雑感
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2001年11月24日(土) 長靴の境界はどこで引くか

イタリアの隣国に住んでいながら、3,4年前に行ったきりで
さっぱり足が遠のいていた。夏以降、立て続けにイタリアとの縁を
強くするような本や人に出会ったのは偶然だったのだろうか。

自宅の本棚を片付けていたら、塩野七生の著作(イタリア史なら今は
第一人者だろう)に再会し、なつかしい文章を味わった。続けて、
友人の日記から1960年代のイタリアでの暮らしについて書いた
須賀敦子のおだやかな文章を知った。さらに、イタリア人と結婚
している友達と話す機会があり、イタリアとの縁はますます深まった
ようだ。

イタリアというのは北と南で全く別の国かと思われるくらい違い
がある。北と南の境界はどこにあるのだろうか。以前旅行で訪れた
雰囲気ではローマの下から南かしらと思ったのだが、北部ベネト州
出身の伴侶をもつ友人が、「ポー川でしょ♪」と言ったのに笑って
しまった。
ポー川というのは、イタリアの地形を長靴にたとえてみると長靴の足
入れ部分、まさに縁にあたる。そこで線を引かれてはイタリアとしては
たまったものではないが、住んでいる当事者によって、線引きは
ずいぶんと違ってくるようだ。同じ国で、北と南が主に経済的に、また
文化的に違うというのは印象的だ。
たとえばミラノ出身のオリベッティ社に勤めるサラリーマンが、家族帯同
でバーリ支店に転勤などと考えられないのだろう。

須賀敦子の「トリエステの坂道」の中で、彼女の姑が、舅の親類のことを
いっさい口に出さなかったのは、南の人と結婚した身内がいて、当時は
とても恥ずべきことだったのではと著者は回想していた。
友達も北と南の人が結婚なんて双方の一族が黙っていないと言ったので
今でも、北と南は厳然とあるのだろう。

上記の本を読み返したり友達の話から考えて、北イタリアの人は南の人
を全く違う国の人だとみなしているのがよくわかった。ところで、
シチリアというのは、南にさえ分類されていないような気がする。
イタリア人にとってさえ、完全な異国ではないだろうか。

イタリアの地図を見ていたら、興味は長靴の上の部分の富の分捕り合戦
の地、トリエステに目が移った。


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