皇帝の日記
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2011年10月12日(水) 母乳始末譚の1

こんな私事を書くんはどうかな?と思ったものの、ここに私事以外のなんも書いていないから。
というか、そもそも日記じゃんということで。

イサムさんを妊娠中、育児本や雑誌を見ながら、「あーあたし絶対赤ちゃんを母乳で育てよう」と思っていたのでありました。
だって母乳は良い事一杯。
そもそも赤ちゃんはおっぱいが欲しくて、お母さんはおっぱいを持っているのだもの。
こんなに需要と供給がはっきりしている物は無いわ、と思っていた。

でもって、なんでそんなに母乳の素晴らしさがあちこちで言われているのに、完母じゃないお母さんが居るんだろうと言うのは、浅はかながら考えなかったのだね。
何故って、完全に母乳で育てると言うのが、あまりに困難であるからだよ!

イサムさんの時の哺乳は、それはそれは困難で、茨の道でありました。
イサムさんはそもそも未熟児ギリギリの体重で、一月早く産まれて来たので、体力が全然ない状態。
哺乳の為に起きる事も難しく、放っておけばずっと寝ているイサムさんの口を無理矢理こじ開けて、哺乳瓶の乳首をぎゅっと押し込んでミルクを流し込み、吸う力が無いから25mlを入れるのがやっと。
しかも空気を大量に飲んでしまうので、それを出させる度に、せっかく入れたミルクが全部出て来る始末。
たぶん食道の弁も弱かったんだと思う。

おしっこする度にオムツを計り、どのくらいミルクが身体に入って、どのくらい出て行ったかをつぶさに記録しておくという、二時間細切れ睡眠の中で神経すり減らしまくって世話をしていたのであります。
一月くらいは当然母乳など吸ってる場合ではなかったので、とりあえず搾乳してからミルクに混ぜて飲ませていた。
それも乳腺が貫通していなかったので、ちゃんと搾乳できるまでがまあ痛い事痛い事。
パンパンにおっぱいが張っているのに、出口が無いという状態。
岩みたいになったおっぱいを、せっせとマッサージして乗り切ったのでありました。

そして一ヶ月後にイサムさん腎盂腎炎で入院。
入院中もせっせと搾乳しては冷凍、解凍してミルクに混ぜて母乳を飲ませて、搾乳の度に器具を洗浄して、の繰り返し。
哺乳瓶も毎回全部洗浄して、時には蒸気で滅菌する機械にかけたりしてた。
洗浄を手伝っていたジャバ夫さんの手も、あかぎれだらけになってしまったり。

やっぱり完母って良いなーと、この時更にそう思った。
だって器具洗わなくていいし、赤ちゃんがお腹すく頃勝手におっぱいの中でミルクができてて、服をめくるだけで授乳できちゃうんだもん。
夢のようなミルク工場。
無料だし。
ほわわーん。
と甘い事を考えていたのだ。

一度哺乳瓶の乳首に慣れてしまった赤ちゃんは、もうおっぱいを吸う事がなかなかできません。
何故なら哺乳瓶とおっぱいは、根本的に構造が違うから。
母子ともに相当苦労しないと、混合乳から完母に切り替えるのは難しいのでございます。

イサムさんの入院中も、医療機関のサービスを利用して、様々な方法を試し、なんとか母乳に切り替えようと努力したけれど、結局イサムさんの体力も無い事から断念。
結局搾乳も5、6ヶ月まで続けたけど、赤ちゃんに吸われないとこれも段々枯渇して、ついに離乳食開始と共にミルクだけになり、やがてイサムさんの主な飲み物は、牛乳かリンゴジュースの水割りへと進化して行ったのでした。

と、ここまでがイサムさんと母乳の物語。
長くなりそうなので、続きはまた明日。


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