雑感
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加藤秀俊の「暮らしの思想」に鏡についての記述があった。 日本では古代から鏡は神聖なものとされていたこと。近代まで家庭に おいても鏡はみだりに見てはならないものと畏れていたことをあげて いる。そういえば、三面鏡など、必要なとき以外は閉じてあるのが普通 だし、ミスタードーナッツの景品の手鏡もカバーが付いていたし、 埃よけと思っていた鏡の覆いは、畏れの表れだったのだと納得した。
西洋の鏡は、神聖もあるのだろうけど、主として自分を見つめること、 ナルシズムを表わしていると著者は書いている。「鏡よ鏡、世界で一番 美しいのはだあれ?」と鏡に訊ねるメルヘンの女王様もいた。 レンブラントのおびただしい自画像も鏡を見ずにはできない作品であり、 ナルシズムを具現しているのだろう。
どこの家も宮殿も鏡は大きく室内に居座っている。ありのままに写る自分 を見つめ受け入れることに通じるのだろうか。日本人にすれば、自分を見 つめながら鏡の間で会食なんて、食べ物が喉を通らないと思うけれど。
昔の呉服屋では、いろとりどりの反物を座敷一面に広げ、顧客が肩に あててお店の主人や奉公人が目利きしていく場面が小説の舞台になる。 顧客は自分の姿を大鏡に写して見るのではなくて、まず第三者が似合うか どうか意見する。昔の日本人の美意識というのは、自分が鏡で見て似合う かどうかよりも、第三者から見て自分がどのように写っているかを大切に していたのだろう。
現代人の私は鏡など畏れる気持ちはないので、どんどん等身大の自分を 写して少しでも納得のいく体型を保とうという気持ちだけは強くもつこと にしている。
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