雑感
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2001年10月15日(月) |
声援の嬉しさ・何故走るのか |
日曜日はザルツブルグのハーフマラソンに参加してきた。 最近体調がいいので、完走できると信じているけれど、どれくらい のタイムで走れるかはさっぱりわからなかった。 2周目に入ったあとは、足にダメージがきて、だんだんと速度が 落ちる。要所要所で知らぬひとたち、子ども達が声援を送って くれた。シュネラー!シュネラー!(速く!)という声の中に 「ブラボー!」「スーパー!」(すごいよ!)も混じっている。走って いてくじけそうになるときが何度かあるが、こういう声援を聞くと、 また足がよみがえってくるから不思議だ。昨日の大会は応援してくれる 人がそこかしこにいて、嬉しかった。ゴール手前のモーツァルト広場 では、大声援をいただいて、背中を押してもらったようだった。
つらいときは、何故走ってるんだろうと考えてしまう。もう二度と 走らないと決心してゴールするのだけど、ゴールしたとたん、また この次も走りたいと思ってしまう。たった今、しんどい思いをした というのに、不思議な気持ち。
さらに大会というのは、自分ひとりで走るのではなくて、走ることで 他の人達と繋がっているという思いを強くする。誰だか知らない人と 時間という概念をぎりぎりまで短くしたところの、濃い時間を共有し ているように感じるのかもしれない。一人でジョギングしているとき とは全く違う感じがある。
自分がどこまでやれるかを挑戦すること、他人との時間を共有できる ことが、重なってどんなに遅くなってもゴールをめざしている理由 なのかなと思った。
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