雑感
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2001年12月04日(火) マジャールの地へ

初めてハンガリーの地を訪れたのは1988年春。まだオーストリアの
国境沿いに鉄のカーテン、鉄条網がぐるぐる巻きにされていた頃だった。

ウィーン南駅からブダペスト行きの列車のコンパートメントでドイツから
来たという女子学生が縦笛を練習していた。初めて訪ねる東欧ということ
もあって、心細かったが彼女の隣に座って、笛の調べを聴いていると
何となく落ちついた。
彼女は恋人がマジャール人でこれから彼を訪ねていくところだと言った。
なんと30回以上もハンガリーへ入国していて、パスポートには入国
スタンプを押す隙間がなかった。3時間の列車の旅の間、国境警察は
理不尽だから気をつけるようにとアドバイスをもらった。

当時、私の恋人は東欧には入国できなかったので、しかたなく一人で
行くことに決めた。「僕は行けないんだ。」と淋しそうな横顔がちらつい
ている。査証を取って、ホテルの予約確認書ももって万全の
用意で出発したブダペストは、暗い感じがして町を歩いているときでも
どきどきしたものだ。初めてウィーンに着たときも街角のあちこちに
東欧の匂いがしたがブダペストはもっときつい東欧の匂いが町のいたる
ところに染み込んでいたように記憶している。

1989年、突如鉄条網は撤去され、自由の息ぶきがハンガリーの地を
覆った。同じ年、彼がハンガリーの鉄条網の一部を額に入れて私の
ところにやって来た。彼の国とハンガリーの国交ができたという。
そのときほど世界が動いているなと思ったことはない。

今日もまたマジャールの地、ショプロンに来た。当時の感慨はないけれど
89年当時、東ドイツの人々が大量に国をすてショプロンを経由して
オーストリアを通り西ドイツへ行ったのだなあと思うと、この小さな町も
歴史の動くのを見たのだなと思った。ショプロンには、小雪がちらついて
いた。


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