雑感
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昨日、指揮者朝比奈隆が老衰のためなくなった。氏の自伝 「楽は堂に満ちて」を読むと、正規の音楽教育を受けず、バイオリンと 指揮法を習い始めたのが大学生の時というから、遅咲きの音楽家で あった。1936年指揮者としてデビュー以来、生涯現役で亡くなった 日もコンサートの予定が入っていた。氏の「1回でも多く振る」という ことばが心に残っている。
交響曲を聞き始めた頃は、ベートーベンやブラームスにうっとりして いたけれど、ウィーンに住んでから、地味なブルックナーの音楽が 次第に好きになった。朝比奈隆とクルト・ザンデルリング指揮の 9番と3番に何故か惹かれる。ブルックナーもウィーン宮廷のオルガン 奏者になったのが40過ぎで、彼の交響曲が認められたのが晩年に なってからという遅咲きの人だった。彼の交響曲は最初聴くとたまらなく 退屈に感じるけれど、だんだんと色彩をおびて醸成し、しっとりと心に おりてくるような音楽だと思う。彼の生涯そのままをあらわしたように。
「ほぼ日」のガンジーさんが先日他界した。娘さんの報告によると荼毘に 臥された遺灰を見て、生前に習ったNOVAの英会話の知識も、パソコンの 知識も全部なくなって、がっくりしたとあったが、ガンジーさんの残した 文章はずっと残り、たくさんの人が折に触れ読んでいくのは間違いない。
人の一生というものは完結して終わるより、何かやり遺して生を終える 人が大半ではないだろうか。朝比奈隆もたぶん2,3年先のコンサート の予定が詰まっていて、1回でも多く振って音楽への真髄に近づこうと していたのだろう。 朝比奈隆の録音も、ブルックナーの作品も、ガンジーさんの心意気が 詰まった文章もすべて形となって残っている。
こういう人たちの生涯を見ていると、余生ということばなんて存在しない ように思う。人の生き方に余った生命なんて入りこむ余地がないほどに 集中した時間を少しでも多く体験できればと思った。
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