暮れを見ているのかもしれないけれど、不思議なことに記憶からは抜け落ちていて、本当に随分と久しぶりに空がオレンジから薄く淡い夜の闇に染まっていく時間を体験できたような気がした。そういうのってたぶん得難いことで、ここ数日は自分で思っていた以上に疲れていたようなのだけれど、なんだかそういうときにはいいかもと思えるような時間だった。 空のものすごく低いところを轟音を響かせて遠ざかっていく飛行機の機体を見上げることもできたりして(おそらく伊丹空港に向かって着陸体制に入っている飛行機なのだと思う。わりと短い間隔のなかで何機か遠ざかっていったから)、そういうのもおもしろい感じがした。
―――――――――
お知らせ
今回のロードは厳密に言うと、大阪→名古屋→大阪→福岡なのです。
現在、12日の1:40。 ついさっき帰ってきたところ。 土曜日は休日だったのだけれど、夕方に仕事場に行って、一度帰ってきてから22:30から0:30まで近くのファミリーレストランで上司と同僚と3人で打ち合わせ。 僕が明日から大阪なので、そういうイレギュラーな形でのミーティングをするしかなかったのだ。 先週はいろいろと新しいことが決まって、それに関連して様々な資料を作成して取締役に了承をもらったり、その件に関して具体的に細部を詰めたりと、やることが結構あったのだ。 そしてそれはまだ継続中で、そういう仕事を抱えたまま明日からロードがはじまるので、これはこれでなかなかハードかつおもしろいことになってきたと思う。 いまの仕事はたぶん今年の夏で終了で、次は現場(店舗)に戻りたいという希望があるのでおそらくそうなるのだとは思うのだけれど、それでもいまの仕事は勉強になっていると思う。 でもまだ本当に全然いたらないところも多いので、しっかり頑張ろう。
――――――――――
たとえば札幌では冬になると雪が積もって、そういう静かな夜に散歩に出るのは楽しいことだった。 もちろんかなり寒いので、そんなに長い距離を歩くことができるわけではないし、結構足元も滑るので少し遠くのコンビニにまで足を伸ばす=散歩ということになるのだけれど、それでもそれはやっぱりいま思えばたのしい時間だった。 雪が電信柱の明かりに照らされたときの色はかなりきれいで、そうじゃないところも晴れた夜には月明かりに照らされてうつくしくみえる。雪景色って言葉から連想するイメージほどきれいではない部分も少なくないのだけれど、それでも深夜にはどうしてかきれいに見えることが多かった。不思議なことに。 それから、かなり寒くて、コートのポケットから両手を出すこともできないくらいではあるのだけれど、吐く息だってかなりかなり白いのだけれど、それでもこのまま永遠に夜が終わらないのじゃないかと思えるような瞬間は、冬の方がどうしてか多かった。夜の底にいるような感覚があった。夜の淡い闇をかきわけてかきわけてどこかへ潜っているような。 これは何度も書いていることなのだけれど、深夜に1人で散歩することができるのは男に生まれてよかったと思うことのひとつで、1人の時間は絶対に必要なのだろうなとそういうときにはあらためて思う。 人は乱暴に粗くわけてしまうと何種類かに収斂されてくるのかもしれないけれど、その中には1人の時間がある程度以上必要な人たちがいると思う。 僕も自分ではどうしてなのかはよくわからないのだけれど、それでもやっぱり1人の時間は必要だと思っている。 いままでずっとそう思ってきたし、これからもたぶんそうだと思う。
たとえばその深夜の散歩のときには、別に何か特別なことを考えているわけではないのだ。それでも、自分の物事の考えるときの傾向とか、世界に対する見方であるとか、そういうものを確認することができるのは、やっぱり1人で散歩をしているときだと思うし、それがより鮮明になるのは中でもやっぱり夜の散歩のときだ。 冬の深夜の散歩は、思わず背筋を伸ばさなくてはならないようなところがあって、そういうところが(こごえるくらいさむくても)すきだった。 いまは雪の積もることなんてほとんどない場所で暮らしていて、散歩自体は相変わらず続けてはいるけれど(9日の夜にも深夜、2つ隣の駅まで歩いたし)、それでもやっぱり歩いているとときどき冬の北国での夜の散歩のことを思う。 それはもう現実的に難しくなったから、焦がれているといった感覚に近いものになっているような気がする。 最近の散歩のときには、仕事からの息抜きという部分で何も考えていないか、いま書いている(厳密に言うと手直しをしている)小説『N43゜』のことを考えている。 主人公千冬(ちふゆ。男)と、その幼馴染みのユウコのことを、それから2人が育ってきた小さな海辺の町のことを思い浮かべているのだ。 夜になると、その町のことをイメージしやすくなるのだ。どうしてか。 いろいろなことは、結局どういうふうにしても繋がってしまうものなので、後は何と何がどう繋がるのかを見極める技術が必要なはずで、それを整理するためには散歩が必要なのだ。 仕事が忙しくて、現実にはあんまり手直しに時間をかけてはいないのだけれど、それでも散歩のときにでも考えておくということは必要だと思う。 そういうのが、実際に手直しをするときにボディブローのように効いてくると信じたいし。 繋がるようにって思うし、繋げていきたいとも思う。
今日は『N43゜』の最初のほうのシーンを一部だけ抜粋。普通の本のようなページ割りに換算したら、10ページから11ページの部分。
―――――――――
「人攫いが出るわよ」 僕のほうに近づきながらユウコは言う。「ユウコにやっつけてもらうよ」と僕は答える。いつものお約束だ。階段を上った先にはユウコの愛車であるクリームグリーン色の自転車が停められていて、それがくたびれたガードレールに立てかけられているのが見える。ユウコはいつもチェーン式の鍵を二つつける。それだけお気に入りの自転車だからで、このほとんど全員が知り合いのような田舎の町もなかなかどうして物騒だというのがユウコの持論だった。基本的にきちんとしすぎているのだ。大人びていて、とても同じ十六歳だとは思えない。 まあもちろん、確かに、クリームグリーン色の自転車はとても魅力的な色をしているけれど。 「アルバイト?」 「そうよ」 ユウコは何でもないことのようにそう言ってみせる。 「そうしたら、背中が寂しそうな青春君が砂浜にいるのが見えたから」 「今日は夕日に向かって叫んでいたから喉がからからだよ」 と僕は言う。ユウコはやれやれといったふうな表情を見せる。 黒い長い髪はまだ浅い夜のなかに、薄く溶け込んでいるように見える。海岸道路の電灯の明かりは砂浜まではそれほど届かなくて、思いがけず暗い。ユウコは週に四日ほど近くのスーパーでアルバイトをしている。小さい頃から何でもきちんとできたユウコは、やっぱりレジを打つのも早い。たまに買い物に行くと僕はユウコのレジを選ぶのだけれど、その手際のよさと数字のキーを押すスピードたるや大したものだ。町内でも有名なしっかり者の上原さんの娘なのだ。 気が強くて口が悪いのはたまに傷だけれど、本人にそれを言うといつもうるさいと言い返される。口喧嘩では僕はきっと永久にユウコには勝てない。 バンはユウコの足元に嬉しそうにまとわりついている。昔からユウコになついているのだ。ユウコは慣れた手つきでバンの頭を撫でると、「少し寒くなってきたわね」と言う。 「そうだな」 「もう帰るんでしょ?」 「もちろん、今日はもう叫び疲れたしね」 僕らは砂浜から離れて海岸道路に出るためにコンクリートの階段をのぼる。途中、海の方を見ると、暗く不穏な海がまるで巨大な鯰のように、静かで深い音をたてているのだった。
―――――――――
それが何らかの形で読んでくれた人の感情を揺り動かすことができるような物語になっていればいいと思う。
―――――――――
お知らせ
明日からはロード。
『なるほどの対話』読了。河合隼雄、吉本ばなな。NHK出版。 すごくよい本だった。いろんな意味で、勉強になるという言い方はたぶん正確ではないのだけれど、ああすごいなって素直に思えるような対談集だった。 知らず知らずのうちに肩に入っていた力が抜けるような。 ゆっくりと振り返ることの大切さを思い出すことができるような。
本を読んでいいなと思ったところはページの隅を折り返すことにしているのだけれど、読み終わってから見直してみたら、結構なページを折り返していた。 もちろん、それは読んでいるときにも思ってはいたのだけれど(この本は随分たくさん折っているよって)、あらためて納得した。
いい対談集だと思う。
河合隼雄は、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』でタイトル通り村上春樹と対談をしていて、今回は吉本ばなななので、これはもう何なのだろうと思う。 これで江國香織とも対談したら(でもこれはなさそうだ。なんとなく)、好きな作家と必ず対談をしている人、という奇妙な位置づけに。 でも、対談の中の河合隼雄さんの言葉をたどっていくと、深くおおらかな包容力のようなものが感じられ、この人に対談の希望が殺到するのは納得できることなんだろうな……と思ってしまう。 そういう地点までたどりつくことって、たぶんきっとむずかしいことだと思うのだ。プロとしての倫理観とか、良いことも悪いことも数多く経験してきているとか。 それでいて、どこかひょうきんでユーモラスな印象があって、これは人が信頼してしまうのだろうなと。 見透かされてしまうようなところがあって、でもそれをちゃんと感傷でも論理だけでもない正しい重さで受け容れてくれるようなところは、心を預けるためには必要な条件なのだろうし。 それを訓練と経験で体得しているのって、やっぱりすごいことなのだろう。
河合隼雄さん自身の著作は2冊くらいしか読んだことがないけれど、それでも上掲の2冊の対談集から、僕はかなり河合隼雄はいいなとは思っていて、今回もあらためてそう思った。
対談は子供時代のことから、現代という時代について、それから仕事についてのスタンスなど多岐にわたり、友好的なムードで、ときに軽妙にけれども基調となるトーンはいたって真面目に続けられていく。 対談集って、読むたびにものすごく実のある会話をしているように思えてしまうことが多いのだけれど、これはもう編集者の苦労といったら並大抵ではないのだろうなと思う。 実際の会話って、もっと「えーと」とかいろんな間とか、ニュアンス的なものがたくさん影のようにくっついているわけだし。 そういうものの持つ補助的な意味合いをできる限り損なわないようにして、それでも話の筋の通った活きた会話として活字にしなければならないわけだし。 でも、それがこの本ではすごくうまくいっているように思えた。 個人的には。
とりわけ、印象に残ったのは、吉本ばななの創作に対する真摯な姿勢だ。 確かに作家が何を考えて小説を書いているのかということを、読者はあえて知る必要なんかなくって、ただ形となった物語についてどう感じるかということだけが大切なことなのだろうけれど、やっぱり好きな作家で、その作家が何をどう考えて、どういうスタンスで作品群を産み出しているのかということを知るのは興味深い面があるのは確かだ。 そして、そのスタンスを知ることができたことで、僕はまたもっと吉本ばななが好きになったと思う。 個人的には昔の作品の方が好きなのだけれど(『サンクチュアリ』、『TSUGUMI』、『N.P.』とか)、それでもこういうふうにいま考えている作家ってすごいと思った。 すごいし嬉しい。
以下は、好きな部分の一部を抜粋(引用するときにはいつもそう思って入るのですが、これはあくまで抜粋なので本当は前後の流れの中で理解して欲しい部分なのです。ですので、抜粋した言葉だけだと本当のニュアンスのようなところまでは伝わらない可能性は常にあります。もちろん、読まれる方はそのあたりのことは当然踏まえていらっしゃるとは思いますが……)。
吉本:少しでも手を抜いたりするとわかるんですよね、絶対に。そういうところは、本当に偉いなと思う。私ぐらいの年齢の人たちだと、みんな建前社会を生きているから、多少面白くないものを書いても「よかったよ」と言ってくれるし、少し力を抜いても、「今回は力を抜いたね」とは誰も言わない。けれど、その子たちはそういうことはなくて、「今回は、よくわからなかった」とか「いつもは泣くけど泣かなかった」と、ひと言でわかりやすい。それはそれでつらい。でも、「ああ、この子たち本気なんだ」っていうのが伝わってくる。(40-41ページ)
河合:いまはみんな頭がよくなっているから、知的に、ある程度精選されたものにしようとすればするほど、実態から離れてしまう。そのとき、そこに向かって現実的なことを言うのは、ものすごい勇気がいりますよね。「あなたはそう言うけど、本当はそうじゃない」と言うと、「そんな馬鹿なことを言うな」となる。で、日本人は、そこは建前と本音を使い分けて調節してるんだけれど、みんなだんだん建前と本音の使い分けが下手になってきた。(92ページ)
吉本:よく、たとえて言うのですが、山小屋みたいなところに登山に来て一泊した人が、そこにある私の本を見つけて読んでくれる。表紙なんか擦り切れていて、誰が書いたのかわからないけど思わず夢中で読んでしまって、「けっこういいものを読んだなあ」となる。その人は翌日、本のことは忘れて、また旅に出るのだけれど、夕焼けを見たときなどに、「あれ、これ、本で読んだんだっけ、自分で体験したんだっけ」とか、「あのときに、確か本で読んだなあ」というふうに、その人のなかにちょっとだけ、でも深く残るものを書きたいんですね。(121ページ)
吉本:それと、「自分をたのみにする心」がとても大切なんです。それは自分に自信を持ちすぎるのでもなくて、いざとなったら自分が何とかするだろうという「自分をたのみにする」こと。それがあれば、結局最後は勝つというか、うまくいくような気がします。(195ページ)
河合:それでしかも、ぼくの体験で言うと、すごい大きいことが起きるのは、たいてい偶然だから。人間が計画して考えてやることは、たいしたことはなくて……。(211-212ページ)
吉本:ちょっとした、「風が吹いたら木が揺れた」とか、そういうことで人間がどんなに豊かになれるか、というようなことは、ずっと書いていきたいですね。そういうことの積み重ねというか。そういうのがいいんだよっていうことを。(259-260ページ)
270-272ページもいい。
―――――――――
お知らせ
今日は雨。寒い1日でした。
| 2002年05月09日(木) |
「優しい歌」+「夢のカリフォルニア」 |
今日は22時過ぎに会社を出て、同僚に車で送ってもらう途中大型レンタルビデオショップ(CDも売っている)に寄って、Mr.Childrenのニューアルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』を買った。それからサイゼリアで一緒に夜ご飯を食べて、部屋に帰ってきたのは0時少し前。 いま、アルバムを聴きながらDaysを書いているのだけれど、Mr.Childrenのアルバムを買ったのって実ははじめてだったりする。何で今回買ったのかというと自分でもよくわからないのだけれど、それでも「優しい歌」と「君が好き」はいい曲だと思っていて、その2曲が収録されていたからなのだろうなと思う。 同僚が購入して「すごくいい!」と言っていた小田和正の『自己ベスト』もどうしようかなとか思ったのだけれど、ママス&パパスのベスト盤にも後ろ髪を引かれたのだけれど、結局Mr.Childrenにする。 ちなみに、小田和正の方に少し惹かれたのは「ラブストーリーは突然に」が収録されているから。個人的には「東京ラブストーリー」はいままでに見たテレビドラマの中でのオールタイムベスト3に入ると思っていて、その主題歌だったからそれでちょっとだけ手が伸びそうになったのだ。しかも、小田和正はいい曲が多いとはやっぱり思うし。 それにしても、あのドラマを放映していたのは高校生の頃で、なつかしいなと思う。もう10年くらいになるんだと思うと、ちょっと驚いてしまう。本当に本当に本当に面白いと思っていた。リカとかカンチとか、主人公の名前を覚えているドラマなんてなかなかないし。 いま見たらどう思うのだろうとか少しだけ思う。 昔見て本当に気に入っていた作品って、もう一度ふれることにちょっとだけ勇気がいる。 ガッカリしたくないということなのだろうなと思うのだけれど。
そして、ママス&パパスにも惹かれたのは、映画『恋する惑星』の影響。この映画は2部構成になっているのだけれど、その後半、フェイ・ウォンが出てくる方のエピソードで彼らの名曲「夢のカリフォルニア」が繰り返し挿入されていたのだ。 それで、ずっと印象に残っていた。
でも、今日はMr.Children。 「優しい歌」はやっぱりよい曲だと思う。
―――――――――
お知らせ
「夢のカリフォルニア」は誰が歌っているとか、いつの歌だとかいうことがわからなくても、誰もが一度は聴いたことがある曲だと思います。名曲。
今日もなんだかんだでかなり忙しく、部屋に帰ってきたのは9日の0時10分くらい。ふう。 風邪はたぶんあんまりよくはなくて、今日は電話や会って話していたメンバー数人に「声がいつもとすごく違う」と言われる。ある人は、電話で一言喋るなり「風邪ひいてるでしょ」と言われた。よくわかるなとおどろく。 また、「声が低くて○○さんだとは思わなかった。△△さんだと思った」などとも言われる。 もちろん、普段だって別にとりたてて高い声をしているわけではないのだけれど、それでもかなり鼻声で低く聴こえるみたいなのだ。 かっこうみたいな声がいいなと思うのに。 かっこう。
今日は乗り換えのために夕方に渋谷駅を通ったのだけれど、そのときにかなりすごいアフロの女の人が歩いていた。思わず見惚れてしまった。アフロっていそうでなかなかいないので見ることが少ないし。 しかもアフロが似合っていたし、すごく。 僕は別にアフロという髪型が特に好きだとか嫌いだとかそういうわけではなくて、問題はその人のキャラクターや醸し出す雰囲気に合っているかどうかだと、(当たり前のことではあるのだけれど)やっぱりそう思っている。 洋服とおんなじだ。 つまりそれは、「アフロ」っていうある種特殊な髪型をしている人全般がいいなと思うわけではなくて、その人のしている「アフロ」は似合っているとかそうじゃないというレベルの話。 そこを履き違えてしまって個々の事例を全体と置き換えてしまうのはかなり危険なことで(アフロ=○○とかいうような固定化)、それをついつい当たり前にやってしまいそうになっている状況というのは日々の中で決して少なくないのだろうなと思う。その方が楽だし便利だし。 けれどもそういう考え方ばっかりを楽だからといって受け容れていたら、いつの間にか気が付くべきときに大事なことに気が付くことができなくなってしまうのじゃないかという危機感のようなものはまだ自分の中にちゃんと残っていて、それはなくさないようにしようと思う。そういうことをただ闇雲に受け容れることは、逆に自分の中の何か(あるいは感受性のようなもの)を差し出すことと同義でもあるはずで少しこわい。 そういう意味でも、ある種の代償というか、帳尻を合わせてくる勢いのようなものの持つ力は、たぶん軽視してはいけないのだ。 だからこそ、そういう感覚をちゃんとなくさないようにするためにはどうするかということを、理屈ばかりじゃなくてプリミティブな直感も含めて、ちゃんと感じられるように、ある種の皮膚感覚のようなものをちゃんと持っていられるように、意識してみるのも大切なことだ。たぶん。難しいのだろうけれど。 それにしてもアフロ。 もしかしたらあれはカツラだったのかもしれないけれど、もし地毛だったら髪を洗うときにはたいへんなのだろうなと思う。
―――――――――
お知らせ
来週からまた名古屋→大阪→福岡の出張があるのです。何度目のロードだろうと思ってみたり。
連休明けだけあってか忙しくて、部屋に帰ってきたのが8日の午前0時15分過ぎ。ふう。 風邪は大分よくなってはきたけれどまだ本調子というわけではなくて、とりあえず風邪にはビタミンCかなと朝コンビニで買った「C's CASE」を数時間おきに食べたりしていた。ケースには「レモン200個分」という文字が大きくアピールされていて、なんだかかなりすっぱいので効きそうな気がする。錯覚かもしれなくても。 帰りにはいつものようにコンビニに寄って飲み物とか雑誌を買う。 雑誌は『DIME』。
『DIME』は特集によって、
�ー蠅砲蘯茲蕕覆� �⇔�ち読みをする �9愼�
の3パターンがあるのだけれど、今回は��。
というのも、特集が「デザイン家電ベストバイ」だったから。 僕は人間の欲の中で何が一番強い? と尋ねられたら「物欲!」と答えてしまうくらい物には弱いのだけれど、その心の琴線をまた見事にかき鳴らされてしまうのだ。こういうものには。 特集ページにはたくさんのデザイン家電が収められていて、そのほとんどはデザインはトンガッテいるのかもしれなくても個人的にはあんまり好きになれないようなものばかりで、でもたまにツボにはまるものがあるのだ。そういうのにはすごく憧れてしまう。 もちろん、高い物ばっかりなのでおいそれと購入することはできないのだけれど。 見ているだけでも結構いいよなと思うし。
今回の特集でとくに「いいな」と思ったのは31ページと38、39ページ。 クラシックなエスプレッソコーヒーマシンやシンプルなWiLLのFAXとか透明で明かりのゆらぐライト、そしてオレンジの電話機とか。 写真を見ているだけでついつい時間が経ってしまう。 ふう。
―――――――――
今日は午前9時くらいから小雨が降りはじめて、夜中になるまで断続的に空気をふるわせていた。 小雨なら傘なんて差さなくてもいいじゃないかと思っていたのはもう随分と昔の話で、ある程度の年齢になってからは雨の日にはできるだけ傘を差すようにしている。 それは自分が雨に濡れないためでもあるのだけれど、そういうのって親の躾を見られるのだとかそういうようなことを誰かに言われたことがあって、それ以来なるほどと思っているのだ。 だから雨の日には傘を差すし、必要以上にびしょ濡れになって登場しないようにしようとは心がけている。 実行できるかどうかはさておき、心がけるということ自体は大切なことだといつも思っているわけだし。
それでも、雨は本当にきまぐれで状況やタイミングを選んで降ってくれるわけではないから、意外と雨が降っているのだけれど傘がない、と言った状況は頻繁に発生してしまう。 だから、そういうときに僕がとる行動は、コンビニなんかでビニール傘を購入するということだ。 そして、様々なコンビニでビニール傘を購入しているイメージが自分自身でもあるのだけれど、それなのにいま僕の部屋の玄関には透明なビニール傘が2本しかない。なぜか。どうしてだか。 記憶にある傘を購入したシーンが幻覚や幻想でなければ、いままで買ったビニール傘でサッカーチームと野球チームとバスケットボールのチームを組むことくらいは簡単にできると思うのだけれど、それでも彼ら(あるいは彼女ら)はどこかへ消えてしまった。 人との繋がりがときにそうであるように。
それでもこれからも雨は降るだろうし、僕は傘を忘れたりあるいは持っていなかったりしてコンビニで買うだろう。 そしてそういう傘はいつの間にかどこかになくなってしまうのだろう。 アメリカンフットボールとバレーボールのチームができるくらいには。
―――――――――
お知らせ
携帯電話を変えようと思っているのです(現在はDoccimo)。 おそらくもう数ヵ月後に登場するはずのDoCoMoの504のSonyのやつをねらっているのですが。
【スパークリング星占い☆ 5/6-6/5】
星占い&コメント:クレセントマリー
いよいよGWも終わって、本格的に五月病がはじまる時期になってきたわね。 毎年毎年この時期にはたくさんの人が私のところにアドバイスが欲しいってやってくるけど、まったく、知ったことじゃないわ。 それでは、今月も辛口で辛辣な占いが岩手県盛岡市で大人気の【スパークリング星占い☆】、はじめるとするわね。
○牡羊座(3/21-4/19)
もう最悪。髪のセットがうまくいかないわ。せっかくのデートなのにブローがうまくいかないなんて最悪よね。 そんなあなたにはSW&T社のスーパードライヤーがオススメ。 いま巷で人気のマイナスイオンを出すボタンがついていて、そのおかげで髪がしっとりとまとまるのよ。 私も使っているわ。もうこれを使ったら、他のドライヤーは使えないわね。
ラッキープレイス:えりも岬
○牡牛座(4/20-5/20)
見知らぬ男性が父親と名乗り出てくるわ。母親にそのことを問い詰めると、うつむいてだまっちゃう! ワオ! 思わぬところから出生の秘密を垣間見る1ヶ月になりそうね。 でも大丈夫。あんまり心配しないで。人はそうやって強くなっていくものよ。 どうしても辛くなったら私の近著『クレセントマリーのもずくダイエット2』を読んで元気出して! もずくはなかなか効くわよ。
ラッキー官公庁:市役所
○双子座(5/21-6/21)
猿顔の恋人がいるアナタは今月は超大変。恋人が突然プロゴルファーになると言い出して部屋を飛び出していくわ! 「ワイはサルや!」とか言い出したら現実の厳しさを説教してあげて。 それで改心しないようなら、あなたの方からさっさと見切りをつけて。 恋人がいないアナタと、恋人が猿顔でないアナタは平穏な一ヶ月。まったり過して大丈夫よ。
ラッキー行楽地:動物園
○蟹座(6/22-7/22)
久しぶりに同窓会に出たら、クラスの男子の45%がハゲになっていて驚くわ! まあすごい! とんでもないハゲ率だわね! しかも、残りの55%のうち35%は妻子もちで、残りの20%も何らかの形で心に傷を抱えているわ。 同窓会は傷の舐めあいになりそうな素敵なよ・か・ん。 でも大丈夫よ。同窓会をきっかけに付き合いだしたカップルの約79%が1年以内に別れるっていう調査もあるのよ。 そういうことを期待しないで参加したら、意外と楽しめそうよ。
ラッキー芸能人:谷啓
○獅子座(7/23-8/22)
人間関係に苦しむ一ヶ月になりそうね。 親友だと思っていた人が実はロボットだったり、恋人だと思っていた人が実はロボットだったり、親戚だと思っていた人が実はロボットだったりするかもしれないわね。 技術の進歩もときには考えものみたいね。
ラッキーペット:AIBO
○乙女座(8/23-9/22)
さあ、今年一番のモテモテ期がやってきたわ! 職場でも、通勤や通学の途中でも、とにかくもうたくさんの男たちに言い寄られるわ! ただ、その男たちには1つだけ共通項があって、みんな「ガンダム」が熱烈に好きなの。そう、「機動戦士ガンダム」。 そういう男って多いのよ。それが気にならなければいい人揃いなのよ。 付き合ってみたら?
ラッキーモビルスーツ:ザク
○天秤座(9/23-10/23)
ドラマみたいな恋に憧れていたアナタ! ついにその夢が叶うときがきたわ! ただ、気になるそのドラマは『渡る世間は鬼ばかり』なの…… ちょっと思っていたのと違うかもしれないわね……
ラッキー脚本家:橋田壽賀子
○蠍座(10/24-11/22)
アナタのお気に入りの作家鈴木太郎がついに5年ぶりの新刊を出しそうよ! 上下巻1000ページの長編小説『センター試験これだけ単語600語』に、夜がふけるのを忘れて読みふけってしまいそうね! 第2次世界大戦下のフランスを舞台にした、若き将校と没落貴族の娘との激しいラブ・ロマンスよ! 私も楽しみにしているのよ。
ラッキーお菓子:たけのこの里
○射手座(11/23-12/21)
メル友に会おうって言われるかもしれないわ! 「スポーティーな格好をしていることが多いかな?」って書いていた彼。 待ち合わせ場所に行ってみると、そこには真っ白なタンクトップに短パンというヤマシタ画伯ライクな男性がいるわ! そのまま会ってもいいけど、話がはずむかどうかは難しいところね。
ラッキーショップ:BEAMS
○山羊座(12/22-1/19)
メル友に会おうって言われるかもしれないわ! 「少しハデな最先端の格好をしていることが多いかな?」って書いていた彼。 待ち合わせ場所に行ってみると、そこには蛍光イエローのTシャツに、ツータックのケミカルジーンズを履いている男性がいるわ! そのまま会ってもいいけど、殺意をうまくかき消すことができるかどうかは難しいところね。
ラッキーショップ:SHIPS
○水瓶座(1/20-2/18)
メル友に会おうって言われるかもしれないわ! 「ねぇねぇノッポさん、あれつくってって言っていることが多いんだ」って書いていた彼。 待ち合わせ場所に行ってみると、そこには大きな100円玉を持った不思議な生物が! って言うか、ゴン太くんねそれ……
ラッキーTV番組:できるかな
○魚座(2/19-3/20)
合コンでちょっといい感じの男性3人と知り合うことができるわ! ただちょっとだけ問題がありそう! 3人にはそれぞれあだ名があって、そのあだ名でちょっと嫌な予感というか躊躇しちゃうの。 一番目にカッコイイ人はさわやか系なんだけど、あだ名が「ポエマー」。 二番目にカッコイイ人は都会風なんだけど、あだ名が「ミスター割り勘」。 三番目にカッコイイ人はワイルド系なんだけど、あだ名が「ドラゴン」。 ね? ちょっと迷っちゃうでしょ? でも理想通りの人なんていないんだから、3人の中から決めちゃいなさいよ!
ラッキーアクター:ユンピョウ
○銀座(5/6)
新しいショップが続々ニューオープンの予感! ようやく各ショップに夏物や水着が揃い始めたわ! 一点物や限定物も多いから、値段的にはちょっと高いけど早めのゲットが鉄則ね! 今年の流行は淡い色ね!
ラッキーカード:SAISONカード
……さぁ、あなたの星座は今月どうだった? 毎月毎月驚くくらいよく当たるっていうお手紙やメールがたくさん届いているこの【スパークリング星占い☆】。 来月もまた、お楽しみに!
―――――――――
お知らせ
「クレセントマリーの何でも相談室」も大人気です?
僕の持っているデジタルカメラは、SonyのCyber-ShotのDSC-F505というやつで、レンズの部分がまるで本格的な一眼レフのカメラででもあるかのように長い。 はじめて登場したときに、雑誌を見ていてそのデザインに一目ぼれをして、買おうか買うまいか迷って、でも結局買ってしまったものだ。 当時、出張生活を続けていて、ありふれた言い方で言うのなら自分へのご褒美を買ってもいいんじゃないかというくらいには働いていて、それで決めた。 いまでも覚えている。そのとき僕は群馬県にいて、普段はヨドバシ派ではあるのだけれど、そのときには高崎駅の近くにあるビックカメラで購入したのだった。 もう2年半以上前の秋の話だ。
昨日今日と、連休ということで気が抜けてしまったのか風邪で寝込んでしまい、鼻水がとまらなくて、一日中なんだかぼんやりのんびりしていた。 熱はそれほどでもないのだけれど、頭痛と鼻。 そしてそのときにベッドから見えるところにデジタルカメラがあったので、一度ベッドから出てそれを取りに行き、再びベッドに戻った。 横になったまま、POWERスイッチを右にずらして電源を入れる。 モードを「PLAY」に合わせる。そうすることで、メモリースティックの中に収められている写真を見ることができるのだ。 聴きなれた小さな起動音がした後で、小さな画面にこれまでいろいろな場所で撮ってきた写真が映し出される。 当たり前のことではあるのだけれど、どの写真もどこで撮ったものかはわかるものばかりで、思い出そうとするとそのときの状況のようなものすら思いだすことができる。 そういうときには、人間は自分が体験した記憶を失ってしまっているわけではなくて、ただ忘れているだけだということを信じられたりもする。 たくさんの場所の、たくさんの写真。 写真をきっかけに、結構思いがけないことまで思い出されたりもした。
そしてひとつわかったことが、僕は自分が思っている以上に散歩しているのだなということ。 成人男子の趣味として散歩がどの程度ふさわしいものなのかということはさておき、かなり歩いている。 でもまあ、趣味って基本的には個人的なものなので、自分がよければそれでいいのだけれど。
そうそう、デジタルカメラは前述のように見た目が立派そうなやつなので、撮ろうとするときに結構目立ってしまってはずかしかったりもするのだけれど。 たとえば同じデジタルカメラでも「IXY DEGITAL」や「SORA」くらいの大きさの方が、何気なく散歩に持っていくには適しているとは思う。 まあ、気に入っているので別にいいのだけれど。
―――――――――
そして、この2日間ちゃんとしたものを食べていない…… 昨日はアーモンドチョコレート1箱とジュースとお茶とコーヒーだけ。 今日も眠って起きての繰り返しの間にやっぱり飲み物しか飲んでいなくて、夜にこのまま何も食べないのはまずいなと、けれど外に出ようという気分ではなかったので、約1年ぶりくらいに自分の部屋にピザを頼んだ(デリバリーはこういうときに便利だなと思いながら)。 ちょうど数日前に投げ込みチラシが入っていたのだ。 注文をした際に電話番号を訊かれ、携帯の番号を伝えると住所がちゃんと登録されていた。 昨年1度だけ頼んだのだけれど、それがいつだったかはよく覚えていない。 ピザを最後に食べたのは昨年の年末に後輩の家に遊びに行ったときだということは覚えているのだけれど。 ピザってメニューを見て選んでいるときが一番楽しい(ドリンクメニューのところにセブンアップがあったので、思わずそれも注文する)。 そして、1人でピザを注文したときに、自分が社会人だって実感することができたことがあったよなとなんとなく思う。 たとえばそれが回転であっても、おすしやさんに1人で入ったときとか、子供の頃にはちょっとできなかったいくつかのこと。 そういうのもやろうと思えばもう簡単にすることができるようになっているのだ。
そして到着したピザ(Mサイズ)は、半分しか食べられず、後は冷蔵庫の中へ。 明日レンジで温めて食べよう。
―――――――――
お知らせ
今日ぼんやりとくりかえし聴いているのは、Angela Ammonsの『Angela Ammons』。 前回のロード中に購入したCD。 女性ボーカルのロックで、シェリル・クロウやアラニス・モリセットが好きな人にはオススメできると書かれていたような気がします。
今日は出勤で、部署のメンバー全員が久しぶりに一堂に会する日でもあった。 全員での結構長いミーティングを終えた後、部署の掃除をして、それから飲み会へ。 明日から3連休というスケジュールになっているので、その前にみんなで騒ごうということに。 掃除をしている間、何人かが「何だか年末みたいですね」って言って、ああ、確かにそうかもしれないなと思う。まだまだシーズンは続いていて、束の間の休息といったところではあるのだけれど、それでも今日はいつもとギアの位置が違うような感じではあった。
飲み会は盛り上がり(いつも盛り上がるのだ)、この数ヶ月の間の出来事が密度が濃かったことに、全員で改めて思いを馳せてしまう。真面目な話も、笑えるネタも、たくさんのことがこの数ヶ月に凝縮されていて、昨年も思ったことではあるのだけれど、得難い経験をさせてもらっているよなと思う。 後は、3日休んだ後で、残りを走りきることができるように頑張ることができればいいなと思う。
―――――――――
お知らせ
カーペンターズの「雨の日と月曜日は」が71年の楽曲で、自分が生まれる前からあったのだと思うと、なんだか不思議な気がします。自分の最近よく聴いている好きな曲が、生まれる前からすでにたくさんの人に親しまれていたのだということが、当たり前のことでもなんだか不思議に思えるのです。
| 2002年05月01日(水) |
中国茶やタクシーのこと |
名古屋2日目。 現在、2日の1時10分過ぎ。 今日はたまたま他の部署にいる後輩が名古屋に出張できていることが判明し、夜に電話をかけて一緒に飲む約束をする。僕は駅に近いビジネスホテルに宿泊していて、後輩は栄に近い方だったので、誘った僕の方が栄の方まで行く。 中華料理メインの居酒屋のようなところに入ったのだけれど、21時30分から0時くらいまで話していた。今度いつ会えるのかわからない人では会ったので、会いにいってよかったと思う。たのしかったし。 最後にはデザートとバラ茶という中国茶を頼んだのだけれど、そのお茶(急須に入れられたやつ)もとてもおいしかった。 帰りはタクシーで帰ったのだけれど、ずっと運転手さんとどうでもいい話(碁盤目の道路のこととか、駅のツインタワーのこととか)をしていて、退屈しなかった。ゴールデンウィークの谷間の夜の街は空車の赤い明かりを点灯させたタクシーばかりで、それ以外の車通りはそれほど多くはなかった。 そういう光景も、後になったら思い出すのかなと少しだけ思いながら、運転手さんと喋り続けていたのだ。
―――――――――
お知らせ
温かいお茶はいいよなと、またまた思ってしまいました。
|