雑感
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2001年12月30日(日) 死して残るもの

昨日、指揮者朝比奈隆が老衰のためなくなった。氏の自伝
「楽は堂に満ちて」を読むと、正規の音楽教育を受けず、バイオリンと
指揮法を習い始めたのが大学生の時というから、遅咲きの音楽家で
あった。1936年指揮者としてデビュー以来、生涯現役で亡くなった
日もコンサートの予定が入っていた。氏の「1回でも多く振る」という
ことばが心に残っている。

交響曲を聞き始めた頃は、ベートーベンやブラームスにうっとりして
いたけれど、ウィーンに住んでから、地味なブルックナーの音楽が
次第に好きになった。朝比奈隆とクルト・ザンデルリング指揮の
9番と3番に何故か惹かれる。ブルックナーもウィーン宮廷のオルガン
奏者になったのが40過ぎで、彼の交響曲が認められたのが晩年に
なってからという遅咲きの人だった。彼の交響曲は最初聴くとたまらなく
退屈に感じるけれど、だんだんと色彩をおびて醸成し、しっとりと心に
おりてくるような音楽だと思う。彼の生涯そのままをあらわしたように。

「ほぼ日」のガンジーさんが先日他界した。娘さんの報告によると荼毘に
臥された遺灰を見て、生前に習ったNOVAの英会話の知識も、パソコンの
知識も全部なくなって、がっくりしたとあったが、ガンジーさんの残した
文章はずっと残り、たくさんの人が折に触れ読んでいくのは間違いない。

人の一生というものは完結して終わるより、何かやり遺して生を終える
人が大半ではないだろうか。朝比奈隆もたぶん2,3年先のコンサート
の予定が詰まっていて、1回でも多く振って音楽への真髄に近づこうと
していたのだろう。
朝比奈隆の録音も、ブルックナーの作品も、ガンジーさんの心意気が
詰まった文章もすべて形となって残っている。

こういう人たちの生涯を見ていると、余生ということばなんて存在しない
ように思う。人の生き方に余った生命なんて入りこむ余地がないほどに
集中した時間を少しでも多く体験できればと思った。



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