皇帝の日記
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プラハ2は長〜い。 今までも十分長かったけど、今日は長いっす。
正味2日しか居られないプラハ。 もう動いちゃうよ動いちゃうよ!
というわけで、朝も早くから起きて、ホテルで朝食(普通の味)食べて、目の前の火薬塔へ。 火薬塔(15世紀城壁として造られた)として使われるようになったのは17世紀。 今の建物は200年くらい前に造り直されたので、比較的新しい。 でも立派。 プラハ旧市街は、大体ここまでなので、ここから観光を始めるのも良いでしょう。
10時に営業始まって、すぐに入ったのでお客さんが少ない!ラッキー。 (団体客は塔関係には登らないので、いつでもすいているという説もある) 驚いたのは、くだんのヤン・フスとは何の関係もないこの建物の中が、ヤン・フスの展示会になっている事だ。 (地球の歩き方では、只単に「ギャラリー」となっている) どんだけ好きなのヤン・フスー!?
グルグルと螺旋状の階段を登るごとに現れる、ヤンの人生。 ヤンの時代。 ヤンの人生。 ヤンの戦争。 ヤンの宗教。 ヤンの処刑。 最上階の「映画」の展示ではロックンロールなヤンさんの映画も上映されてて「火あぶりロックやわ〜」という誤った概念が埋め込まれる始末。 ヤンさん愛されてるわね。 しかも、階段に流れている音楽は、昨晩聞いたミュージカルのCDで、歌手はもちろん、メダルをもらった俳優さんだ。
人は少ないが、韓国人がやけにあふれてて、狭い螺旋階段などで「ケンチャナ〜」と言っている韓国新婚夫婦に遭遇。 ジャバ夫さんが「あ!今韓国語がわかった!」と興奮。 いや、私もさすがにわかったよ。
塔を降りてから、黒い聖母の家へ。 その古い家は、家の外壁の角に黒いマリア像があるからそんな名前なんだが。 中には喫茶店とキュビズム博物館がある。 キュビスム博物館は、建物自体もキュビズムの建築。 ふーむ興味深い。 と、よくよくパネルを読んでたら、どうもキュビズム自体、1901−1910年の、わずか9年間の流行だったとか。 それ以降は、時代遅れとして少なくともプラハでは封印されてしまった芸術活動の波的ななんからしい。 がびーん。 9年って、一人の画家の活動期間よりも全然短いじゃん。 踊らされてしまった人々がいるねんなあ。 としみじみ。
空調が良く利いていたのと、トイレがきれいだったので、小さい博物館だけど、けっこうじっくり見た。 そして、またしても旧市街広場に出て、ティーン教会をジロジロ見る。 この教会に葬られている人々の名前を、ぼや〜っと見てたら、ジャバ夫さんが「あ!この科学者知ってる!大学の授業で習った」と。 名前は忘れたが、天文学者的な人だと思う。 ジャバ夫さんが大学で習ったのは、以下の内容。
彼は居酒屋で飲んでいる時にトイレに小用に行きたかったが、席を立つのは失礼だと思って我慢し過ぎて死んだ。 彼はプラハでムースをペットにしていた。 ペットのムースはビールが好きで、ある日酔っぱらって階段から落ちて死んだ。
以上。 彼が学者である事と全く関係ない部分に焦点を当てられてしまった。 ムースもかなり不本意であろう。 この辺で、ミュシャとダリの展覧会をやっていたので、観る。 ミュシャ良かった。 ポスターの原画が、かなりでかいという事がわかった。 やっぱこの人すごいな。
その隣の石の鐘の家では、プラハ市民展をやっていて、もんやり観てみる。 プラハ市民のスナップショットと、その人の人生を短く要約した説明文がついている。 まあ、あんま面白くなかったです。
すぐ裏にある、レストラン「レビー・トゥルフ」にて、湯でエビとともにビール。 エビ塩っぱかったけど、暑いしビール飲んでるので、ちょうど良く美味かった。 ビールはプリュゼニュ。 ビールメモによると☆三つ半だそうです。 レストランによって、出すビールの銘柄が決まっているので、メニュー見てもビールは一種類しかないのが面白い。 色んなビールを試したかったら、いろんなレストランに行くしかないのだ。
そしてカフカの生家を外から眺め、ユダヤ人地区に侵入。 日本人観光客はぐっと減り、ヨーロッパ系ないしアメリカ系のユダヤ人観光客が増える。 そうね、きっと日本人はあんまりこの辺興味ないわね。 美術工芸博物館に入り、ガラス工芸や服飾の展示を観つつ、空調が利いてないのでトイレ休憩してさっさと外に出る。 ジャバ夫さんが、男性トイレの窓から古いお墓の山が見えて、なんか怖かった、と言っていたが、それがおそらく、我らが目指している旧ユダヤ人墓地でござんしょう。
あとちょっとあとちょっと、と励ましながら、クラウセン・シナゴーグへ。 シナゴーグは、ユダヤ教の教会の事で、この地区はシナゴーグが沢山あるのだ。 クラウセン・シナゴーグは、中にユダヤ教が儀式に使う道具とか展示してあって、何やら色々説明するパネルが。 そして、募金箱がどのシナゴーグにも置いてあり、ドルやユーロが沢山入っていた。 異国間でも、ユダヤ人の結束を感じる。
角を曲がってピンカス・シナゴーグに行く。 名前はあれだが、ここには第二次大戦中にここらで殺された8万人のユダヤ人の名前が壁一面に書かれていたり、テレジーンで死んだ子ども達の絵が飾られていて、とてもシリアスなシナゴーグなのである。 10000人以上の子ども達がテレジーンで死んでしまったそうであるが。 そうよね、どう考えてもイサムさんが両親から離れて、何か良くわからない不潔な刑務所みたいな所に入れられたら、生き残れないわよね。 イサムさんがある日突然連れて行かれたら、どんなかしら。ウルウル。 と、あんまり今まで考えなかった視点から、この歴史に思いを馳せ。 (今までは、自分が強制収容所に連れて行かれたら、どんなかしら、ガクブル。という視点だった) ああ、もう「ライフ・イズ・ビューティフル」は観られないわ、と思ったのでありました。 最近「ファインディング・ニモ」観ても泣いちゃうのに。 あ、「トイ・ストーリー3」でも泣いたわよ。
親戚の名前を発見して、泣き崩れている高校生のお兄さんが居たりして、歴史を伝えるシナゴーグでした。
そして、いよいよ墓地入り口。 墓地、旧墓地なので、1787年以降は使われていないのだが。 狭い所に、ぎっちりぎっちりお墓が詰まっているので、なんか不思議な墓地。 「写真撮ったら怒る」って書いてあるけど、皆怒られても悔いはないとでも言うのか、ばしばし写真を撮っていた。 気持ちはわかる。 だって、変なんだもの。 言葉では説明できないから、写真に撮ってお知らせしたい気持ち。 でも撮影はぐっとこらえた。 異教徒だし、怒られたらやだし。
出口は先ほどのクラウセン・シナゴーグの横。 旧新シナゴーグと言う、この辺で最も古く1270年に始まったシナゴーグへ。 ここの司祭さんが、16世紀ゴーレムを作ってたというゴーレム伝説がある。 (後で本屋さんで、ポップな絵柄のゴーレム絵本を見つけた)。 でも、今はもうゴーレム居ないらしい。 チケットを買って、中に入ると、おばあちゃん達がジャバ夫さんにユダヤ教徒の男性がかぶる、小さい帽子を乗っけてくれた。 女の人はつけないらしいので、皇帝はもらえなかった。 中では、ユダヤ教系の女子高校の社会科見学をしていて、生徒さん達が聖書に顔面を埋めながらお祈りしつつ、体を左右に揺らしていた。 本気お祈りだ。 聖書暗記してるのかな。 してるんだろうな。
邪魔してはいけないので、外側や廊下をジロジロ見て出てきた。 ジャバ夫さん、帽子を返そうとしたら、おばあちゃんに「持ってけ」と言われた。
テクテク歩いて、マイゼル・シナゴーグへ。 この中も、色んな儀式に使う道具や、美術品が展示してある。 どこのシナゴーグも、観光で来たユダヤ人が沢山居て、旅行に来てもシナゴーグに行くなんて、熱心やなあと思っていたが、そういえば日本人も京都に行ったらお寺さんに行くわいな。 さて、このシナゴーグでは、歩き疲れたユダヤ人の女の子が祭壇の下で伸びていた。 推定9歳。 そんなに小さな子ではありませぬ。 おじいちゃんらしき人が「おい、行くぞ」というような身振りをしているけれど、イヤイヤとして動かず。 どうするのかな、と思ってみてたら、細身のおじいちゃん、太めの孫を背負った。 わー力持ちー。 私、イサムさんがあの大きさになったら、絶対持てんわ。 ほーう、と見てたら、他の孫(推定5歳、太め)が「おじーちゃん!」という感じでやってきて「僕も僕も」と言わんばかりに腕にぶら下がりよった。 なにー。 じいちゃん頑張れー。 しかし、全く軸もぶれずに出て行ったおじいちゃんであった。
ジャバ夫さんが言うには、この旅でユダヤ人に対する理解がちょっと深まったとのこと。 まあその辺の事は後で書くとして。 アメリカのユダヤ社会よりよっぽどオープンな感じで、観光させてもらえるのはありがたい事でした。
テクテク歩いて、クレメンティヌムへ。 ここは彼のヤン・フス派に対抗して作られた、イエズス会系の建物。 ところが2011年まで工事中。 なのに、図書館を見たい人はこっち、見学したい人はこっち、という看板が出っぱなし。 あたかも見学できるんじゃないかと思わせておいて、やっぱりできないのであった。 く・・・。
カレル橋のこっち側にある、旧市街橋塔を見上げ。 やんだ、逆光じゃないの、巧く撮影できないわ。 と、iphoneを縦にしたり横にしたりしていたら、ヴルタヴァ川でボートをこいで観光客を集めている、水兵服の団体が。 うろうろしてるな、とは思ったが、別に船に乗る気がないので視界の端に入れつつ、むしろ水兵服が背景から浮くから、どいてくんないかな、とすら思っていたのに。 なんと、黒人の水兵服兄さんが「おいこらおまえ!俺の写真撮っただろ!ふざけんな」とアメリカ英語で言い出した。
えー!? だってあなた、思いっきり観光地の塔の目の前に立ってて、カメラに入りたくないってどういうこと!? っていうか、あなたの姿入ってませんけど!? 「塔の写真を撮ってるの」と言うと、東洋人が英語をしゃべった事に一瞬ひるんだのか、ちっと舌打ち。 すぐ横の水兵服仲間が「おいおい、どうしたんだ?ボーイ。カリカリしちゃってよう」という、もろアメリカンな英語で黒人の兄さんに話しかけると、 「塔の写真撮ってるとかいってるけど、俺の写真を無断で撮りやがったんだ!その携帯電話で写真撮れることぐらい、知ってるんだぜ俺は!」とか言い出した。 やばいなあ、この人頭のおかしいや。 しかし、客商売で呼び込みしてて、君の観光客に対するその態度はどうなんだ。
すると、カレル4世の銅像の写真を熱心に撮っていたジャバ夫さんが騒ぎに気がついて、すっ飛んできた。 「ざけんなてめー!お前の写真なんか撮ってどうするんだ!?ああ?撮ったとしても、それは自由だろーが。出るとこ出るぞヘイヘイ!!」と、これまたアメリカンな柄の悪い様子で割って入った。
小さな東洋人にいちゃもんつけて、ちょっと泣かせてやろうと思っていた(?)っぽい兄さんは、完全に萎縮し、なおもブツブツ言いながら、仲間に連れて行かれたのでした。
一人旅じゃなくて、本当に良かったと思いますよ。 カレル橋で、セーラー服着て客引きしているボートには乗らないように。 滅びれば良い。 あ、ちなみに橋の付近には警官がウロウロしているので、本当に怖い目にあったら、助けてくれると思う(けどどうかな?)
さて、後味が悪いので、金の蛇の家の前で、ビール補給。 スタロプラメンの評価は、☆四つでした。
それから、毎正時にしかけが動く天文時計に駆けつけ、仕掛けがリンゴンリンゴン動くのを観て、ホテルへ戻って市民会館地下のレストランで食事。 プラハの料理は、とんでもなく美味しいわけではない。 なんか普通。 そして塩っぱい。 すごく味が濃い。 ビールはヴェルコポポヴィツェの黒ビール。 評価☆五つ。 もう段々尻上がりに評価が上がっているので、正しいのかどうかわからない。 やがて、日本人の団体客が入ってきたが、結構な団体なのに余裕で座れる広さ。
ホテルの部屋に戻り、着替えて今夜のコンサートに備えたが、まだ時間がちょっとあるので、外をブラブラ。 露天の土産物屋さんのおじさんがサッカーファンで「サムライがバイキングに勝ったなんて、すかっとするね!」と褒めてくれて、ちょっとだけまけてくれたので、ショットグラスを購入。
コンサートは市民会館の地下で。 クラシックの代表的楽曲を60分、バイオリンとチェロと、あとなんかでかいのと、管弦楽団で演奏。 狭い会場だったので、誰が何してるかよく見えて、音も臨場感満点。 ところが、後ろの席のドイツ人ギャル(またドイツ人かよ)6人組が、まあしゃべるは、ぶっ通しで咳するは、マナーも何もあったもんじゃない。 あんまマナーマナーと言わないんですけどね。 さすがに目に余るので、休憩中に周りから人がバラバラと席を変え始め。 それでも黙らないギャル達。 滅びよ。
演奏が終わり、拍手喝采。 アンコールも有って、大変良かった。 何故かチェロのお姉さんが、常に自分のバッグ(大)を持ち歩いていて、入場退場再入場と、ずっとバッグを持ったり置いたりしていた。 ロッカールーム作ってあげて。
で、終わると、ちょっと離れた席に居たおっちゃんがギャルの所にカッカッとやってきて、お説教。 えー。 クールなイメージのドイツ人にあるまじき。 と思ったら、どうやらギャルのお父さんだったのでした。 「お父さんは恥ずかしい!」という感じで怒っていたようだ。 もっと怒れ。
毎日みっちりみっちり観光でしたが、明日が最終。
皇帝

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