雑感
DiaryINDEX|past|will
2001年11月26日(月) |
書き下ろしと連載とではどちらがえらいか |
作家になるための心構えについて丸山健二は「まだ見ぬ書き手へ」の中で 連載は、公の前で練習しているようなものだから、引きうけるべきで ない、プロの作家たるや書き下ろしで勝負!という意味のことが書かれて あった。
はたして書き下ろしと連載とでは上下関係のようなものがあるのだろうか。 書き下ろしは、〆きりがあるけれど、自分の伝えたいことをちゃんと構成 できて、できあがった作品は威風堂々の一軒家としてしっかりしている。 作家の全エネルギーが凝縮されているので、書き下ろした瞬間はまさしく 作家冥利につきるのではないか。
一方、連載は、日刊であれ週刊であれ、書きつづけていくものだから、 できあがった作品は、エッセイであれば寄木の集成のようなものになる のかもしれない。小説であれば、物語の山場とかゆったりする箇所など めりはりをつけていくのがむずかしいだろう。ただ、厳然とした〆きりが 存在し、原稿が絶対に遅れてはいけないから、体調が悪かろうとアイデア に詰まろうと書き続けていかねばならない。
私はどちらかというと、ひそかに連載の方をえらいと思っている。毎回 全力投球で書かないと、そのうち読者にあきられて連載中止の憂き目に 会うから、1回たりとも手を抜けないという緊張感が心地よさげに見える。 まんがなら、連載があたりまえで、評判が悪いと即座に打ち切りという 運命が待っているから、文章よりも質が高い作品があると思う。 連載作品があとで、単行本になって再登場するが、よく売れるのは、作品 が評価されている証拠だと思う。
週刊誌のエッセイに限って言えば、連載が続くと気づかぬうちに作品の 質が低下してしまうことがある。打ちきりにならない限り、休めない運命 とはいえ、読んでいるこちら側がしんどいと思うときもある。 林真理子の「今夜も思い出し笑い」などはやめたらいいのにと思うし、 ナンシー関も中村うさぎも、最近は読んでいてつらいものがある。 東海林さだおは相変わらず、プロの文章を食べ物に託して提供してくれる。
書くという行為は走ることにも似ているなと思う。書き下ろしはマラソンや ウルトラマラソンに通じて、自分で道を切り開いていくような意気込みが 共通しているし、連載は毎日800メートルを全力で計測しているようだ。 雨の日も台風があっても休まないランナーみたい。 短歌や俳句は短距離走。わずかの距離のために、厳しい練習や筋トレを するのに似ている。語数が限られているので、ことば選びは大変なのが わかる。短距離走と長距離走では使う筋肉が違うように、書き下ろしと 連載は使う脳の部位が違うのかもしれない。
文壇の世界では書き下ろしがえらいようなので、連載に肩入れをして しまったがどんな形であれ、自分にあった書き方で読み手にしっかり 届けばいいのだとまとめておこう。(まとめてどうする!)
|